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聖なる書物を読んで

現役JW29年目

ヨハネ19章

2018-11-01 | 聖書
ヨハネの福音書に書かれていないこと。

キレネ生まれのシモンに苦しみの杭を運ばせたこと。
苦しみの杭から下りて自分を救ってみろと愚弄されたこと。
第6時から第9時まで全土に闇が垂れこめたこと。
聖なる所の垂れ幕が上から下まで真ん中から2つに裂けたこと。
祭司長とパリサイ人たちが警備隊で墓の守りを固めたこと。

ヨハネの福音書だけに書かれていること。

5節。「見よ、この人だ!」。ピラトは何度もイエスを釈放しようと試みる。イエスの鞭打たれた姿(これで絶命することもあるほどの、自白を促すための拷問だったらしい)を見せる。
しかし11節でのイエスの答え「上から与えられたのでない限り、何の(杭に付ける)権限もない。わたしをあなたに引き渡した人にはさらに大きな罪がある(ピラトの罪の意識を軽くしたんじゃないかと思う)」と、12節のユダヤ人たちの叫び「釈放するならあなたはカエサルの友ではない」は、ピラトの背中を押すものとなった。
裁きの座でピラトはユダヤ人たちに、イエスのことを「あなた方の王だ」(14節)「わたしがあなた方の王を杭につけるのか」(15節)と言う。そして祭司長たちの「カエサルのほかに王はいない」という言葉を聞いて、16節「彼らに引き渡し」、「彼らはイエスの身を引き取った」。
実際に処刑はローマ兵が行なったのだから、「イエスの身を引き取った」というのは、比喩的な意味なんだろうと思う。11節でイエスが言われたこと、イエスをピラトに引き渡した人たちに引き渡し、引き取ったということで、いわばここでピラトの手を離れた。

この一連のピラトとのやり取りを読んでると、ピラトにはイエス処刑に関しての罪はほとんどなかったんじゃないかと思う。

21,22節。杭の上に掲げられた罪名に関するやり取り。ピラトはイエスをユダヤ人の王として認めていたのかもしれないなぁと。

25~27節。母をヨハネに託す。「婦人よ」と呼びかけてる。カナの婚宴での呼びかけと同じ。ヨハネの福音書に母マリアが出てくるのはこの2か所で、マリアの名は書かれてない。なぜだろう。カナでは「わたしはあなたとどんな関わりがあるのか。わたしの時はまだ来ていない」とイエスは言ってるけど・・・
(もしかしたらその当時すでにマリア崇拝があって、ヨハネはそれを否定したくて名前を書かなかったのかもしれないな)

28節「わたしは乾く」30節「成し遂げられた」。

34節。「血と水が出た」。新世界訳のマタイに、イエスの死の前に付け足しとして書かれてるけど、省いてる聖書が多い。突き刺されたのは死の後だろう。35節以下にヨハネの証の言葉が続く。

39節。ニコデモが没薬とじん香を持って来たこと。(ヨハネだけがニコデモのこと3回も書いてるw)