愚石庵

日々思う愚にもつかぬところをぼちぼちと。(ほぼ)毎日更新だけが取り柄。

木村英造氏

2017年02月20日 | 

リチャード氏にコメントで教えられた浜田伸郎氏を検索しているとき
たまたま偶然、木村英造氏が昨年三月十四日に亡くなられたとの情報に接した。

木村英造氏は紀村落釣と言う名前で釣の友誌に登場されていた。
あの山本素石氏とノータリンクラブで長らく活躍された後
淡水魚保護境界を設立、外来魚から淡水魚を守る運動を続けられた。

94歳で亡くなられたとのこと。
大正11年のお生まれとあるから、素石さんの三歳下。

毎晩枕元に釣の友誌を置いて寝たのが高校時代のことだから
ノータリンクラブ全盛の時代ももう50年も前の事。

木村氏が四十代の頃だったわけだ。

木村氏は大阪で書店を営みながら49歳で財団法人淡水魚保護境界を設立。
その後、私財を投じて淀川水系外来魚対策基金を設立。

生涯を通じて淡水魚保護に尽力された。

が、私の中では、ノータリンクラブの落釣さん。
洒脱なお人柄が懐かしい。

今、明治生まれの人は殆ど居ないが、こうやって大正、昭和、平成を
生きた人も少なくなっていくのだね。

   -春の嵐の日

 

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淡路島の思い出

2015年04月07日 | 

今やBBQと言えばアウトドアの定番のように言われるが
むかしは、それが飯盒炊爨だった。

漢字では難しく書くのだね、ハンゴウスイサン。(^^;

大体何処の家にも飯盒があって、それでご飯を炊く。
薪の直火が基本。炊き上がったら飯盒を逆さにしてしばらく置く。

おかずは、カレーが定番。(^^;

小学生の頃からこれをやっていたので飯炊きは上手になった。(笑)

以下、以前書いたような気もするのだが、加筆修正ということで、、。(^^;

高校を卒業した春休みに、友と二人でこの飯盒をもって自転車で淡路島一周を計画した。
4泊5日。内三泊はユースホステルを予約。一泊は野宿を予定。昼は飯盒で自炊。
コンビニなんてなかったので、メシは自分で作るのが当たり前の気分だった。(^^;
自転車には炊事道具の他釣り道具一式をくくりつけて。(^^;

交通渋滞をさけて早朝5時出発。
ひどく向かい風の強い日で、甲子園にたどり着くまで二時間。

そのあと、一回目のパンクやらなんやらで明石にまでまた二時間以上。
やっとフェリー乗り場に到着。ここで初めて自転車で海を渡る。(^^;

岩屋に着いて、感動の初めての海外に足を下ろす。
なんてったって関西人には淡路島は海外なのだ。(笑)

が、ここからが地獄だった。
海岸線は平らとの予想に反してアップダウンの連続。

自転車は変速なしのママチャリ。
友の自転車は三段変速。遅れを取る。しんどい。(^^;

なんとか100キロを走破して夕方五時に洲本到着。
一日目の宿はお寺のユースだった。一泊1500円也。(^^;

二泊目は福良の公営ユース。
ここでペアレントの厳しい毛布たたみチェックを受ける。
うるさいオッサンだった。(^^;

三泊目が丸山の海岸洞窟での野宿。
ここでの釣りが一番釣れた。他は皆目ダメ。(^^;

