明日のものみの塔研究記事。
ヨブ、ヨナ、エリヤが、神にどんな風に助けられて、死にたいという気持ちを克服できたのか、神が彼らを愛し生き続けて欲しいと願っていたことが、どんなことから分かるのか、そのあたりをもっと聖書から詳しく書いて欲しかったと思う。そうすれば、自ずとどう行動したらよいのか分かるんじゃないかと。
いつものことだけど、動機付け(心を動かすこと)をしないまま、エホバとイエスが望んでおられるからという脅し文句と、そうすれば祝福を得られるからという餌で、行動することばかりを求めている(個人のためのように見せて実際は組織のための行動)。これじゃあ上っ面だけの信仰になるのもしょうがない。
でも13,14,16,17節の励まし方は当てはめられると思う。よく耳を傾け、批判せず、優しく穏やかに接し、完全さを求めない。ただ、これは対人関係全てで当てはめられることなのに、組織内に限った書き方をしているのが残念。(組織外の人には宣教することばかり強調されて、それ以外の交わりは避けるように言われてるし)なんかね、閉鎖的な考え方になるよなぁ、息苦しいなぁ・・・って感じる。(組織としては、こんなに互いを思い合ってる良い組織なんだとアピールできるんだろうけどね)
15節の、聖書から慰めるというのも、相手が信者だけでなく、聴いてくれる人であるなら当てはめられると思う。だけど、組織のツールはいらない。聖書だけでいい。
それでも今回は破り捨てたくなるようなことはありませんでしたw。
ヨブ、ヨナ、エリヤが、神にどんな風に助けられて、死にたいという気持ちを克服できたのか、神が彼らを愛し生き続けて欲しいと願っていたことが、どんなことから分かるのか、そのあたりをもっと聖書から詳しく書いて欲しかったと思う。そうすれば、自ずとどう行動したらよいのか分かるんじゃないかと。
いつものことだけど、動機付け(心を動かすこと)をしないまま、エホバとイエスが望んでおられるからという脅し文句と、そうすれば祝福を得られるからという餌で、行動することばかりを求めている(個人のためのように見せて実際は組織のための行動)。これじゃあ上っ面だけの信仰になるのもしょうがない。
でも13,14,16,17節の励まし方は当てはめられると思う。よく耳を傾け、批判せず、優しく穏やかに接し、完全さを求めない。ただ、これは対人関係全てで当てはめられることなのに、組織内に限った書き方をしているのが残念。(組織外の人には宣教することばかり強調されて、それ以外の交わりは避けるように言われてるし)なんかね、閉鎖的な考え方になるよなぁ、息苦しいなぁ・・・って感じる。(組織としては、こんなに互いを思い合ってる良い組織なんだとアピールできるんだろうけどね)
15節の、聖書から慰めるというのも、相手が信者だけでなく、聴いてくれる人であるなら当てはめられると思う。だけど、組織のツールはいらない。聖書だけでいい。
それでも今回は破り捨てたくなるようなことはありませんでしたw。