聖なる書物を読んで

現役JW29年目

あなたは宣教を十分に行なっていますか

2019-06-08 | ものみの塔
今週のものみの塔研究記事。

これだけネットが普及し、欲しければだれでも聖書が手に入る今の日本で、そもそも宣教をする必要が本当にあるのかどうかが疑問です。

この終わりの日(終わりの時代、になったんだっけ?)には、この業は天使が率先してるわけだし。

永遠の命のために正しく整えられた人(改訂版では、永遠の命を得るための正しい態度を持つ人)は、エホバが引き寄せられるわけだし。

そうじゃない人は、ネット見て眉をひそめるだろうしw。

宣教がもろ刃の剣みたいになっちゃってて、宣教することでエホバの証人についてネットで調べられて敬遠される原因になっちゃってる気もします。

でも組織としては信者を獲得するため、あるいは繋ぎ止めておくため(もしくは服従させるため)に、宣教を強調せざるを得ないというジレンマ。

もう宣教奉仕には出ない自分には、今回もどうでもいい記事ではあるんですが・・・いくつか突っ込みます。

5節。ギター弾きの例え。
なんかピンとこないと思ったら、これ、末端信者にとっては例えになってないですよ。宣教(ギター)ではお金もらえませんもん。宣教を生活の糧にしちゃダメですよねぇ・・・所詮、寄付で生活してる人が考える例えなんて、こんなもんです。

9節。パウロの模範。
パウロは独身で、イエスから直接任命されたにもかかわらず、生計を立てるための仕事をしていた時は、安息日ごとにしか宣教してなかったんですよ。これを模範にするなら、家族の頭は生計を立てるためにきちんと働き、休日は家族のために用いるべきなんじゃないかなと。

13節。生活をシンプルに。
信者の生活に口出ししてないで、まずは、世界本部をもっともっとシンプルにしていただきたい。あれが自分の宗教の総本山です、なんて、胸張って言えないですよ。いったいいくらかかったんだか・・・もし今、自分が学んであの世界本部見せられたら、めっちゃ引きますね~~~信者になってなかったと思います。
だいたい、真面目な信者は、もうこれ以上無理だって言うくらいシンプルな生活してますよ。そういう信者に感情移入することもないんでしょうね、これ書いた人は。鬼だね。

16節。奉仕の進歩。
この組織は、適材適所、という言葉の意味をもっと良く考える必要があると思います。営業が苦手な人だっているんです。個々の才能の違いを無視して、同じような兵隊になるよう訓練しようとしたって、上手く行くはずないですよ。