聖なる書物を読んで

現役JW29年目

人々(の)賜物

2018-08-14 | 聖書
エフェソス4:8 「・・彼は人々(の)賜物を与えた」

(の)は、訳文の意味を明確にするための補足。
他の訳では、「人々(に)賜物を与えた」となっているものが多い。

(の)と(に)じゃ、だいぶ違うよね。

その先の文脈を追うと、イエスがある者を使徒、ある者を預言者、ある者を福音宣明者、ある者を牧者また教えるものとして与えたこと、それは聖なる者たちをさらに調整して、キリストの満ち満ちた丈の高さに達するためであること、偽りに振り回されたり、あちこち運ばれたりせず、キリストの体の各部すべてが調和し協働し、それぞれが機能を果たすことで成長すること、などなど語られていく。

とすると、人々(の)賜物を、会衆において、長老だけに当てはめるのは荷が重すぎじゃないかなぁ。
というか、本当に長老のことなのかなぁ。

当時の聖霊がそそがれてた会衆での話を、今の会衆に当てはめること自体、間違ってる気がする。

もし、これを今に当てはめるとするなら、会衆のすべての人がそれぞれ神から与えられてる賜物を生かすことで、会衆の一致と成長に資する、ということでいいんじゃないかなぁ。

これまでも組織に散々言われてきたから、
人々の賜物=長老=敬意を示す、みたいな図式が頭に構築されちゃってるけど、

長老を特別扱いするような聖句の用いられ方に、違和感いっぱい。