愚石庵

日々思う愚にもつかぬところをぼちぼちと。(ほぼ)毎日更新だけが取り柄。

くうる

2012年11月26日 | 介護

11月ってこんなに雨が降るのか、そんな事を思う今日も雨降り。
しかも量が結構多い。

我が畑には恵みの雨と言うより過湿の雨。
もうしばらくいらん。(^^;

さて、爺さんの最期をみて改めて思うのは、人は食べられなくなるとダメだなぁということ。

これは以前から話しには聞いていた。
しかし、現実に口元に運んでいっても首を横に振るのを目にすると実感を伴う。

何故食べられなくなるのか、理由は色々あるのだろうが、
やはり誤嚥による苦しさが一番大きいように思う。

その誤嚥の原因は飲み込む力がなくなること。
つまりこれも老化による筋力の衰え。

で、これを防ぐのが「くうる」ではないかと。(^^;

 動く
  笑う
   喋る

とにかくじっとしていては衰えるばかり、なんでもいいから身体を動かす。
マメに動けってことだ。

そして、とにかく笑う!喋る!
ま、順番はどうでもいいのだけど。(^^;

そうそう、カラオケもいい!

独居老人の多くは日常殆ど話すことがない。
話しをしないと本当にアゴや咽の筋力が衰えるらしいのだ。

実際、ウチの爺さんも食べられなくなるのと口数が減るのと同時だった。

笑う喋るは惚け防止の基本でもある。

あのぎんさんの娘さん達を見ればよく分かるけど、
喋って笑うことがどれほど老後に大事なことか。

老人が笑うことってなかなかないのです。

最高の介護は笑う環境を作ってあげることかも。(^^;

 

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医療行為

2012年11月17日 | 介護

爺さんが亡くなってからいろんな人と介護や看護の話しをした。

同じ様な経験をした人も多く、病院で家族がしたいけど許されない行為、
例えば、痰の吸引とか、口腔ケアなどについて同じ様な感慨を抱かれていた。

痰の吸引は医療行為であるから規則としては医師、看護師等資格在る人間だけに許されるものだ。
が、例外的に家族に許される場合がある。「違法性阻却事由」というものによるらしい。

家庭で介護している場合には、仕方なく家族が医療行為をせねばならぬ事もあり、
それを許容するためのものだろう。

しかし、入院中は看護師が居るので、普通は許さない。
看護師は多数の患者を相手にしているので、1対1で付き添っている家族とは
患者との接触頻度が全然違う。
だから、家族としては、自分にやらせてくれたらもっと細かなケアができるのに、と思うことが少なくない。

吸引を看護師がしたって、人によって技術に差があるから下手な人がすると
気管を傷つけて出血させることが少なからずあるのだ。
そんなんなら自分にやらせてくれと思う。

また、酸素吸入していて口がカラカラに渇いているからちょっと湿らせてやろうとすると
それは家族がしてはダメと杓子定規に言われる。

この程度のことを家族にやらせようとしないのは
下手なことをされて責任追及されたら困ると考えるからだ。

看護師がやりますから用のある時は呼んで下さいと言われる。
が、何度も看護師を呼ぶのは気が引けるものだ。

きめの細かなケアも家族ならではこそできるのだ。

看護師は医師の指示の元でしか動かないし、
常に責任回避が最優先され、患者や家族の求めていることは二の次三の次になる。
そんな風に見えることが多い。

今後の課題は、医師、看護師、家族の三者が旨く連携した看護システムを作ることだと思う。

責任逃ればかりが横行するこの時代じゃ無理な話かも知れないが。

 

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感謝

2012年11月07日 | 介護

本日、無事、父親の葬儀を終えました。 

結局は逆流性肺炎で亡くなったわけですが、入院後の経過が良かっただけに、
もう少し注意深く、時間を掛けて栄養を胃に注入してくれていれば
こんな事にならなかったのかも。そんな思いも無くはない。

鼻からチューブで栄養を摂らせるという選択肢を取ったことが悔やまれます。

しかし、あのまま点滴だけで体重が減り続けば、どこまで持ったのか、
それも分からないこと。

逆流性肺炎を起こしてからの数日は、酸素マスクをつけたまま
強い風圧の中で喘ぎ喘ぎかすかな呼吸をしていました。

三日の夜に危ない状態になった時、家族が手を握ればまだ握り返す力が残っていました。

朝までそんな状態が続き、看護婦さんの「よく頑張られましたね、朝を迎えることが出来ました」
との言葉を聞きながら、こんなに苦しそうな表情をしているなら、しんどいだけかなぁ、と考えていました。

