聖なる書物を読んで

現役JW29年目

ヨハネ2章

2018-09-04 | 聖書
ヨハネだけが書いていることとして。

イエスがバプテスマを受けられた後、
●ガリラヤに行ってカナで最初のしるし(水をぶどう酒に変える)を行なったこと。
●その後の過ぎ越しの祭り(30年)でエルサレムの神殿を清められたこと。(ニコデモに再び生まれることについて語る)
●その後ガリラヤに行き(途中スカルでサマリアの女に命の水について語る)またもやカナで2番目のしるし(王の従者の息子を癒す)を行なわれたこと。

ちなみに、マタイ、マルコ、ルカは最後の過ぎ越し(33年)での神殿の清めのことを書いている。

最初の2つのしるしはカナで行われたんだね。


●最初のしるしは、婚宴で水をぶどう酒に変えたこと。

ぶどう酒がありません、ってマリアがイエスに告げた時、イエスはすぐにその願いを聞き届けたわけではなくて、わたしの時はまだ来ていない、って答えてる。とりあえず必要な分だけ、どこかから調達してくることもできたかもしれないけど・・・そうではなくて、奇跡によって多過ぎるほどの上等のぶどう酒を、マリアの願いをはるかに超えて答えてくださった。
これを祈りに置き換えて考えると、聞き届けられるのにふさわしい時があることや、思ってたのと全く違う形で、思ってた以上に素晴らしい形でかなえられること、神はそんな風に私たちの日常に関する祈りにも関心を払ってもっと素晴らしい答えを用意されてること、などで祈る喜びを増し加えられるかなと。

バプテストのヨハネが荒野で禁欲的な生活を送っていたのとは対照的に、そのヨハネが証ししたメシアであるイエスは婚宴に列席したりして、普通に自然に生活を楽しんでおられた様子が伺えて興味深い。


●神殿を清められたこと。

いわば単なる一庶民のイエスが、神殿でちゃぶ台返ししながら鞭ふりまわして暴れまくっているわけで・・・ユダヤ人たちからしたら、「しるしを見せろ」というのもいたしかたないかなと思える場面。
この時に、イエスはユダヤ人たちに「神殿を壊してみなさい。わたしは三日でそれを建てます(ヨナのしるし)」って言われた。実際にイエスがこう言われたことを書いているのはここだけ。イエスは宣教の初めからすでに、彼らによってご自分が死ぬこと(神殿を壊す)、そして復活すること(三日で建てる)を、彼らに‘挑戦的’に語られたように感じられる。裁判や処刑の時に、この言葉が繰り返されていることを考えると、一つのキーワードだったんだろうなと。