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・そのうち、あの脇田ツネさんも、やがては一人暮らし、
一人立ちに慣れるだろうと思いつつ、
その夜、一人でシルバーエイジが一人で楽しめる、
小料理屋「魚源」に行こうと思いたった。
ここは、働き者の四十代後半の夫婦にお運びさん一、二人、
若い男の板さんもいて、きめこまやかなお料理を出してくれる。
私の好きな量もぽっちりで、美味しくて、見た目も美しい。
私はすっかり気に入って、一人でその店「魚源」を、
楽しもうと決めている。
同じものを食べるのやったら、
家で食べる方が安くつく、とか、靴のちびり方が違う、
というようになっては、老人はいよいよじじむさくなるばかり。
さて、この春先は何があるかしら?
白魚の玉子とじ。
菜の花のからし味噌和え。
赤貝とわけぎのぬた。
若狭カレイの一塩ものをさっとあぶってもらうのも春らしい。
若竹のお吸い物。
いいだこの炊いたもの。
これこそ、老春の快楽。
客すじも、物静かな客が多い。
間違っても若者は来ない。
そして、時たま、そういうことが出来る資力があるのがありがたい。
息子と同居していたら、こんなことは出来ない。
今夜の晩御飯要りまへん、などと言ったら、長男なら、
(トシヨリが一人で夜、どこほっつき歩きまんねん!)
と怒鳴るであろうし、治子はんは、
(えっ、お姑さん、私も連れて行って下さいな)
などとせがむかもしれない。次男に至っては、
(何で、出て行くねん。ワシの家のメシが気にくわん、てか)
とごねるかもしれず、道子はんは、
(その店と同じもの作りますから、その代金、頂けません?)
というかもしれぬ。
全く(アホの面倒見てられへん)というところ。
女がたった一人で、じっくり酒を酌める、
これこそ女の人生の総仕上げ。
~~~
・「魚源」ののれんは清潔で雪白でおある。
墨で黒々と「魚源」と書かれている。
戸を開けると、わんわんという喧騒。
何だ!これは。
店中に中年女が群れ、子供同士が土間で鬼ごっこをしている。
「お昼からず~っとこれです」
女将さんが私の耳元でささやく。
「お昼ごはん食べて、晩ごはんも食べるから、と言われて」
これでは、若竹汁も白魚の玉子とじも楽しめそうにない。
(アホは死んだらエエねん)というのは、
オバンのことであったのか。
ああ、オバンはキライや!
~~~
・帰ると、管理人と上杉夫人がロビーで話していた。
無理心中の二人の話である。
「男の子の方はたいした傷やなかったので、
今はせっせと女の看病してる、といいますよ」
「まあ・・・」
「前よりも仲良うなって、どうも結婚するらしいですよ」
(アホの面倒見てられへん)
しかし、よりその思いが強いのは、脇田ツネさんであった。
いつまで待っても連絡はなく、そのうちぽっと教室へ出て来た。
にこにこしている。
書道教室続けさせてもらう約束で、主人の元へ帰ったという。
「あたしがいないと、何も出来ない人ですから。
ほんとに手のかかる人で」
(アホは死んだらエエねん)腹立つ。
(アホの面倒見てられへん)私はぷりぷりする。
滝本氏と赤提灯で一緒になり、
「この世は元気なオバンばっかり、
オジンはどこにいるのでしょう?」
「オジンはお迎えを待っとるのでしょうな。一人ひそかに」
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(了)