聖なる書物を読んで

現役JW29年目

互いを愛し励ます

2018-11-10 | ものみの塔
明日のものみの塔研究記事。

ヨブ、ヨナ、エリヤが、神にどんな風に助けられて、死にたいという気持ちを克服できたのか、神が彼らを愛し生き続けて欲しいと願っていたことが、どんなことから分かるのか、そのあたりをもっと聖書から詳しく書いて欲しかったと思う。そうすれば、自ずとどう行動したらよいのか分かるんじゃないかと。

いつものことだけど、動機付け(心を動かすこと)をしないまま、エホバとイエスが望んでおられるからという脅し文句と、そうすれば祝福を得られるからという餌で、行動することばかりを求めている(個人のためのように見せて実際は組織のための行動)。これじゃあ上っ面だけの信仰になるのもしょうがない。

でも13,14,16,17節の励まし方は当てはめられると思う。よく耳を傾け、批判せず、優しく穏やかに接し、完全さを求めない。ただ、これは対人関係全てで当てはめられることなのに、組織内に限った書き方をしているのが残念。(組織外の人には宣教することばかり強調されて、それ以外の交わりは避けるように言われてるし)なんかね、閉鎖的な考え方になるよなぁ、息苦しいなぁ・・・って感じる。(組織としては、こんなに互いを思い合ってる良い組織なんだとアピールできるんだろうけどね)

15節の、聖書から慰めるというのも、相手が信者だけでなく、聴いてくれる人であるなら当てはめられると思う。だけど、組織のツールはいらない。聖書だけでいい。

それでも今回は破り捨てたくなるようなことはありませんでしたw。

11月ブロードキャスティング

2018-11-09 | エホバの証人
一応、見るだけは見ました。

・・・もう特に何の感想も出て来なかったです。

見ながら感じてたのは・・・ああまたこんな話かぁ・・・いまさらこんな話されてもなぁ・・・もうお腹いっぱいだよなぁ・・・こんな調子で1時間かぁ・・・時間の無駄だなぁ・・・なんだかなぁ・・・この笑顔うそくさいなぁ・・・

相変わらず、聖書じゃなくて、組織を学ぶためのプログラムです。組織の中の一人として、どう行動するのが良いかを学ぶための。

だんだん見てるのが気持ち悪くなってきました。この人たちと同じに見られるのはイヤだなぁと。

でも、知り合いの兄弟や姉妹一人一人は、良い人になろうと努力してる良い人たちなんですよね。それが組織になると、なぜか薄気味悪く感じるようになってしまった今日この頃。


さて。
これから組織はどの方向に進んでいくんでしょうね。ここ数年で、かなりほころびが出て来ている(天の兵車が勢いよく動いてるw)ようにも感じるので、今後はビックリするようなことが多々起きるかもしれません。
きっと信仰が試されるでしょうw。

すでに組織から心は離れているけど、先月も奉仕報告は出しました。まだ現役エホバの証人です。

ヨハネ21章

2018-11-08 | 聖書
ヨハネ福音書の最後の章。ヨハネは、出版するに当たりこの章を書き加えたと言われている。確かに、20章で終わったとしても違和感はない。

イエスの復活後のガリラヤでの出来事。

み使いは、墓に来た女たちに「彼(イエス)はあなた方に先立ってガリラヤに行きます。あなた方はそこで彼を見るでしょう」と告げる(マタイ28:7、マルコ16:7)。それで弟子たちはガリラヤに行く。

ガリラヤは弟子たちの故郷でもあり、イエスが活動の拠点とされていた場所で、イエスと共に過ごした日々、ここでたくさんの神の栄光が表された記憶が、弟子たちにはよみがえったことだろう。迫害におびえるエルサレム近辺に居るのとは、心持が違っただろうと思う。イエスはそれもわかっていて、弟子たちをガリラヤに行かせたのだろう。

弟子たちは、イエスの現われを待つ間に漁に出る。ものみの塔は、漁師に戻ったと言ってるけど、自分はそうではないと思う。これからに備えての、資金調達のため(捕った魚を売る)だったのではないかと。聖ペテロの魚(セントピーターズフィッシュ)とかいう名の魚もいるらしいw。

