ここでは、使徒たちではなく(ちょこっとペテロとヨハネは出て来る)、ステファノとフィリポ(二人ともヘレニスト)の活動が描かれる。
食物の分配のために選ばれた7人のうちの二人。
ステファノは、ユダヤ教徒たちに聖書から証し(なんと3ページ分も!)し、クリスチャン最初の殉教者となった。それによって迫害がおき、弟子たちはエルサレムから散らされ、福音が各地に広まることになる。
フィリポは、サマリア人やエチオピアの宦官(聖霊を受けてないから、天には行かない人ってこと?? だとすると、当時も天に行かない人っていっぱいいたかも)に宣明し、さらにカエサレアに着くまで、行く先々で宣明する。天使や神の霊の導きで。そしてカエサレアに定住し、後に(56年頃)そこで、3回目の宣教旅行を終えてエルサレムに向かう途中のパウロを迎えた。
6:2で「十二人の者」と書いてるルカ。十二使徒って書かなかったのは、パウロのことを思ってか、マッテヤを使徒と認めてなかったからか。
6:2~4「食物の分配のために神の言葉を差し置くのは喜ばしくない」とか、「わたしたちのほうは祈りとみ言葉の奉仕とに専念する」とか。・・・まぁ、信者が増えて仕事も増えてたんだろうけど、なんかね、選民意識を感じる言葉だよね。今までは何とも思わなかったけど、ルカが描く使徒たちってなんだかちょっと変(自分の意識が変わったから?)。ルカは使徒たちがあんまり好きじゃなかったのかなぁ。
6:5「アンティオキアの改宗者ニコラオ」と、わざわざアンティオキアと書いてる。後のエルサレム会衆とアンティオキア会衆の確執を感じさせる。(考えすぎ?)
6:7「その結果、神の言葉が盛んになり」とあるから、この7人の選出は神に祝福されたってことなんだろうな。でも面白いのは、続いて書かれてるステファノとフィリポは、食物の分配人としてではなく、イエスの福音宣明者として書かれてるんだよね。で、使徒たちはというと、その後、イエスの福音宣明者としての活動など、ほとんど書かれていない。ペテロ(とヨハネ)のことは少しあるけど、イエスの福音宣明者としてというより、すでに宣明されたところに行ってる感じ。コルネリオ以外は。・・・なんかね、エルサレムの使徒たちと統治体が、良くない意味でかぶるんだよねw。やっぱり1世紀にも統治体(の精神)はあったのかも・・・www。
7:23,30。モーセの40歳のときと80歳のときと、年齢がわかるのはステファノのこの言葉から。
7:46。[特権]という言葉を補ってるけど、新世界訳の付け足しによる意訳。特権大好き統治体。
7:56「神の右に立つ」。ここだけ立つ。他は座る。ステファノが見たイエスは、立ってたんだね。
8:1。エルサレムに迫害が起きて、使徒たちのほかは皆、散らされるんだけど・・・使徒たちは何でエルサレムに残ったの????? 率先して地の果てまで宣べ伝える精神は持ってなかった????? 中央に陣取ってみんなの報告を待ってるだけ????? ・・迫害の中、エルサレムで宣べ伝えてたのかなぁ(善意の見方)。
8:2。ステファノを葬ったのは使徒たちじゃないの?????
