Mr.大江のGUITAR TREK

クラシックギターとスタートレックをこよなく愛するミスター大江のブログです。

私の宝物(その5)

2010-09-23 15:30:00 | 私の宝物
私の宝物

「David.J.Rubio」1973 (デビット・ホセ・ルビオ)


私が17才から今日まで36年間連れ添ったギターです。
いつも大切な女性と接するように?しているので傷も僅かです。

この時代のルビオは男性的と言われていますが(確かに低音は図太いですけど)
でも個人的には高音の煌めき感とギター全体の容姿から想像して
「芯が強く華やかそして繊細」な聡明な女性(IXY?)のイメージですね。



高校1年の頃、使用していたギターは中学1年の時に親に買って貰った¥8,500の
ヤマハギターです。
これも「大切な宝物」で今でも保管していますが、ギターヘッドのヤマハ印とラベルが
気に入らず、夏休みにヘッド全体に彫刻刀で「ホセ・ヤコピ」並みの模様を彫り込み
ラベルも手書きのラベルに張替えて有りました。(父親経営の工場印付だ!)

しかし余りのギターのひどさに、岸田先生がたまりかねて愛用の「河野ギター」を
1年間貸して下さいました。

当時の私は、中学生の頃から憧れのギターは「ホセ・ラミレス」です。
ヤマハ名古屋本店にギター仲間と通ってはショーケースのラミレスを眺めていました。

親には、「ギター教室の発表会でトリを取ったら買ってくれ!」 との一方的な約束だったのですが・・その約一年後、私が17才高校2年生の時に約束を果たしたので、親に了解を
貰い購入しました。

ラミレスは当時¥450,000でした。
ルビオは当時でも¥750,000 今思えば、本当に親不幸者ですね・・・感謝!。

その頃は、毎月のように東京から「FANA」の営業マンが輸入ギターを教室へ持込み
様々なギターを試奏したりしていました。

「ルビオ」は良いギターだと勧められましたが、現物が無いし私は根っからの
「ラミレスファン」なので気持ちは中々切り替えれません。

ラミレス好きから「ルビオ」を好きに成るために「ブリーム」の写真に写るルビオを
ズーッと眺めていると写真のブリームが「どうだい!このルビオは!!」と語りかけてくるような変な錯覚も有りましたね。

ある日、東京店に「ルビオ」が有るという事で、東京へ岸田先生と一緒に実物を弾きに
行きました。(本当に感謝です)
お店にはたまたまルビオがもう1本入荷したとの事でその2本から選びました。

その時の印象は、当時のギターは殆んど樹脂塗装全盛期でピカピカのギターが多い中で
ケースの生地が側板に写し出したザラザラの表面でした。
今でいう「セラック塗装」です。

ラミレスと比べるとちょっと雑い印象でしたが、おとなしくも何処か気品が有る姿でした。
岸田先生がバッハのプレリュードを弾かれた時の何とも気高い響に感銘し即座に
私の相棒に決定したのでした。



私のギター歴40年のほとんどを「ルビオ」と過ごした
数々の出来事は私の大切な宝物と成っています。

帰りの新幹線で手にした「ルビオ」を早く弾きたい心を我慢して帰ったこと。

数々の思い出の演奏会。

レッスンの楽しみと苦しみ。

コンサートの緊張感と達成感。

左指骨折の絶望感。

リハビリの日々。

ギター復帰への喜び。

好きな曲を演奏出来る喜び。

今も響き合う二重奏の喜び。

「Rubio」様

これからもどうぞよろしくお付き合いお願いします!


私の宝物 (その4)

2009-11-02 19:50:00 | 私の宝物
 「ジョン・ウィリアムス」直筆サイン

やりました!

遂にジョンのサインをGETしました!!
東京までコンサートに出掛けたもののサイン会が無ければどうしようと
数日前からとても心配でした。

ジョンは「ファンサービスが絶対いいに決まっている」と思っていましたが
さすがです。

でも、あのサイン会に参加される人の多さには驚きました。
前日と翌日の大阪公演。三日連続のコンサート、こんなにも多くサインしてたら
指がシビレてしまうのでは?・・・と思う程ですが。

そんな事は何十年もの間ギター界で常に先頭を走り続けているジョンにとっては
何の障害にもならないのでしょう。
むしろ翌日へのエネルギーにしているのかもしれませんね。

サインを戴き「サンキューベリーマッチ!」とお礼を伝えると、ジョンはコクリと
頭を下げてくれました。

その時のあの大きくやさしい目、にこやかに微笑むスッキリ澄んだ笑顔はジョンの
演奏そのままではありませんか!・・なるほど!・・納得・納得・大納得です!!

