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「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

26、姥芙蓉  ①

2021年11月13日 08時57分21秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・スイミングクラブから戻って、
私は虹色のブラウスと黒いパンツに着かえた。
どちらもポリエステル100%。

こういう化繊は発色が美しい上に、
今日のように梅雨寒の日はトロンと肌にまつわって、
まことに具合がいい。

夕食の支度には間があるし、
アップルティを淹れることにした。

そうそう、ポリエステルといえば、
この間、順慶町のお爺ちゃんの法事で、
長男の嫁は、私のブラウススーツに目をとめた。

私は法事ファッションらしく、
薄いグレーと黒のグラデーションになった服に、
首元のネックレスは銀色がかった薄紫色の大きな球を連ねたもの。

同じシリーズのイヤリング。
これはトランプ型の長方形のものを耳につけているので、指輪はせず。
あるものは、何でも身につけるという趣味は私にはない。

「まあ、お姑さん、きれいな色ですわね。
さぞおたか(高価)いでしょ?シルクでしょ?」

と言う。

「これは安いわよ。ポリエステル100%。
しわにならへんから旅行着にも便利やし、
ほら、このネックレス、プラスチックやから、ごく軽いの。
どんどん素材が新しぃなって、珍しい小物がいっぱい出てるわ。
時世に遅れんように」

「お言葉ですけど、
年輩の女はペラペラものなんか着られませんわ」

そういう嫁は、薄墨色の着物に、梅ネズミ色の帯、
(夢なんて字が入っていて、法事用という感じ)
指にはサファイアとダイヤを組み合わせた指輪。

「やはり、年がいけばいくほど、重みのある服装でなくちゃ、
年々、同じものでもいいじゃないですか。
安もんなんか着たら、安っぽいお婆さんになりそう。
絹でなくちゃ、人生キャリアの沽券にかかわる、思いますわ」

「それは沽券の問題やない、器量の問題や。
安物を着こなしたり、使いこなしたりするには器量もいる。
器量のないもんは、本物にしがみついていなはれ」

寺町にある、この古いお寺には先祖代々の山本家の墓がある。

お坊さんの読経も終わり、
一同そろって境内の墓地へ移ったので、
本物、安物論争はうち切られた。


~~~


・「今日び、大阪の町なかの寺に墓ある、いうのん、旧家の証拠だっせ」

長男は自慢するが、
親からオートマチックに伝わったものを自慢してもしょうがなかろう。
自分の代で旧家にした、というのなら自慢してもよかろうが。

尤も、もし私が、
山本家・株式会社山勝の家付き娘であったら、
長男のように自慢したかもしれぬが、
あいにく私はヨソから嫁入った人間だ。

威張り散らしていた舅、姑、
若いもんに威張り散らしていた、あのバカ姑め、
と今でも私はハラが立つのであるが、
大阪の上本町、中寺町にはお寺さんが多い。

大阪城が落ちて、太閤はん一族が滅んだあと、
元和元年(1615年)に大阪城へ入った松平忠明が、
市中や近くの寺々をこの辺りに集めた。

墓地は本堂の裏手にある。
ウチのお墓には「南無阿弥陀仏」とだけ彫られている。
昔ながらの古い自然石である。

「いや、この古さがまた、よろしおまんねん」

と長男は、そこも自慢する。


~~~


・私は虹色ブラウスを着て、イヴ・モンタンのシャンソンを聞く。

私はこのごろ(コンマ以下は切り捨て)、
という心境にぴったりのフレーズを思いついた。

コンマ以下とは、人の世の、もろもろ下らぬことである。
コンマ以下とは何か。

ポリエステル100%の虹色ブラウス。
香り高いアップルティ。
笑っているようなモンタンの歌声。

ポリエステルを旅行着に、というので思い出した。
パンジークラブの山永夫人と京都一泊の旅を約束している。

梅雨の時期は観光客も少なく、雨の京都もいいだろうと。
これこそ、コンマ以上のこと。

ところが、この世はコンマ以下のことばかりなのだ。
ドアホンが鳴る。長男である。

「どないしたん?急に、電話もせんと」と私。

「いつ電話しても居らへんやないか。
いったい、どこへ行ってまんねん?」

「スイミングクラブや」

「何やて、裸で泳ぎまんのか」

「モノ着て泳げるかいな」

長男の用というのは、
来月に迫った天神さんのお祭りの船渡御にお供せえへんか、
という誘いであった。
    




          


(次回へ)

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