<なげきつつ ひとりぬる夜の 明くるまは
いかに久しき ものとかは知る>
(今夜もいらっしゃらなかった・・・
ためいきをつく 独り寝の床の
夜の長さ
夜明けまでの長さを
あなた ご存じ?)
・『蜻蛉日記』の作者。
この作者は名前がわからない。
それで生んだ子の名をもって、
「その母」として伝わる。
この人は美人だったという伝説がある。
藤原倫寧(ともやす)という中流貴族の娘。
『大鏡』には、
「きはめたる歌の上手」とあるので、
才女だったのかもしれない。
『蜻蛉日記』は女性の好む本である。
しんねりむっつりと深刻に思いこみ、
邪推と嫉妬と意地の張り合いに身をすりへらす。
いっぺん読んだら、たくさんという気がする。
しかし世には、「いやなもの見たさ」の精神であろう。
人はそこに、
「いやらしさ」の真実をかいまみて感動する。
『蜻蛉日記』の冒頭に作者はこんなことを書いている。
~過去の年月ははかなく過ぎてしまった。
平凡な私、役にもたたない人間だけれど、
つれづれに世間にはやっている小説を見ると、
つまらぬ作り話が多い。
それよりありのままの私の身上を、
書いてみようかしら。
高い身分の男と結婚して、
玉の輿といわれるけれど、
その実感はどんなものか、
知ってほしいわ。~
作者はそう思ってわが夫婦生活の半生を書く。
彼女の結婚した相手は歴史に残る、
政界の大物、藤原兼家(かねいえ)である。
当時の習わしですでに時姫という妻がいて、
長男も生まれている。
しかし、彼女が側室というわけではない。
上流貴族の男は何人でも妻を持てるので、
妻の地位は対等である。
兼家は生涯、正室を持たなかった。
自邸へ誰一人、妻を入れていない。
兼家が妻たちの邸をまわり歩いている。
彼女はむろん、
そういう社会慣習をよくわきまえている。
しかも兼家は当時の最高の家柄で、
彼女の実家とは格段に身分がちがう。
実家の権威をあてにすることもできない。
それやこれやの物思いが、
彼女のプライドを刺激する。
彼女はひたすら夫の訪れを待つ、
不安な妻の地位に堪えられない。
「三十日三十夜はわがもとに」
と念ずるような独占欲の強い女だった。
他の妻に嫉妬し、
愛人を呪ってはばからない。
あるいは尼になろうとしたり、
兼家は急いで彼女を取り戻している。
夫の手紙にすねたり、
せっかく夫が訪れてもプンとふくれて、
背中を向けたままだったり。
しかも、都合の悪いことに、
彼女は実は夫を愛していた。
夫の愛を独占することに絶望しながら、
夫の一語一句に一喜一憂する。
それは地獄のような歳月であった。
現代の私たちが『蜻蛉日記』を読めば、
兼家なりに彼女を愛していたというのがわかるが、
彼女はそこまで省察できなかった。
あまりにも自分本位である。
しかしそれなりに掘り下げていって、
真実に到達した。
皮肉にも兼家の性格は、
実にあざやかに生き生きと描かれている。
この歌は彼女の若かったころ、
結婚後すぐのころで、
頼りにする父は遠い陸奥の任地にあり、
彼女は道綱を生んだばかりの心細いときだった。
さすがに兼家はやさしい心遣いを見せて、
彼女の面倒をよく見てくれた。
ところがある日、
夫が出ていってから、
他の女にあてた恋文を発見する。
兼家はまことにまめな男で、
上は内親王から下は町小路の女まで、
幅広くつきあっている好色家である。
また新手が出来たのだわ、
と彼女が思っていると、
彼は、のっぴきならぬ公用だ、
といって夕暮れになって彼女の家から出ていく。
不審に思って人につけさせると、
やっぱり下町の庶民の家へ行ったのだった。
彼女は嫉妬と憤怒に煮えくりかえる。
二、三日して兼家が夜明けに門を叩いたが、
彼女は気が晴れない。
ついに門を開けさせなかった。
朝になってこの歌を、
色のあせた菊につけて兼家に贈った。
兼家は返した。
<げにやげに 冬の夜ならぬ 真木の戸も
おそくあくるは わびしかりけり>
(いや、ほんとに、いわれる通りです。
冬の夜の長さもつらいが、
木の戸でもあくのがおそいのはつらいものです)
彼女は夫がしれしれと、
そしらぬ風にあしらうと怒っている。
とにかくまあ、
何をしても怒る女なのである。
(次回へ・・・王朝のブログですね)
・兼家と時姫との間に生まれた長男は、
道隆、娘の定子は一条天皇の妃となり、
清少納言が定子に仕えた。
一方、三男の道長の娘、彰子も一条天皇の妃となり、
紫式部が彰子に仕えた。
一条帝は一帝二皇でした。