漁師の彼らが、夜じゅうかかっても何も捕れなかったのに、イエスの言葉に従って網を投じると、154匹もの魚が網も破れることなく捕れた。これだけあれば当面の資金にはなるよね(魚がくわえたスタテル硬貨にも通じる)。お腹も満たされるしね。イエスは物質的必要もちゃんと備えて下さる方。

イエスはペテロに「これら以上にわたしを愛していますか」と質問する。「これら」を魚(過去の仕事)のことだとものみの塔は言うけど、ほかの弟子たちのことだとする見解も多い。自分も後者だと思う。

ペテロは「ほかのみんながつまずいても、わたしは決してつまずかない」と豪語した。なのにイエスを3度も否認してしまった。イエスからこの質問をされたペテロは、間違いなくそのことを考えただろうと思う。でもイエスへの愛情は心からのものだった。

ペテロの答えは「愛情を持っていることを、あなたは知っておられる」。以前のように自信過剰ではない。3度目には悲嘆して「あなたはすべてのことを知っておられる」と付け加えてる。

ちなみにイエスは3回この質問をしてるけど、はじめの2回はアガパオー(新世界訳では「愛して」)を用い、最後はフィレオー(新世界訳では「愛情を持って」)を用いてる。ペテロは3回ともフィレオーを用いて返事している。(フィレオーの方が通常用いられてることばだったらしい)

イエスはペテロの答えを聞いた後、わたしの「子羊たちを養いなさい」「小さな羊たちを牧しなさい」「小さな羊たちを養いなさい」と微妙に違う言葉を出してる(他の訳には「小さな」はついてない)。それに意味があるのかどうかは分からないけど、イエスがペテロを(大きな失敗をしたにもかかわらず・・・いやその経験があったからこそ)牧者として任命されたことはわかる。

23節。「彼は死なないと言われたのではなく」
この頃には、イエスの再来までヨハネは死なない(ヨハネが死ぬ前にイエスが再来する! みたいなw)、という話が広まっていて、それを訂正したかったんだろうな、と。イエスが言われたことを踏み越えて、(ものみの塔みたいに)預言したり期待したりしたらダメだよという教訓。

趣味(優奈ちゃん)

2018-11-06 | 趣味
趣味のフィギュアースケート観戦です。

●第3戦フィンランド大会。

男子1位。結弦くん。ショート、フリー、合計、すべてで世界記録(とはいえ、まだぶっちぎりではないので、今後の展開がどうなるか楽しみです)。4トゥループ・3アクセル・シークエンスのコンボはなんとか着氷しました。フリー後半は疲れが見えてましたね。完璧な演技をしたらかなりの点数が出そうです。

3位。ジュンファン(ジュナン)くん。自信がついてきてるみたいで、滑りが力強くなってる感じです。のび盛りですね。これからが本当に楽しみです。カナダに続いて3位。ファイナルは難しいかなぁ・・・出れるといいなぁ。

コリャダくんは4位。ボーヤンくんは5位。二人ともジャンプが決まらなかった。残念です・・・

女子1位。ザギトワちゃん。ちょっと調子が悪かったのかな。ケガじゃなければいいんだけど。背が伸びたせいなのかなぁ・・・

3位。花織ちゃん。ショートのミスがもったいなかった。泣いてましたね・・・でもインタではもう切り替えてたみたいで、頼もしかったです。ショート7位からの挽回です。ファイナル行けるといいんだけど、どうかな。

4位。白岩優奈ちゃん。のびのび滑ってました。スピードが素晴らしい。スピードのある演技は大好物です。スケートならではの醍醐味の一つです。ジャンプの回転不足がなくなったら点数伸びそうですね。どうぞケガなく。今後に期待してます。(エントリーはこの1試合だけでした)


コリャダくんとボーヤンくんにはファイナルに出て欲しかった(出るだろうと思ってた)ので、この結果はかなりショックです・・・

今季の採点だと、ジャンプミスが結果に大きく反映されてしまいますね。今までよりもっと、ジャンプをきっちり飛ぶことが重要になった感じがします。(ジャンプが得意な選手には有利かな)


