「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

25、姥ぷりぷり  ③

2021年11月12日 09時27分07秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・そのうち、あの脇田ツネさんも、やがては一人暮らし、
一人立ちに慣れるだろうと思いつつ、
その夜、一人でシルバーエイジが一人で楽しめる、
小料理屋「魚源」に行こうと思いたった。

ここは、働き者の四十代後半の夫婦にお運びさん一、二人、
若い男の板さんもいて、きめこまやかなお料理を出してくれる。

私の好きな量もぽっちりで、美味しくて、見た目も美しい。
私はすっかり気に入って、一人でその店「魚源」を、
楽しもうと決めている。

同じものを食べるのやったら、
家で食べる方が安くつく、とか、靴のちびり方が違う、
というようになっては、老人はいよいよじじむさくなるばかり。

さて、この春先は何があるかしら?

白魚の玉子とじ。
菜の花のからし味噌和え。
赤貝とわけぎのぬた。
若狭カレイの一塩ものをさっとあぶってもらうのも春らしい。
若竹のお吸い物。
いいだこの炊いたもの。

これこそ、老春の快楽。

客すじも、物静かな客が多い。
間違っても若者は来ない。
そして、時たま、そういうことが出来る資力があるのがありがたい。

息子と同居していたら、こんなことは出来ない。

今夜の晩御飯要りまへん、などと言ったら、長男なら、

(トシヨリが一人で夜、どこほっつき歩きまんねん!)

と怒鳴るであろうし、治子はんは、

(えっ、お姑さん、私も連れて行って下さいな)

などとせがむかもしれない。次男に至っては、

(何で、出て行くねん。ワシの家のメシが気にくわん、てか)

とごねるかもしれず、道子はんは、

(その店と同じもの作りますから、その代金、頂けません?)

というかもしれぬ。

全く(アホの面倒見てられへん)というところ。

女がたった一人で、じっくり酒を酌める、
これこそ女の人生の総仕上げ。


~~~


・「魚源」ののれんは清潔で雪白でおある。
墨で黒々と「魚源」と書かれている。

戸を開けると、わんわんという喧騒。
何だ!これは。

店中に中年女が群れ、子供同士が土間で鬼ごっこをしている。

「お昼からず~っとこれです」

女将さんが私の耳元でささやく。

「お昼ごはん食べて、晩ごはんも食べるから、と言われて」

これでは、若竹汁も白魚の玉子とじも楽しめそうにない。

(アホは死んだらエエねん)というのは、
オバンのことであったのか。
ああ、オバンはキライや!


~~~


・帰ると、管理人と上杉夫人がロビーで話していた。
無理心中の二人の話である。

「男の子の方はたいした傷やなかったので、
今はせっせと女の看病してる、といいますよ」

「まあ・・・」

「前よりも仲良うなって、どうも結婚するらしいですよ」

(アホの面倒見てられへん)

しかし、よりその思いが強いのは、脇田ツネさんであった。
いつまで待っても連絡はなく、そのうちぽっと教室へ出て来た。
にこにこしている。

書道教室続けさせてもらう約束で、主人の元へ帰ったという。

「あたしがいないと、何も出来ない人ですから。
ほんとに手のかかる人で」

(アホは死んだらエエねん)腹立つ。
(アホの面倒見てられへん)私はぷりぷりする。

滝本氏と赤提灯で一緒になり、

「この世は元気なオバンばっかり、
オジンはどこにいるのでしょう?」

「オジンはお迎えを待っとるのでしょうな。一人ひそかに」






          


(了)

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