サインを戴いた喜びの余り、手が震えて買ったばかりのジョンの来日記念CDを
3回もコツン・コツンとロビーに落としてしまいCDケースが割れてしまいました。

「何やってんの!」と相方に叱られながらもサイン色紙を大切にカバンに入れて無事
名古屋へ帰宅しました。



いづれにしても本当に思い切って東京に行って良かった!最高だった!と心から思う。

あんな大きなホールなのに、たった一本のギターから奏でられる音楽とは思えない程の心地よい空間の広がりはCDでは決して味わえない経験です。

これは決して大げさな表現では有りません。

6年前の来日の折にジョン自らNHKの番組インタビューの中で
「CDなんてこの世に無い方が良い!生の演奏をもっと聴く事が大切だ!」
と語っていました。

なるほど、ジョンのコンサートでは演奏者と聴衆が同じ空間で音楽という言葉を使って時間を共有する正に「心と心・生命と生命の対話」なのだと実感する事が出来ました。

私が10代の頃より憧れた夢のギタリスト「ジョン・ウィリアムス」

ギター仲間と何時までも語り合ったギタリスト「ジョン・ウィリアムス」

コンサートの朝、東京へと向かう車中より冠雪輝く富士山を望み

帰路での旨いビールの味と東京での数々の思い出と共に

この「ジョン・ウィリアムス」直筆サイン。

今日から新たな「私の宝物」として大切にして行きたいと思います。


私の宝物

2009-09-13 23:27:00 | 私の宝物
友人来たり!
土曜日の夕刻、中学生からの友人でギター仲間の「新君」がギターミュージック
クラブの見学に東京から、わざわざ来てくれました。(感謝です)

昨年、東京での合奏フェスティバルでの対面以来で、駅で待ち合わせて彼に会った
途端・・一瞬にして若き時代に戻ったように脳細胞が変わります。

人間って本当に不思議なものですね~っ!
これは、一番の若返りの秘訣かもしれない?(お互い頭髪はギリギリか!)

早々公民館へ案内しメンバーを一人一人紹介しました。
そして新君の帰省に岸田先生も駈け付けて下さり近況を語り合いました。

その後、クラブ練習に参加してもらい合奏にも合流、たまたま公民館に来館中の
6~7名の一般客の方々が練習を覗かれたので、そのまま着席して頂き練習したて
の合奏を聞いて頂きました。

ちょうど、ギターミュージック合奏団常任指揮者に就任したばかりの「IXY」さん
が指揮練習を兼ねて3曲を指揮しました。(とても初々しくて・・思わず笑顔)

クラブ終了後、皆で喫茶店へ移動し会話・・その後更にカラオケへ移動・・
熱唱!また・・熱唱!!・・。
会話も堰を切ったようにしゃべりまくる・・。

早朝5時終了・・まだまだしゃべり足りないけれど私は今日(日曜)の午後から
アンサンブルクラシカの練習です。
新君も午後からスケジュールが有りお互い最低限の休息が必要なのだ!(気持は若いが)

年末の12月26日「ギターミュージッククラブ発表会」の出演を新君に依頼して
再会を約束しました。

AM5時30分 甚目寺駅にて握手して別れる・・・。

友人とは本当に良いものだ、肩書きも仕事も環境も何も隔てるものなど無いから。

ブログの副題「ギター大好き仲間との楽しい語らいの旅」

心から思う・・素直に語り合える仲間たち・・これが「私の宝物」なんだと・・・。


私の宝物 (その3)

2009-08-08 00:45:00 | 私の宝物
「オスカー・ギリア」直筆サイン

人の脳は不思議です。
さっき会った人の名前すら覚えられない自分なのに・・。
30年以上も前の記憶を一つ思い出すと当時の事が次々と頭に浮かんで来ます。
このサインはオスカー・ギリア36才、3度目の来日の時に頂いたものです。

岸田ギター三バカトリオ初の外国人ギタリストのコンサートであり、3人が
揃って行く高校生活最後のコンサートでも有りました。
この後、それぞれの進路へと別れて行く時期で、とても印象に残っています。