と、同時に、1600ccの点滴に対して尿は僅か100cc。
その差が身体中に残りむくみとなってきたわけです。

その頃には手を握り返す力も無くなっていました。

どうせ駄目ならこんな点滴も無意味ではないかとの思いから、
少なくとも尿と同量まで点滴を減らして欲しいと看護婦さんに訴えました。

休日のことで当直の医師に聞いて貰ったが、
この判断は主治医でないと出来ないと断られました。

爺さんには「もうええよなぁ。よく頑張ったもの。もうやめて貰って楽になっていいよな」と耳元で泣きながら言いました。

その言葉に答えるように、血圧が落ちていき脈もかすかになっていき、
およそ一時間後に永眠しました。

その後、身体を奇麗にして頂くと、あんなに苦しそうだった顔が
見事に安らかな表情に変わり、驚かされました。

介護、看護中は面倒くさいなぁと思うことも少なからずあり、
特にまだ元気だった頃は、我が儘爺さんメと思ったことも度々あります。

しかし、後になってみれば、あれも聞いてやればよかった、これもしてやれば良かったと
思うことがいっぱい出てきます。介護とはそんなことなんだと知りました。

如何に老い、如何に死んでいくか。
そんな命題と示唆を貰ったような経験でした。

この経験が生かせれば一番の供養ですが、
なかなか難しいことでしょうね。


ここ数日、頂いたコメントは毎日読ませて頂いておりました。
たいへん心の支えとなりました。
改めて感謝申しあげます。
ありがとうございました。

 

 

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ご報告

2012年11月04日 | 介護

本日朝、爺さんが永眠しました。

最後の一週間は、かなりしんどかった様子。
「爺さん、もう十分頑張ったからもうええやろ」という言葉に応えるように息を引き取りました。
病気以降、最後まで素直にこちらの言うことを聞き入れてくれました。

今はとても安らかな顔をしています。

ご心配頂いた皆様方にお礼申しあげます。
ありがとうございました。

 

ここ数日、ブログはお休みさせて頂きます。
よろしくお願い致します。

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延命治療

2012年11月02日 | 介護

入院当初に延命治療について確認があった。

「希望しません。本人もそういう意向でした」と答えた。

しかし、考えてみれば今当たり前のようにしている酸素吸入だって広義の延命治療ではないか。
そう思い至って自問してみた。

結局、「本人の意識がある間は、最善の治療を目指して欲しい」。
これが、改めて医師に依頼したことだ。

肺の機能が低下すると、酸素を取り込めなくなり脳への影響も出てくる。
そして意識も朦朧としてくる、と医師は言う。

今のところ意識はある。
かすかに言葉に反応するし、手を握ると意外な力で握りしめてくる。

が、昨夜から視力は無くなったようだ。

一方で心臓への負担が重なり、血圧が低下しだした。
昨日は70台まで下がり危険域に。
しかし、これも何とか持ちこたえて90まで上がるようになってきた。

今日は、以前躊躇して鼻から栄養を摂ることにしたあの大腿部の血管から点滴を入れることにしたのだ。
これが功を奏したのだろうか。

また血中酸素濃度は数字で刻々と表れるので、
酸素の取り込み状況がすぐ分かるようになっている。

90と70の間をいったり来たりしていた。
今夜は80台後半で一定してきたので、早めに帰ることにした。

このまま回復傾向にあればいいのだが。

 

 

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霜月初日

2012年11月01日 | 介護

寒い。
この時期、こんなに寒いのはあまり記憶にない。

自転車に向かい風。しんどい。
そんな季節になったのだ。

夕方病院へ行く。
一進一退。あまりよくない。

11時過ぎ帰途へ。
空には月のまわりにUFOのような星?