釣ったメバルを焼いて飯盒飯を喰らう。
余りのご飯はメバルと一緒に握り飯にした。

新聞を重ね着して寝ていたら寒くて目覚める。

ふと見ると、野ねずみが大事な握り飯を囓ってやがる。とほほ。

次の日は雨の中を郡家に。
最後のユースは元旅館だったようで、メシが頗る旨かった。

ここで出されたボラの付け焼きは、今でも記憶に残る旨さ。(^^;
前夜の寝不足からすぐに爆睡。

最終日は再びフェリーに乗って明石へ。

帰り道は例によって早かった。
甲子園からあっと言う間に戻ってきたような、、気がする。

我が人生で初めての海外旅行は、しんどくて寒い淡路島一周だったが
一番記憶に残る旅行でもあった。

この時、同行した友人は小学から高校まで一緒だった親友。

その彼が亡くなって13年以上になる。

あの時の話しを一緒に出来る相手が居なくなった。
連れ合いを亡くすと言うことはこう言うことかな、とも思う。

 

ps:
記事をUPしてから写真がなかったかと探したら出てきた。
やはり物持ちがいい。(^^;

           こんな格好で行った。(^^;

      

                 飯盒で飯を炊く。

     

          洞窟での寝姿(^^;

         

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アセチレンランプ

2011年06月07日 | 

夜八時頃に野池でまだ釣りをしている人が居た。
昼間は大勢の太公望が並ぶが、もうすっかり暗くなった池にまだ糸を
垂れているのは余程の釣り好きか?

そして何気に昔の自分を思い出した。
人が帰った釣り場に一人残り、遅くまで竿を出すのは常なることだった。(^^;

そして夜釣りで思い出したのがカーバイドの匂い。

春になるとメバルのランプ釣りという風物詩のような釣りがあった。
高校の頃だからもう50年近く前のこと。

あの頃、夜釣りのランプと言えばカーバイドを使ったアセチレンランプだった。
当時は夜店でもこのランプが使われていた。

炭化カルシウムCaC2に水を垂らすと発生するガスに火を灯す。
ま、がスランプですな。

ところが、これが臭い!
あの硫化水素温泉の匂いがするのだ。
卵の腐った匂いと言おうか、、。(笑)

火がついてしまえば匂いも消えるのだが、
最初ナマのガスが出る時にやたらと臭い。

しかし、あの匂いこそが夜釣りの匂い、かつ夜店の匂い!

つまり、懐かしい匂いと言うことになる。
久しく嗅いでいない。懐かしいなぁ。(^^;

 アセチレンランプとは如何なるものかと興味有る方はここをごらんあれ。

 

さて、本日の一枚は、「風に吹かれて」 。

 

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ネットの凄さ

2010年03月01日 | 
暇なときはグーグルマップで世界旅行を楽しむことがある。
エジプトへ出かけて空からピラミッドを探したり、アメリカのハイウエイを走って
ストリートビューで景色を楽しんだり。(^^;

居ながらにして世界中何処へでも行けるのは素晴らしい。
ただ残念なのは、高精度の航空写真は地域が限られることと
いつまで経っても、季節が変わっても景色が変わらないこと。(笑)

で、たまたま昨日、昔住んでいた東京のアパートを空から探していた。
景色はかなり変わっていたが、部分的にかつての面影を残すところもあった。

自分のアパートは駐車場になっていた。

で、ふとその頃、偶然渓流釣り場で知り合ったあるデザイナーのことを思い出した。

その人を初めて釣り場で見たとき、地下足袋に菅笠という如何にも玄人風
出で立ちもさることながら、手にしている渓流竿の見事さに目を奪われた。

もう30年も前の話ではあるが、当時既に釣り竿の主流はグラスからカーボンに
移っていた。一瞬、その竿もカーボンの新しい製品かと思った。

が、尋ねてみると、それは銀座東作の竹竿だった。
そして、その人の竿さばきも竿に劣らず見事だった。

私は、状況によって人見知りする場合と、平気で他人に話しかける場合とがある。
釣り場では、なぜか全く人見知りしない。同行の志と思うからだろうか。
その時も全く抵抗無く見ず知らずの人に話しかけたのだった。

その日、半日をその人と共に釣行し、なぜ釣れないか、仕掛けから流し方、
釣りに対する心構えまでみっちり教えを請うた。
言われることは全てなるほどと思えることだった。

以後、お宅にまでお邪魔するようになり、何度も食事をよばれたりもした。
兄のようでもあり、釣りの師匠で在ったその人と何年お付き合いさせて貰っただろうか。
しかし、私が東京を離れてからは、行き来もなくなった。