1974年
名古屋市民会館でのコンサート終了後、もう誰もいなくなった市民会館の正面
玄関周辺でサインを貰おうと約30分程、三人でフラフラと歩いておりました。
もう中からは誰も出て来ないようで半分諦め掛けていた時、玄関中央から人影が
現れました。

それは、ラミレスで有名な貿易会社の当時まだ黒髪だった荒井社長(現会長)と
大きなコートを纏った、オスカー・ギリアと2人が一緒に現れたのです。

若かった私たち3人は色紙とマジックを持って駆け寄りサインを要求しました。
そのとき友人の新君が荒井社長に「あなたの音楽はとても美しい!」とギリアに
伝えて下さいとお願いしました。

荒井社長が快く英語で通訳したら、ギリアはしゃがみ込んでんでサインを書き
ながら間髪入れず「ソ・ウ・デ・ショ・ウ」と私たちに声を発したんです。
いったい何を言ってるんだ・・?と思ったが直ぐに理解しました。

片言で「そうでしょう!」と日本語で答えたのだ!!
何という洒落の効いた髭面のオッサンだ・・と思いましたね。

後日、コンサートの事を友人三人で語り合ったとき、友人の新君が悔しそうに一言
「荒井社長に通訳をお願いしたけど、イタリア語じゃなくて英語だったぜ!
英語なら自分でちゃんと伝えれたぜ!!」と言っていた事を思い出しました。

面白かったのは、コンサートでのギリアは現在のようなギターレスト(当時は無い)
は使わず何よりギリアは当時から大きなお腹なので足台に乗せた左足のズボンの裾が
上がりその下の黒い靴下が演奏中にズルズルと下がって来るのが見えてとても
ユーモラスで演奏中も靴下がとても気になりましたね。

また、時に何処からともなく声が聞こえて来るんですが・・何かと思ったら
ギリアが鼻唄で旋律をなぞりながら演奏するなど色々ビックリした話題で会話が
弾みました。

その会話の中でも「ゴヤのマヤ」の演奏は独特の香りのある曲で、絶妙のリズム感と
間のとり方、落ち着いた中に「ハッ」とする歌いまわしの名演奏に3人とも驚嘆の
感想でした。

シンプルな中にも堂々と詩情を歌う彼の演奏スタイルはセゴビアを彷彿と
させるまさに王道とも言える演奏でした。
後年アリリオ・ディアスなどの個性ある外国人ギタリストも聞きましたが
基本的に真面目な演奏ながらも一番印象に残っているのは何といっても
オスカー・ギリアです。

Mr.福田氏共演

現在ギリア71才、「YouTube」でも数少ない映像を見ていると「マスター
クラス」でセゴビアから真剣にレッスンを受ける若きギリアの姿が有ります。

その曲目が40~50年経った今もコンサートの中心的レパートリーで有り
曲想もセゴビアの指導を大切に継承しながら、より洗練した演奏を視聴する
に付け、ギリアには心からセゴビアの弟子としての喜びと誇りが有るんだな
と私は感じております。

Mr.福田は、ギリアの愛弟子であり8月の現代ギターには「最後の巨匠」と
言われています。
ジョンやブリームのような華々しさは無いけれど、彼の生演奏を耳にすると
知らず知らずの内に真摯な楽曲の世界へ引き込まれる紛れもなく堂々とした
音楽の世界観を持った巨匠ならではの演奏だと思います。

また彼は、何より現在ギター界をリードする最も多くの若手、中堅ギタリストの
師匠でもあり名教授でも有ります。

セゴビアお気に入りの弟子と言われているステファノ・グロンドーナですら
ギリアに直接指導を受けており、その内容たるや後年の講習会の語り草になる程の
真剣勝負の熱烈な公開レッスンを行っています。

CDの枚数・TV映像の数なども少なくて、余り派手な印象はないけれども
まさに「いぶし銀」の輝き。

世界中に教えを授けた弟子を数多く輩出し今も尚、後進の指導に全力で
取り組んでいる指導の達人ギタリスト。

「弟子の優秀さを見れば師匠の偉大さが解かる」とは、ある偉人の言葉・・。


「オスカー・ギリア」現在のギター界でマエストロと呼ばれるにもっとも
ふさわしいギタリストだと思います。

音楽の解釈・展開・表現法・演奏技術・・・etc。
是非一度はレッスンを受けたい巨匠ギタリストです。

イタリア、キジアーナ音楽院・・・行きたいですね(観光だけでも)・・。

オスカー・ギリアの直筆サイン。

若き日に頂いた大切な「私の宝物」です


私の宝物 (その2)

