聖なる書物を読んで

現役JW29年目

神の原則

2018-08-25 | ものみの塔
今週のものみの塔研究。
全体的に主題の「良心を訓練する」話から逸脱してて、さっぱり意味がわからなかった。

ところどころに聖句は出てくるけど、聖書を学んでる感覚には全くならなかった。
結局、言いたいことの裏付けのために、都合よく聖句を切り貼りしてるだけだから。

10節なんてひどい。
マタイ5章でイエスが教えたかったのは、「特定の考えや行動がどんな結果につながるかに関する基本的な真理」などという表面的なことではなくて、「大事なのは心だよ」って事だと思う。
パリサイ人達が規則をいっぱい作って、それを守ることで義を示そうとしたことに対して、弟子たちにはそれ以上の義を、つまり心を浄化し心から義を行うことの大切さを教えたんだと思う。

12節も読んでて呆れた。
断ってる人に飲むように強く勧めたら、いわゆる世の人だって、今時はパワハラで問題になるよね。
だいたい10節からの流れで行くなら、禁酒してる人の側から書かないとオカシイよ。
自制できないようならお酒が出そうな交わりに行かないように、とかね。

挿絵も変。もし思いがけずお酒が出てきたのなら、その時点で(コップに注ぐ前に)、飲まない人は断るべきでしょ。コップが4つあるということは、飲まないことを知らなかったってことなんだから。
大抵は、飲まないって分かれば、無理に勧めたりしないし、相手に合わせるために自分も飲まないようにするか、飲んでもいいか聞くもんだと思うよ。
これは人としてのマナーの問題であって、円熟してるかどうかなんて関係ないでしょ。

16節。「悪い友達」っていう言葉がイヤだ。
良い悪いと、上から目線で人を裁くのはどうかと。
人が良いか悪いか、ではなくて、その人の考えや行いが良いか悪いか、だから、「悪影響を受けるかもしれない友達」みたいな言葉を使って欲しいと思う。

他にもなんだかモヤモヤするところだらけだったんだけど・・
一番モヤモヤしたのは、聖書の原則を探すのに組織のツールが役立つ、というところ。

聖書を差し置いて、組織のツールを調べたって、組織の原則しか学べないよね。