今週のものみの塔研究のタイトルは、「エホバの側にいる者はだれか」ですが・・・
これ、「組織の側にいる者はだれか」の間違いだと思います。
神の側にいる者には、ほぼ必要のない記事だと思いました。
神の側にいる者は、間違った考えや欲望を抱き続けないように努力しています。
神の側にいる者は、誰と付き合おうとも神の律法を守るよう努力しています。
神の側にいる者は、新しい世が来ようが来まいが神だけを崇拝しています。
なので、「以前に書かれた事柄」を教訓にするだけで良いと思うのです。
でも、
組織の側にいる者は、不道徳な考えにふけったり、兄弟姉妹に悪感情を抱き続けたりするかもしれません。
組織の側にいる者は、犠牲をささげ続けていれば不従順を大目に見てくれると思い違いをしたり、世の人や霊性の弱い人(組織基準)にすぐ影響されてエホバ(組織)の律法を軽視してしまうかもしれません。
組織の側にいる者は、新しい世が来ないと不安になって、偶像崇拝(組織基準)に陥るかもしれません。
なので結局、組織に繋ぎ止めるための内容になってしまっている。
そんなことのために「以前に書かれた事柄」を用いないで欲しいなと思います。
なんかもう・・・ほんと読む価値無い(特に10,11節!)です。
来週もイヤな予感・・・「わたしたちは組織のもの」って感じかな・・・はぁ。
ちなみに、自分の神のことを今回は単に神と表記致しました。この頃はエホバ神というと組織をイメージしてしまって、自分の抱く神のイメージと違ってきてしまっているので・・・(そろそろ末期かなw)
これ、「組織の側にいる者はだれか」の間違いだと思います。
神の側にいる者には、ほぼ必要のない記事だと思いました。
神の側にいる者は、間違った考えや欲望を抱き続けないように努力しています。
神の側にいる者は、誰と付き合おうとも神の律法を守るよう努力しています。
神の側にいる者は、新しい世が来ようが来まいが神だけを崇拝しています。
なので、「以前に書かれた事柄」を教訓にするだけで良いと思うのです。
でも、
組織の側にいる者は、不道徳な考えにふけったり、兄弟姉妹に悪感情を抱き続けたりするかもしれません。
組織の側にいる者は、犠牲をささげ続けていれば不従順を大目に見てくれると思い違いをしたり、世の人や霊性の弱い人(組織基準)にすぐ影響されてエホバ(組織)の律法を軽視してしまうかもしれません。
組織の側にいる者は、新しい世が来ないと不安になって、偶像崇拝(組織基準)に陥るかもしれません。
なので結局、組織に繋ぎ止めるための内容になってしまっている。
そんなことのために「以前に書かれた事柄」を用いないで欲しいなと思います。
なんかもう・・・ほんと読む価値無い(特に10,11節!)です。
来週もイヤな予感・・・「わたしたちは組織のもの」って感じかな・・・はぁ。
ちなみに、自分の神のことを今回は単に神と表記致しました。この頃はエホバ神というと組織をイメージしてしまって、自分の抱く神のイメージと違ってきてしまっているので・・・(そろそろ末期かなw)