次は、いよいよ金曜日からNHK杯。昌磨くん、草太くん、知子ちゃん、舞依ちゃん、梨花ちゃんです。

ヨハネ20章

2018-11-06 | 聖書
イエスの復活を見たのは、イエスを愛していた弟子たち。人を恐れてたり、どうしていいか分からなくなってたり、信仰が弱くなってたりしていた弟子たちに、時には個人のために現われた。

一人は、マリア・マグダレネ。
ヨハネは、最初にイエスの墓に行った女性たちのうち、このマリアに焦点をあてて書いてる。最初に復活したイエスに会い、それを証しした者として。
マリアは7つの悪霊に取りつかれていた。イエスに救われるまでの生活は悲惨なもの(普通の人間らしい生活はできなかったかも)だったかもしれない。マリアはイエスを信じ追従してきた。頼れる人が他にはいなかったとも考えられる。イエスの死の時も近くにいた。
復活したイエスに、マリアはすがりつく。イエスは「すがりつくのはやめなさい。わたしはまだ父のもとへ上っていないから」と言われる。今後も目には見えなくても、いつでもそばにいるんだよ、ということをマリアが理解できるように。

もう一人は、トマス。
「(目で見るだけでなく)指をくぎの跡に差し入れ、手をその脇腹に差し入れない限り、決して信じない」というトマスのために。8日後にイエスは、「(実際にそのようにして)信じる者となりなさい」、そして「見なくても信じる者は幸いです」と言われる。
信じないと言いながらも、トマスは8日後にも弟子たちと一緒にいた。自分もイエスに会いたい、という気持ちを知っててイエスは現われてくださったんだろうなと。

復活したイエスが、父のもとへ神のもとへ上ったこと。
目に見えなくても信じること。


21,22節。「わたしもあなた方を遣わします」「聖霊を受けなさい。あなた方が人の罪を許すなら、それは許されています」
宣教するには聖霊を受ける必要があること、なぜなら宣教には罪の許しが関係しているからだ、ということがわかる。
1世紀と違って、聖霊を受けていない(自称油そそがれた者はいるらしいけどw)状態で、イエスの命令に従うためだからと理由をつけて宣教を行なうのは、もしかしたら傲慢で間違ってることなのかもしれないなぁ・・・・・と読んでて思った。

今は聖書がある。聖書を(神やイエスを)知ってもらうために語るのはいいけど、聖霊が注がれた自覚もないのに、弟子たちと同様の宣教を(エホバの証人のように)しているつもりになるのは、思い上がりなんじゃないかと。
啓示の書には、中天を飛ぶみ使いが良いたよりを全地にふれ告げてる、ってあるし、刈り取る業はみ使いが行なうんだしね。

エホバの証人のみなさん、宣教しなくても大丈夫ですよ~





グアテマラで、宣教に入っていた日本人の2人の若い姉妹が、強盗に襲われて1人亡くなりました。NHKニュースでも扱われました。
組織はどうするんでしょう・・・また無かった事にするのかな。今回はそうもいかないかな。
日本支部は「心が痛みます」とは言ってるけど「信者が自主的に外国で布教活動することが多く、今回も自主的に滞在していたのではないかと思われる」とのこと。

宣教はすべて自己責任。エホバの証人のみなさん、エホバは宣教しなさいなんて言ってませんよ~言ってるのは組織ですよ~

行なうときに幸福

2018-11-03 | ものみの塔
明日のものみの塔研究記事。

聖書から学んだことを、謙遜に適用しましょう。・・・だけでいいんじゃないかと。

なんだかイロイロ書いてるけど、信仰を培わせるものなんて何一つない。聖書中の人物の話を少し抜き出して、聖句を少し使って、いかにも聖書的であるかのように見せかけてるだけで、本屋さんにいっぱいある啓発本となんら変わらない、いやそれよりはるかに劣る内容。
これじゃ、聖書の価値なんて伝わらないよ・・・ほんと残念な記事。

