「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

3、姥日和 ①

2025年02月03日 09時09分45秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・一人暮らしの私が、
もっとも注意していることは、
犯罪に対する用心である

もちろん、
健康について用心するに、
越したことはないが、
これはまあ、寿命の関係、
神のおぼしめしの具合で、
わが努力では、
いかんともしがたいところがある

しかし防犯についていえば、
かなりの部分、
こちらの配慮に負うところがあるので、
いつも心がけているつもりである

尤も、
ウチはマンションの八階だから、
あやしい者が窓から入りようがない

入口のドアは、
チェーンをいつもかけてある

それで私も安心して夜も眠れるし、
いつでも外出できる

ところがコソ泥に入られた
あれは私が悪かった

あのとき、
親類がやって来ていて、
ドアを開けた

いうならあの親類が悪い

私はおよそ、
親類というのがきらいだ

世間の常識では、
老人は親類づきあいを好む、
ということになっている

老い先短い身は、
血のつながりで肌を暖めたがるものだ、
という愚かしい思い込みがあるらしい

それは、
老人、年寄りらは、
死者の記憶を大事にし、
年忌ごとの法事を尊重するもの、
という思い込みと一緒である

私は死んだ人なんて、
わるいけど興味も関心もない

亡夫、慶太郎の十七回忌も、
やりたくなかったけれど、
お寺さんが通知してくるし、
息子らも、

「親類に格好悪いがな」

というので、
しかたなくやったのだ

法事の金くらい、
いくらでも出すが、
私にとっては実にくだらぬ、
ひまつぶしに思えるのだ

見たくもない親類の顔を見、
長々しい挨拶を交わし、
坊さんの相手をする、
これがうっとうしい

私は仏壇のお守り、
というような面倒くさいこともいや、
仏壇は西宮の旧宅へ置いたままで、
今では長男の嫁が毎日掃除して、
水とお花を上げ、
燈明をつけたりしている

「あんた、案外、
そんなこと好きやねえ」

と私が感心したら、

「好きでやっているんじゃありませんっ!
お姑さんがなさらないから、
しょうことなしに、
私がしてるんじゃありませんか!」

とむくれられてしまった

世間の常識からいえば、
七十六になった婆さんが、
連れ合いの仏壇をお守りし、

(その仏壇には、
死んだ亭主の両親、
つまり私の舅、姑の位牌、
そのまた先々のご先祖の位牌も、
祀ってある
この家はわりに古い大阪の商家)

朝な夕なに拝んで菩提をとむらい
先祖をまつり、
子孫繁栄を祈念し、
毎日の平安に感謝報恩する、
というのが目安い眺めであろうけど、
私ゃ、そんな辛気くさいことが、
きらいなんだから仕方ない

七十六になって、
きらいなものはきらい、
とはっきりいってどこが悪い

またいえば、
ウチは、
大阪船場の古い服地問屋であったが、
舅も姑ものれんが古いことを、
威張りちらしていた

ことに姑など、
私が嫁に来た昭和のはじめごろは、
船場のご寮人さんをひけらかして、
ことごとに天満の小商人の娘である、
私をイビっていたものだ

私の父は小商人にはちがいないが、
太っ腹で陽気で、
うんと人生を楽しむ人だった

美味しいものを、
家族みんなにふるまい、
奉公人(昔は使用人、従業員といわない)
にも同じように食べさせ、

「どや、美味いか?」

「おいしゅうござりわんな、
だんさん」

といわれて悦に入っているような、
人だった

みんなそろって寄席へ行き、
活動(これも昔は映画とはいわない)
へ行きして、
丁稚や女中衆(おなごし)が、
狂喜しているのを見るのが、
好きな人だった

開明的で、かつ、今風にいえば、
民主的、庶民的な人といってもいい

そういう家庭に育ったものだから、
私は船場へ嫁にいって、
玉の輿なんていわれたけれど、
まあ、内情を見てびっくりしたもんだ

奉公人には、
大根の葉っぱの煮いたんを食べさせ、
自分らは奥でほんのぽっちりの、
ご馳走を勿体づけて食べる

格式ぶったご大家を、
鼻にかけているわりに、
気持ちはせせこましく、
かた苦しく融通きかず、
苦労していないので、
思いやりもない

あたまを使うことといえば、
世間への見栄と、
昔ながらのしきたりを守ること、
奉公人に威張ることばかり、
そんな風だから、
いったん緩急というとき、
たとえば戦争なんかで、
ひっくり返るともう、
自力で泳ぎ切ることが出来ないのだ

「歌子はんは、
船場のお人やないねんさかい、
しきたりをご存じおまへんやろけど」

とつねに姑にイヤミをいわれたが、
しきたりでは生きていかれぬ場合も、
人生にはあるのだ

江州の在にある田地田畑も、
終戦のときに失い、
船場・本町の店も邸も空襲で焼けて、
資産はインフレのため、
タダのようになってしまった

あの船場の倹約ぶり、
漬物は二きれ、
醤油をかけると、
よけいご飯がすすむというので、
醤油さしをひっこめておく、
といった、また使っても、
皿に残った醤油を、
茶の中に入れて飲むといった、
つましい身についた倹約の成果は、
一瞬にして夢のように霧消してしまった

それからあとの荒波はもう、
船場のしきたりにこだわっている方々には、
乗り切れないわけ、
大だんさんの舅は、
腑抜けのようになり、
姑はがっくり老いぼれ、
夫は優柔不断で実行力がなく、
私は番頭の前沢と二人で、
がんばってきたのだ

船場の土地も、
旧家の中には、
持ちこたえられずに、
手放した家が多かったが、
私はとうとう守りぬいた

五年ほど前、
五階建てのビルにして、
長男は社長面して納まっているが、
五十過ぎようがあたまが禿げようが、
あんな者、私からみれば洟たれだ

会社は私が激動期を守り抜いたから、
老舗を誇っていられるのだ






          


(次回へ)

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