8:18「霊が与えられるのを見た」ということは、当時は誰にでも見える仕方で霊が下ってたってことだよね。なのになぜか今は自己申告w。
8:25「徹底的に証しをして」。「徹底的に」は新世界訳の意訳。教義に合わせて意訳し放題。
8:37。形式的信仰告白が洗礼の条件になった後の時代に、「フィリポ『あなたが真心から信じるなら』と言うと、宦官『イエス・キリストは神の子であると信じます』と答えた」といった言葉が付け加えられたらしい。
新世界訳ではここは抜けてる。なのにバプテスマの時に2つの質問に「はい」と答えさせる。それが聖書的じゃないってことが分かってるのか、分かってないのか・・・
食物の分配のために選ばれた7人のうちの二人。
ステファノは、ユダヤ教徒たちに聖書から証し(なんと3ページ分も!)し、クリスチャン最初の殉教者となった。それによって迫害がおき、弟子たちはエルサレムから散らされ、福音が各地に広まることになる。
フィリポは、サマリア人やエチオピアの宦官(聖霊を受けてないから、天には行かない人ってこと?? だとすると、当時も天に行かない人っていっぱいいたかも)に宣明し、さらにカエサレアに着くまで、行く先々で宣明する。天使や神の霊の導きで。そしてカエサレアに定住し、後に(56年頃)そこで、3回目の宣教旅行を終えてエルサレムに向かう途中のパウロを迎えた。
6:2で「十二人の者」と書いてるルカ。十二使徒って書かなかったのは、パウロのことを思ってか、マッテヤを使徒と認めてなかったからか。
6:2~4「食物の分配のために神の言葉を差し置くのは喜ばしくない」とか、「わたしたちのほうは祈りとみ言葉の奉仕とに専念する」とか。・・・まぁ、信者が増えて仕事も増えてたんだろうけど、なんかね、選民意識を感じる言葉だよね。今までは何とも思わなかったけど、ルカが描く使徒たちってなんだかちょっと変(自分の意識が変わったから?)。ルカは使徒たちがあんまり好きじゃなかったのかなぁ。
6:5「アンティオキアの改宗者ニコラオ」と、わざわざアンティオキアと書いてる。後のエルサレム会衆とアンティオキア会衆の確執を感じさせる。(考えすぎ?)
6:7「その結果、神の言葉が盛んになり」とあるから、この7人の選出は神に祝福されたってことなんだろうな。でも面白いのは、続いて書かれてるステファノとフィリポは、食物の分配人としてではなく、イエスの福音宣明者として書かれてるんだよね。で、使徒たちはというと、その後、イエスの福音宣明者としての活動など、ほとんど書かれていない。ペテロ(とヨハネ)のことは少しあるけど、イエスの福音宣明者としてというより、すでに宣明されたところに行ってる感じ。コルネリオ以外は。・・・なんかね、エルサレムの使徒たちと統治体が、良くない意味でかぶるんだよねw。やっぱり1世紀にも統治体(の精神)はあったのかも・・・www。
7:23,30。モーセの40歳のときと80歳のときと、年齢がわかるのはステファノのこの言葉から。
7:46。[特権]という言葉を補ってるけど、新世界訳の付け足しによる意訳。特権大好き統治体。
7:56「神の右に立つ」。ここだけ立つ。他は座る。ステファノが見たイエスは、立ってたんだね。
8:1。エルサレムに迫害が起きて、使徒たちのほかは皆、散らされるんだけど・・・使徒たちは何でエルサレムに残ったの????? 率先して地の果てまで宣べ伝える精神は持ってなかった????? 中央に陣取ってみんなの報告を待ってるだけ????? ・・迫害の中、エルサレムで宣べ伝えてたのかなぁ(善意の見方)。
8:2。ステファノを葬ったのは使徒たちじゃないの?????
8:18「霊が与えられるのを見た」ということは、当時は誰にでも見える仕方で霊が下ってたってことだよね。なのになぜか今は自己申告w。
8:25「徹底的に証しをして」。「徹底的に」は新世界訳の意訳。教義に合わせて意訳し放題。
8:37。形式的信仰告白が洗礼の条件になった後の時代に、「フィリポ『あなたが真心から信じるなら』と言うと、宦官『イエス・キリストは神の子であると信じます』と答えた」といった言葉が付け加えられたらしい。
新世界訳ではここは抜けてる。なのにバプテスマの時に2つの質問に「はい」と答えさせる。それが聖書的じゃないってことが分かってるのか、分かってないのか・・・
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