その人の名前を忘れるはずもなく、昨夜、名前で検索してみた。

ネットは凄い。
その人の活動も、その人のことを書かれたブログもネットにはあったのだ。
もともと著名な仕事を手がけておられたから、検索すればすぐ分かるとは思っていたが、
顔写真もあったのには驚いた。

30年経っても少しもお顔に変わりはなく、少し頭に白いものが増えられたかな
という感じ。(^^;

懐かしいやら、あれ以後の活躍振りに感動するやら、、。

ネットの凄さを再確認するのだった。



さて、本日の一枚は「相棒」。(^^;





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ねずてん

2008年11月30日 | 

「ねずてん」をやっと手に入れた。
大人の絵本とでも言いましょうか、原作山本素石、作画男鹿和雄。



山本素石氏は渓流釣りをするひとなら誰もがご存知であろう、
釣り師であり随筆家であった人。
男鹿和雄氏は「となりのトトロ」などのアニメーション美術監督、挿画家。


ねずてんは、素石翁の原文を男鹿氏が絵本にしたもの。
戦後間もない頃、和歌山県は龍神村でのお話し。
「ねずてん」とはねずみのてんぷら。

ねずみのてんぷらがどうしたのか?
ま、渓流釣りの夜話と申しましょうか、、。
詳細はアインズ社のサイトに詳しく詳しく書かれてあります。
しかし、詳しすぎます、本を買わなくても良くなるくらいに。(^^;

もっともこの本、なかなか入手難でamazonでも中古しかない。
しかも偉くお高くなって出品されている。
実はある所にはあって定価で買えるのだけど、、。(^^;

帯には吉永小百合さんが「美しく温かい」と表しています。
そう、何故か「昔」は温かい。

原文は40ん年前に読んでいる。当時、素石さんの文にはまった。
まだ純真な?10代だったから素直に温かさに填ったのかも知れない。
その温かさを再び、、。


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数珠子釣り

2008年11月16日 | 

いやぁ、初めて目にしました。
鈎の無い釣り!

NHKBSで放送された「日本釣りの旅」に登場。
松島湾のハゼ釣りはこの数珠子釣りで大物を釣る。

仕掛けにはハリがない。
太めのアオイソメの胴体に木綿糸を糸通しで通す。
3匹縦に通したもの二本を数珠のようにして撚る。
これを道糸の先端に付けた錘に結ぶ。

釣り方はそのアオイソメを付けた錘で海底を静かにこづく。
すると、どん欲なハゼがアオイソメを飲み込む。
餌が太いので飲み込ませたまま仕掛けを上げるとハゼが着いてくるという寸法。
数珠のような餌で釣るから「数珠子釣り」。

ハゼが食いついてからの仕掛けの上げ加減が腕の見せ所。
早くても遅くてもハゼに逃げられる。

鈎に掛かったわけではないから、釣り上げられたハゼは元気に泳ぐ。
活かして帰ることができる。

これ、面白そう。(^^;
やってみたいけど、20cm以上の大ハゼでないと餌を飲み込めないからなぁ。
そんな大きなハゼが近場にいるかどうか。

宮城県までハゼ釣りに行くほどの元気もないし。(笑)
しかし、大ハゼの天麩羅、旨いだろうなぁ!