突っ込みたいことはいっぱいあるけど、特にひとつ。

17節。「不当な扱いを受けた時には、ダビデのように神に祈りましょう。エホバは聖霊を与え、耐え忍べるよう助けてくださいます。難しい状況に置かれても、感情を制御し、進んで許しましょう。エホバはあなたの苦しみに目を留め、必ず支えてくださいます」

いつもやられっぱなしっておかしいでしょ。いつもやられた方が耐え忍ばなきゃいけないっておかしいでしょ。どう考えたってやる方が悪いと思うよ。「不当」な扱いなんだよ? やる方を諌めるべきでしょ。ダビデはいつだって復讐を願い求めてるよ? 進んで許してなんかいないよ?
こんなんだから、やる方はのさばるんだよ。やられた方が罪悪感に苦しむことになるんだよ。結果、病むんだよ。
こんなんだから、排斥・断絶者を無視できるんだよ(やる方になれる)。無視された側(やられた方)にばかり要求するんだよ。
ほんとイヤな気分にさせられる不愉快な文章。これを読んで、エホバが愛ある公正な神だと思える人はいないと思う。この組織が神を誤り伝えてることは間違いない。

ヨハネ19章

2018-11-01 | 聖書
ヨハネの福音書に書かれていないこと。

キレネ生まれのシモンに苦しみの杭を運ばせたこと。
苦しみの杭から下りて自分を救ってみろと愚弄されたこと。
第6時から第9時まで全土に闇が垂れこめたこと。
聖なる所の垂れ幕が上から下まで真ん中から2つに裂けたこと。
祭司長とパリサイ人たちが警備隊で墓の守りを固めたこと。

ヨハネの福音書だけに書かれていること。

5節。「見よ、この人だ!」。ピラトは何度もイエスを釈放しようと試みる。イエスの鞭打たれた姿(これで絶命することもあるほどの、自白を促すための拷問だったらしい)を見せる。
しかし11節でのイエスの答え「上から与えられたのでない限り、何の(杭に付ける)権限もない。わたしをあなたに引き渡した人にはさらに大きな罪がある(ピラトの罪の意識を軽くしたんじゃないかと思う)」と、12節のユダヤ人たちの叫び「釈放するならあなたはカエサルの友ではない」は、ピラトの背中を押すものとなった。
裁きの座でピラトはユダヤ人たちに、イエスのことを「あなた方の王だ」(14節)「わたしがあなた方の王を杭につけるのか」(15節)と言う。そして祭司長たちの「カエサルのほかに王はいない」という言葉を聞いて、16節「彼らに引き渡し」、「彼らはイエスの身を引き取った」。
実際に処刑はローマ兵が行なったのだから、「イエスの身を引き取った」というのは、比喩的な意味なんだろうと思う。11節でイエスが言われたこと、イエスをピラトに引き渡した人たちに引き渡し、引き取ったということで、いわばここでピラトの手を離れた。

この一連のピラトとのやり取りを読んでると、ピラトにはイエス処刑に関しての罪はほとんどなかったんじゃないかと思う。

21,22節。杭の上に掲げられた罪名に関するやり取り。ピラトはイエスをユダヤ人の王として認めていたのかもしれないなぁと。

25~27節。母をヨハネに託す。「婦人よ」と呼びかけてる。カナの婚宴での呼びかけと同じ。ヨハネの福音書に母マリアが出てくるのはこの2か所で、マリアの名は書かれてない。なぜだろう。カナでは「わたしはあなたとどんな関わりがあるのか。わたしの時はまだ来ていない」とイエスは言ってるけど・・・
(もしかしたらその当時すでにマリア崇拝があって、ヨハネはそれを否定したくて名前を書かなかったのかもしれないな)

28節「わたしは乾く」30節「成し遂げられた」。

34節。「血と水が出た」。新世界訳のマタイに、イエスの死の前に付け足しとして書かれてるけど、省いてる聖書が多い。突き刺されたのは死の後だろう。35節以下にヨハネの証の言葉が続く。

39節。ニコデモが没薬とじん香を持って来たこと。(ヨハネだけがニコデモのこと3回も書いてるw)