2009-06-14 18:05:00 | 私の宝物
「ジュリアン・ブリーム」直筆サイン

このブリームの直筆サインはコンサート終了後のサイン会で頂いたものです。

二度とコンサートで聴く事の出来ないギター界の至宝とも言えるギタリスト。

ギターの表現の枠を越えた音楽家「ギター100選」著者の近藤敏明先生(談)

2002年に惜しまれながら引退したギターの巨匠「ジュリアン・ブリーム」との
出会いと私の印象を語りたいと思います。

「ジュリアン・ブリーム」このギタリストの名前を知ったのは私がクラシック
ギターを始めて6年目の頃でした。
高校1年の夏、ギタークラブの先輩から岸田ギター教室(現在音楽教室)を紹介して
いただきその当時教室で使用していた教則本に「現代最も進んだギターの構え方」
として写真付きで紹介されていました。そのブリームの写真は髪の毛は綺麗に
ウェーブしており、イギリス紳士・貴公子といった雰囲気でした。

2年後、最新レコードのジャケットを見て愕然・・!綺麗なウェーブの髪は無く
少しだけオデコの中央に髪が残っている・・「離れ小島」・・のような風貌の変化に
まるでサギに遭ったような感覚を今も覚えています。(自分の髪もかなり危険!)

そして中学から一緒にクラギを弾きだした二人の友人を岸田門下に誘ってからは
三人でギターの勉強に没頭しました。そんな日々の中でセゴビアのタッチと共に
研究したのがブリームの演奏姿勢だった事を思い出します。(その教則本で悪い姿勢
の見本写真が、腰痛持ちの今の私には一番楽な姿勢に成っていますが・・賛否?)

教室で始めて聞いたレコードのブリームの演奏は極めて印象的でセゴビアとも
イエペスとも全く違った演奏スタイルで「いろんな音色にちょこちょこ変える落ち
着きの無い演奏だな!」と最初は感じましたが、聴けば聴くほど新鮮な印象を受け
るブリームの演奏はどんどん引き込まれて行きます。

その頃から特にブリームの弾くバッハの曲にすごく引かれるように成り、その曲の持
つ構成・解釈と共に曲の中に潜むドラマチックな風景・物語を感じるようになり自分
の背中にゾクゾクとする感覚や胸にグーッと来る感情を体感するように成りました。

ロマンティックな曲では音色そのものに哀愁があり、リズミカルな曲では生き生きと
した命の躍動を感じます。「チョット乗りすぎ!」って時もありますが・・そこが
とてもブリームらしい。



この表現と乗りの良さの原因はこの79年のコンサートを実際に聴いて初めて解り
ました。(現在はDVDが有るので良く解ります)

セゴビアもイエペスもジョンもギリアも演奏中は時々頭を動かす位で殆んど身体を
動かす事は有りません。ただ淡々と弾くスタイルが多い中で、ブリームは顔の表情
から演奏姿勢まで自由に表現していました。

心に染みる真摯な曲は演奏姿勢も静かに・・リズミカルな曲は身体も弾むように・・
ブリーム独特の伸びる美音を響かせる所は、会場の聴衆に向って「どうだい!こんな
綺麗な音が君に出せるかい?」と言わんばかりに流し目を送る。(杉良太郎か?・・
・・まさに役者だ!)
襟を正す神聖さと弾むような面白さ楽しさを表現するリュート/ギタリスト。

楽譜の中に眠る作曲者の心に演奏者の心と自分の心が感応して行く感覚に
これが「生きている音楽なのだ!」と気付かせてもらったと思います。

引退した後も、現在活躍するギタリストに数々の影響を与え続ける正に歴
史に名を残す音楽家「ジュリアン・ブリーム」

その歴史的巨匠に頂いた「直筆サイン」と共に

サインの順番を待つドキドキ感・・
思ったより小柄な体格・・
バイタリティーある応対・・
元気ハツラツ!上下に激しく揺する熱い熱い握手・・
私が緊張して「サンキューベべリーマッッッッチチッ」と噛んだこと・・
それを友人に笑われたこと・・・
そしてあのコンサートで聴いた心に届く澄んだ音色・・

これらの記憶の数々・・これが「私の宝物」です。