「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

2、姥捨の月 ④

2025年02月01日 08時45分19秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・朝食を終えて片づけていると、
電話がかかり出す

最初は竹下夫人である

この間の知人の娘さんに紹介した、
縁談のことで、
その報告である

「まあ、驚きました
こんなにおどろいたの、
はじめて!
ま、何ていったらいいのか!
一刻を争うんでございますの」

この夫人は話がオーバーである

話がオーバーだというのは、
しゃべり手の中身が貧弱なことで、
修飾をみんなとりのけたら、
話は一、二分ですんでしまう

夫人は熱心に、

「はじめ男の方とお嬢さんは、
デートの度に親御さんを通じて、
私どもにその日の段取りを、
打ち合わせしていられました」

「ごていねいに」

「それが、実は、
なんとなんと、
表面だけのことだったんで、
ございます!
かげでお二人はちょくちょく、
お会いになっていたんで、
ございますって!」

「けっこうなことでは、
ありませんか」

竹下夫人は私のいうことなんか、
耳に入れない

自分のいうことだけをいい通し、
おしかぶせる

「ゆうべ、
お嬢さまのお母さまが見えまして、
お式を早めて下さい、と

なんとなんと、
お嬢さまはもう、
三ヶ月なんですって!
それを今になって、
男の方が渋り出していらっしゃる、
というので大騒ぎでございます」

「要するに、
男に結婚式を早くするよう、
申し入れろと、
おっしゃるんですね」

「ええまあ、
でも男の方が、
どうしても無理といっしゃれば、
お嬢さんの方も、
どうしてもというほどではないらしくて、

それなら、いろいろの都合もございますし、
急ぐんでございますのよ
何しろ三ヶ月でございましょ、
長く待てませんわ」

「ハハァ、
おろせなくなるからねえ
でも結婚できるものなら、
ぼてれんのままでもおいとく、
とこういうことですね」

私がしゃべったら、
三十秒ですむ

夫人は、

「こんなこと、
許されるものでしょうか、
まあ、私、びっくりしちゃって・・・」

なに、それほどのことでもあるまい

しかし、私が娘の親だったら、
今になって結婚を渋るような男とは、
結婚なんかさせない

「それに、
あわただしく作った子供なんて・・・
どっちみち・・・」

デキが悪かろうといいたいところだ

どこで二人は作ったのか知らないが、
どうせ「非行の素」「不良の芽」
一人でも少ない方が世のため人のためだ、
流してしまえ

赤ん坊は可愛いかもしれないけれど、
少年になり青年になり、
中年になるのはすぐなのだ

ウチの次男のように、
親の財産が心配で夜もねむれぬ、
というあつかましい欲ボケに、
なったりする

子供なんて、
気張って生むほどのものとも、
思えない

これは相手の男の親に電話して、
直接、竹下夫人にかけあってもらう、
ということにした

こんなバカな問題に、
かかわりあえない

今日は秋の市民展のため、
絵の先生のところへ、
絵を見てもらいに行く

枠から外して、
くるくる巻いたキャンバスを手に持ち、
私は西宮の画塾へ行った

先生は今日は一人である

今日は小学生が来る日であるが、
まだその時間になっていない

先生はそのため、
閑散としたこの時間を指定したらしい

私の描いた花と本と人形の静物画を、
先生は見て、ほめた

ちょっと手を入れたほうがいい、
というところを指摘してもらったので、
絵はそこにおいておく

先生は浮世離れした人で、
はじめからしまいまで、
絵の話しかしないから、
私、実をいうと、
この先生ちょっと好きだ

やがて先生は、
ふと思いついたのか、

「台所の冷蔵庫に、
サイダーが入っていますから。
出して下さい」

といった

私はグラスとサイダーを出したが、
栓抜きがない

先生も気軽に立ってきて、
夢中になって、

「栓抜き、栓抜き」

と捜した

二人でここか、あそこか、さがしあぐね、
やっと壁に吊ってあるのを見つけた

そのまま、
笑いながら台所のテーブルに坐って、
二人で飲んでいると、
裏の戸が開いて、
先生の奥さんが帰ってきた

買い物に出ていたらしい

「あら、ごちそうになっています・・・」

と私が挨拶すると、
奥さんは硬い顔のまま、
あごをすくうような会釈をして、
じろりと私と先生の顔を見た

なんでこうも、
女というものは肝っ玉が小さいのか、
奥さんの顔には、

(主婦の留守に台所へ、
無断で入らないで下さい!)

という狷介なとがった気分があった
その上、

(さっきの時間、
私の夫と二人きりで、
何してたんです!)

という咎め立ての色も、
濃く流れていた

つまり私は、
時間空間における不都合を、
奥さんに咎められたわけ、
女というものはしぶちんである

尤も私だって、
夫はいないが、
自分の生活様式について、
人の干渉をきらうしぶちんであるものの

しかし、
そういう心の狭い、
尻の穴の小さい妻を持つ先生が、
とみにつまらなく見えてきたのも、
事実である

バスに乗って西宮北口に着くと、
もう日は傾いていた

ホームでバッタリ、
掛川氏に会った

氏はいつものサファリルック、
身軽で気の利いたサングラスなど、
かけている

肩から革のカバンをかけ、
足取りも軽く歩いてくる

頭は半白であるが、
日焼けした顔にぴんと背筋が張り、
姿勢がいい

「や、ジェーン・・・
いや歌子さん、
今日は英会話の日でしたか」

と氏は勘違いしていった

私は白い麻のスーツに、
ワインカラーのシルクのブラウス、
といういでたち、
白いレースの日傘を持っている

サングラスはブラウンで、
その色が毛染めの色とよくマッチしている






          


(次回へ)

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