聖なる書物を読んで

現役JW29年目

ヨハネ21章

2018-11-08 | 聖書
ヨハネ福音書の最後の章。ヨハネは、出版するに当たりこの章を書き加えたと言われている。確かに、20章で終わったとしても違和感はない。

イエスの復活後のガリラヤでの出来事。

み使いは、墓に来た女たちに「彼(イエス)はあなた方に先立ってガリラヤに行きます。あなた方はそこで彼を見るでしょう」と告げる(マタイ28:7、マルコ16:7)。それで弟子たちはガリラヤに行く。

ガリラヤは弟子たちの故郷でもあり、イエスが活動の拠点とされていた場所で、イエスと共に過ごした日々、ここでたくさんの神の栄光が表された記憶が、弟子たちにはよみがえったことだろう。迫害におびえるエルサレム近辺に居るのとは、心持が違っただろうと思う。イエスはそれもわかっていて、弟子たちをガリラヤに行かせたのだろう。

弟子たちは、イエスの現われを待つ間に漁に出る。ものみの塔は、漁師に戻ったと言ってるけど、自分はそうではないと思う。これからに備えての、資金調達のため(捕った魚を売る)だったのではないかと。聖ペテロの魚(セントピーターズフィッシュ)とかいう名の魚もいるらしいw。

漁師の彼らが、夜じゅうかかっても何も捕れなかったのに、イエスの言葉に従って網を投じると、154匹もの魚が網も破れることなく捕れた。これだけあれば当面の資金にはなるよね(魚がくわえたスタテル硬貨にも通じる)。お腹も満たされるしね。イエスは物質的必要もちゃんと備えて下さる方。

イエスはペテロに「これら以上にわたしを愛していますか」と質問する。「これら」を魚(過去の仕事)のことだとものみの塔は言うけど、ほかの弟子たちのことだとする見解も多い。自分も後者だと思う。

ペテロは「ほかのみんながつまずいても、わたしは決してつまずかない」と豪語した。なのにイエスを3度も否認してしまった。イエスからこの質問をされたペテロは、間違いなくそのことを考えただろうと思う。でもイエスへの愛情は心からのものだった。

ペテロの答えは「愛情を持っていることを、あなたは知っておられる」。以前のように自信過剰ではない。3度目には悲嘆して「あなたはすべてのことを知っておられる」と付け加えてる。

ちなみにイエスは3回この質問をしてるけど、はじめの2回はアガパオー(新世界訳では「愛して」)を用い、最後はフィレオー(新世界訳では「愛情を持って」)を用いてる。ペテロは3回ともフィレオーを用いて返事している。(フィレオーの方が通常用いられてることばだったらしい)

イエスはペテロの答えを聞いた後、わたしの「子羊たちを養いなさい」「小さな羊たちを牧しなさい」「小さな羊たちを養いなさい」と微妙に違う言葉を出してる(他の訳には「小さな」はついてない)。それに意味があるのかどうかは分からないけど、イエスがペテロを(大きな失敗をしたにもかかわらず・・・いやその経験があったからこそ)牧者として任命されたことはわかる。

23節。「彼は死なないと言われたのではなく」
この頃には、イエスの再来までヨハネは死なない(ヨハネが死ぬ前にイエスが再来する! みたいなw)、という話が広まっていて、それを訂正したかったんだろうな、と。イエスが言われたことを踏み越えて、(ものみの塔みたいに)預言したり期待したりしたらダメだよという教訓。