昨日の記事、長くなったので分けました。
6:16
「神のイスラエル」。この言葉、新約で出て来るのはここだけ。
普通はキリスト教会のこと(この組織では霊的イスラエルつまり14万4千人の油そそがれた者たち・・・油そそがれたっていう言葉も使わなくなったんでしたっけ・・・選ばれた者たち?)であると解釈されてるけど、パウロがユダヤ人以外をイスラエルと呼ぶことはありえない、と田川氏は書いている。
なので田川訳では「この基準の側に並ぶ者すべてに平安が、また憐みがあるように。そして神のイスラエルにも。」となっている。
改訂版は「この指針に従ってきちんと歩む人すべてに、つまり神のイスラエルに、平和が与えられ、憐みが示されますように。」
田川訳では、「並ぶ者」と「神のイスラエル」が別物であることがわかるように訳されている。パウロは自身の民族であるユダヤ人のことを(クリスチャンであろうとなかろうと)いつも気にかけていた人。だから、こう付け加えたのだろうと。
写本がいろいろ違ってたり、言葉の意味の取り方や構文の解釈の仕方が幾通りもあったりする場合、どう訳すかを考えた時、田川氏は、作者の考え方や思想や言葉の使い方などを考慮した上で訳されている。
組織は、まず教理ありきで意訳している。だから、こういう違いがあちこちに出て来る。
どちらを好むかは人それぞれだろうけど、訳し方として正しいのは田川氏の方だと思う。
まぁ、この部分を見るだけでも、組織が説教材料として引用するなら、改訂版の方がずっと使いやすいだろうなと思われるw。
上にも少し書いたけど、改訂版では「油そそがれた」という言葉が「選ばれた」もしくは「(エホバが)選んだ」という言葉になっているんですね~~ちょっとびっくりです。
これも意訳ですよね。油をそそぐって、選ばれること以外にもいろんな意味を含んでいると思うんですよ・・・モーセ時代からの儀式ですもんねぇ(人だけじゃなく物にも油そそぎしてますし)・・・そのまま訳した方がいいよねぇ・・・
今後、選ばれた者たち、という言葉が使われる度に、潜在的にクリスチャン内の格差も増し加わっていくんでしょう。これも一種のマインド・コントロール。ヤダヤダ・・・
6:16
「神のイスラエル」。この言葉、新約で出て来るのはここだけ。
普通はキリスト教会のこと(この組織では霊的イスラエルつまり14万4千人の油そそがれた者たち・・・油そそがれたっていう言葉も使わなくなったんでしたっけ・・・選ばれた者たち?)であると解釈されてるけど、パウロがユダヤ人以外をイスラエルと呼ぶことはありえない、と田川氏は書いている。
なので田川訳では「この基準の側に並ぶ者すべてに平安が、また憐みがあるように。そして神のイスラエルにも。」となっている。
改訂版は「この指針に従ってきちんと歩む人すべてに、つまり神のイスラエルに、平和が与えられ、憐みが示されますように。」
田川訳では、「並ぶ者」と「神のイスラエル」が別物であることがわかるように訳されている。パウロは自身の民族であるユダヤ人のことを(クリスチャンであろうとなかろうと)いつも気にかけていた人。だから、こう付け加えたのだろうと。
写本がいろいろ違ってたり、言葉の意味の取り方や構文の解釈の仕方が幾通りもあったりする場合、どう訳すかを考えた時、田川氏は、作者の考え方や思想や言葉の使い方などを考慮した上で訳されている。
組織は、まず教理ありきで意訳している。だから、こういう違いがあちこちに出て来る。
どちらを好むかは人それぞれだろうけど、訳し方として正しいのは田川氏の方だと思う。
まぁ、この部分を見るだけでも、組織が説教材料として引用するなら、改訂版の方がずっと使いやすいだろうなと思われるw。
上にも少し書いたけど、改訂版では「油そそがれた」という言葉が「選ばれた」もしくは「(エホバが)選んだ」という言葉になっているんですね~~ちょっとびっくりです。
これも意訳ですよね。油をそそぐって、選ばれること以外にもいろんな意味を含んでいると思うんですよ・・・モーセ時代からの儀式ですもんねぇ(人だけじゃなく物にも油そそぎしてますし)・・・そのまま訳した方がいいよねぇ・・・
今後、選ばれた者たち、という言葉が使われる度に、潜在的にクリスチャン内の格差も増し加わっていくんでしょう。これも一種のマインド・コントロール。ヤダヤダ・・・