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並継ぎヴォルガ

2007年10月12日 | 
最近まったくと言っていいほど釣りには行かなくなったが、
釣り道具だけは未だに手元に置いてある。
先日、荷物の整理をしていて出てきたのが、知る人ぞ知る「並継ぎヴォルガ」!
高校生の時に買った2本目の投げ竿だ。

最初に投げ竿というものを買ったのは、ダイワの名もない2.1mの竿。
中学生の時で、これはもっぱらハゼ釣りに活躍した。
これに飽きたらず、高校になってやっと本格的な投げ竿を手に入れたのが
オリンピック社のヴォルガだった。長さは3.6m。
値段はたしか3500円程だった。今から40数年前のこと

この竿は夏のキス釣りや、冬のカレイ釣りに長年活躍してくれた。
もっともあまり釣果には恵まれなかったが。

竿の購入後、しばらくしてガイド数を減らし大口径にすると言うのが
流行った。その方が飛距離が伸びるというのだ。
早速、それを実行し、今でもガイドは当時のままになっている。
今なら、竿の材質もリールの性能もラインそのものも進化して
100m以上投げるのは当たり前かも知れないが、当時は100mが
夢だった。
記憶では80mはコンスタントに投げていたけど100を越したことはない。
誰に習うわけでもなく自己流の釣りだったから、そんなもんだろう。

竿にはあたり竿というのがあって、なぜか良く釣れる竿とそうでないのとがある。
このヴォルガは良く釣りには持って行ったけど、不思議なほど釣れなかったように思う。
それでも今見ても愛着がある。
もう使うこともないのだろうけど、処分する気にはなれない。

かくして、思い出と称す過去への執着から不要品の山が増えていく(^^;


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釣り人気質

2007年03月03日 | 
3月の声を聞くとあちこちで渓流釣りが解禁される。
所によっては既に解禁済みとなっているが、いずれにせよ資源保護のため産卵期を禁漁にするわけだ。
今年は異常ともいえるほどの暖冬で、各地で雪がないという話が聞かれた。
雪のために入渓出来ず、ということも今年はあまりなかったのだろう。

山女魚や岩魚などの渓流魚は神経質で人影を見ると隠れてしまう。
それで、先行者のいる渓では殆ど釣りにならない。
海の釣りなら、グループでワイワイと釣行することもあるが、渓流の場合は
そんなことをしては全く釣りにならない。
だから、一緒に出かけてもそれぞれ別々の支流に分かれたり、竿を出す順番を決めて
交互に釣り上がったりすることになる。
歩かなければ釣りにならないので、とにかく歩く。
しかも音に、気配に気をつけながら足下は滑らないように、そして夏ならマムシを踏まないように、、。(笑)
山釣りは緊張の釣りとも言える。
こういう釣りでは、釣りの前後はともかく、現場で釣り師の友達が出来ることはまずないだろう。

これが海釣りとなると、腰を落ち着けて一カ所でねばることが多く、事情がかわる。
中には磯も渓流もやるという釣り師もいるが、普通はハッキリと好みが分かれる。
独断と偏見で言えば、渓流釣り師は繊細で、文筆家風。
一方、磯釣り師はどちらかというと豪放な雰囲気。
どちらもこなす人は世渡り上手! 
これ、あくまでも独断ですからね(笑)

10代の頃、電車で海釣りに通っていた時期がある。
いつもだいたい同じ程度の釣果があったが、ある日、20mほど離れて釣っている人が
さかんに竿を曲げていた。圧倒的な腕の差がある。
こういう人は竿のさばきに年期がでており、釣り姿が美しい。
思わず、その釣り師の側に行って教えを請うた。

こう言うとき昔の釣り師は、皆さん驚くほど親切だったがこの人はとりわけ親切だった。
鈎とシズの大きさ、ハリスの長さ、餌の付け方、流し方、、全て詳しく手ほどきしてくれた。
おかげで、その日はいつもより思いクーラーを担いで帰ることとなった。

帰るときに挨拶に行くと、その人は車で来ているから一緒に帰ろうと言ってくれた。
帰り道でコーヒーをご馳走になり、昔は極道だったという話を聞いたりもした。
もう40年も前の話である。

最近、釣り人口が増え、近場の海は秋のシーズンなど相当な混雑らしい。
同時にマナーが悪いという話もよく耳にする。
人と知り合えるということが釣りの楽しみであった時代もあったのだ。
釣りは漁ではない、ともよく言われた。

「少なく釣って多く楽しむ」(かつての釣の友誌標語)
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