
・掛川氏はそういう私を見て、
にこにこして、
「涼やかないでたちですな
いいですな」
とほめた
私はいっぺんに嬉しくなった
士はおのれを知る者のために死に、
女はおのれを喜ぶ者のために、
化粧するそうだが、
こういう人がいなくちゃ、
私も長生きしてる甲斐がない
そしてまた、
このためにこそ、
私はいつも外へ出るとき、
きちんと心をゆるめず、
身づくろいをしているのだ
鹿革で磨いた爪も、
そうそう人前には出さず、
夏は黒いレースの手袋に手を包んで、
かくしているのである
掛川氏は、
今日は取材に動物園に行く、
といっていた
すでに神戸、大阪の動物園を見、
まだあと阪神間の動物園をまわりたい、
今日はこれから宝塚動物園に、
行くのだそうである
「どうです、
一緒に行きましょう
お急ぎでなければ」
と氏はすすめた
今日は家で手習いの予定があったが、
考えてみると動物園なんて、
何十年も行っていない
「ウィークディだから、
空いていますよ
珍しい機会でしょう、我々には」
ふとその気になって、
「じゃ、お供しましょう」
といった
酒飲み友達ではなく、
動物園友達というのも、
私たちの年代にはいいかもしれない
氏は喜んで、
「行きますか?
行きましょう!
実をいうと私、
動物園好きでしてね
ところが女性はきらう人が多いです
死んだ私の家内も、
いっぺんもついて来ませんでした
同じ行くなら孫を連れて行け、
というんですが、
私、小さい子供はうるさくてね
女の人は京都の高雄だ、
嵐山だ、嵯峨だ、というと、
喜んでついて来ますが、
動物園へ行こ、いうたら逃げますな」
と掛川氏は笑った
氏は不動産業が本職であるが、
いまは息子にゆずり、
もともと好きだった彫刻をやっていて、
いままで小さな画廊で、
二回ばかり個展をした
買ってくれる人もあって、
「どうやら一人ぐらいは、
食えるんですわ
ありがたいことです」
などと話した
五、六年前妻を亡くし、
七十四歳のやもめだそうである
その作品は、
「男の顔をテーマにしています」
ということであった
「彫刻いうても、
女のハダカは好かんですな
風雪が刻んだ、というような、
男の顔がよろしい
徹頭徹尾、男の顔がよろし
それもきれいな、というより、
表情のある顔、
苦闘している顔、
そういうのがよろし
力いっぱいたたかい、
ふんばっている男
歌子さん、
あんたも中々ええ顔してます
シワにこそ美があります・・・」
氏は雄弁であった
一緒にいるのは退屈しない
氏はよくしゃべったが、
私は不快ではなかった
ときどき、話の合間に、
私をほめてくれるからである
「女も若い女は、
あきませんなあ
シワがないからです
面白みがありません
シワがよろし」
氏はカバンの中から、
今までの作品を写真にとったものを、
取り出して見せてくれた
ほんとうに男の彫刻ばかりであった
素材は粘土と、
土をこねて焼いたもの
男の顔はたいてい、
見覚えのあるのが多い
「カーター大統領です
それにサダト大統領」
と氏はいい、
「これはアラン・ドロン
この彫刻は尼崎の散髪屋が、
ショーウィンド用に買いました
カーター大統領は、
西宮のネクタイ屋が買いました
ネクタイしてショーウィンドに、
飾ってあります」
それで、
氏が「小遣いになる」
と喜んでいたわけがわかった
それは結構なことであるが、
私は何となく見当はずれを、
感ずるのは否めない
尤も氏の値打ちが下がるわけではない
氏は私が見たり、
つきあったりした中で、
いちばん好もしく愉快ないい男であった
私たちは動物園へ入った
氏には動物の好みがあり、
私が見たい美しい鳥類や猿は、
見向きもせずまっすぐ猛獣舎へいって、
ライオンと虎の檻の前で、
カメラを向ける
氏は汗みずくになって、
写真をとりまくった
砂場のそばに、
コンクリートのライオンを、
作るのだそうである
私は木かげを拾いながら歩いた
一段落して戻ってくると、
氏はベンチで煙草を吸った
「お疲れでしょう
出ますか
涼しいところでお茶でも飲まんですか」
と誘った
私は疲れよりも、
久しぶりにかいだ、
動物の臭気にまいっていた
武庫川の堤をしばらく行くと、
風のわたる通りへ出る
草の匂いで、
やっと生き返ったようになる
私は掛川氏のさわやかな男らしさに、
すこしいかれはじめている
茶飲み友達でもなく、
酒飲み友達でもなし・・・
何となく心ときめきする仲
掛川氏はふと足を止め、
「ちょっとここで休んでいきませんか」
といった
そこは住宅街にまぎれこんだ、
目立たないラブホテルである
私は呆然とする
「何ですって?
あなた、ここ、何やと、
思われるんですか」
「いや、汗かいたし、
ひと風呂浴びて、
川の見える部屋でビールでも飲んで」
「何いってるんです
ここはあなた、
こんなはしたないところ・・・」
「まあそう、
かたくるしぃに考えんでも、
よろしやないか、
私らの年に免じて・・・
何のために我々、
こないトシとってますねん
こんなんできるためやないですか」
「そんなこと考えて、
いらしたんですか、掛川さんって
私、尊敬してましたのに」
「いや、その
弱りましたな
私も歌子さんを尊敬しとります
好きなんですわ」
「それなら、
なんでそんな、
けがらわしい、
清い仲でいましょうよ」
氏はくり返した
「何のために、
我々トシとってきたんですか
こんなんいえるようになるため、
と違いますか
あ、歌子さん、
ちょ、ちょっと待って下さい」
何もへちまもあるもんか、
私は掛川氏を捨てて、
とっとと歩いた
なんで男というもの、
好もしい動物園友達のままに、
しておいてくれないのか、
なさけない、
七十四と七十六になって、
そこはかとなき心ときめきだけを、
大事にしてくれないのだ
若いのはすぐ娘をぼてれんにさせ、
老いたるはすぐホテルに誘う、
男てものは全く死ぬまで、
なおらない
とっとと歩く堤の松の木の上に、
うすい宵月が出ている
爺さんなんか捨てちゃえ



(了)