見た人居るかな。

 

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月末

2012年10月31日 | 介護

今日は京都に出かけていて夜七時に帰ってきた。

爺さんの調子が悪いと言うことで帰宅後すぐ病院へ。
昨日まで返事があったのに、今日は何を言っても答えないと姉が言う。

が、何のことはない補聴器のスイッチが入っていなかったのだ。

容態の方はと言うと、血中酸素濃度が低い。
時に70台まで落ちる。

酸素吸入はmaxの毎分20Lまで上げてある。
素人目には酸素の風圧が強すぎて返って呼吸しにくいように見えるが、これで行くしかないと言われる。

痰が絡んで空気がうまく肺まで届いていないようだが、
吸引もそう再々はできない。

それでも吸引後は酸素濃度が90まで上がることがある。
しかし、長くは続かず70台に落ちたり又戻ったり。

酸素濃度が低いと意識も朦朧とするはずなのに、意外としっかり返事したりする。

11時を過ぎてようやく80台をキープできる様子が見られたので
今夜は帰ることにした。
本人の生命力に期待するのみ。

 

 

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CRP値

2012年10月30日 | 介護

身体のどこかに炎症があれば上がるというCRP値。
通常は0.3とか0.2(mg/dl )以下らしい。

入院当初、爺さんのCRP値は13を超えていた。
それが一ヶ月後には2まで下がってきた。喜ばしいことだった。

それが先週末から急に上がり、また13という値を示すようになった。
原因は逆流性肺炎。

その顛末はこうだ。

誤嚥が激しいのでほぼ点滴だけで一ヶ月を過ごした。
点滴で摂れるカロリーは基礎代謝の半分ほど。
当然体重も落ち、体力は低減する。

点滴を入れる場所を大腿部や首の太い血管にすればもっと高カロリーを注入できるが、
今の手足からでは血管への負担がかかりすぎ限度がある。

が、太い血管への点滴もリスクがある。
患者自身が点滴を抜くこともあり、そこから細菌感染した場合、
一気に体中に広がり敗血症の恐れがある。

そんなこんなでやはり、食べ物を摂取しないと体力は回復しないだろうと
嚥下指導者の管理の元、少しずつ食べ物を口に運んだ。

が、ゼリーの様なものでも殆どたべようとしない。
すぐ首を横に振る。

で、鼻からチューブを入れ直接胃に栄養剤を流し込むことにした。
先週末のことだ。

しかし、案じたことが起こり、胃から逆流してきた物が肺に入って
肺炎を引き起こした。所謂逆流性肺炎。
これは胃ろうでも心配されること。

結局一ヶ月かかって回復してきたのが二日ほどで元に戻ってしまった。

しばらくは、元の点滴のままで回復を待つしかない。
その後、どうするか、難しいところだ。

 

 

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一週間経過

2012年09月25日 | 介護

爺さんが転院して丁度一週間。

先週まではなんとか口から食事を摂っていたが、
誤嚥が激しいと言うことで今は点滴のみ。

口から食べられないと言うことは薬の服用にも支障があり、
さりとて点滴から注入できる薬には制約があるとのこと。

少し元気を取り戻したようにも見えるが、まだまだ道のりは遠い。

血管が弱っていてちょっとしたことで内出血を起こす。
点滴の注射針もかなり刺しにくい様子だ。

最近はこんな内出血を見ても驚かなくなった。
こちらも慣れてくるのだ。

誤嚥のリハビリもやって貰っているので
なんとか口から食事が取れるようになればいいのだが、、。


 

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介護と看護

2012年09月21日 | 介護

介護と看護。言葉の意味の違いはネットでググって頂きたい。

看護と言う言葉は子供の頃から慣れ親しんだものだが、
介護というのはそれよりずっと馴染みが薄い。

介護という行為そのものは以前からあったのだが、
介護保険という法律が出来てから、この言葉がやたらクローズアップされるようになった。

今や、介護とは介護保険を如何に使うかが主なテーマになっているように見える。

因みに、介護保険のもと、ヘルパーさんに来て貰ったり、デイサービスに行ったり、
介護ベッドや車いす等の用具を借りたり、そんなことが1割負担で出来る。

当然、無限に予算があるわけではなく、介護等級に応じて使える予算が決まる。

法律の杓子定規なところは、この分野でも遺憾なく発揮されていて、
例えば、ヘルパーさんの仕事に生活援助と身体介護があり、
料理や掃除洗濯なら生活、オムツを替えたり風呂に入れたりすると身体介護となり
これまた料金が異なる。
そして、生活援助の場合、利用者が使う部屋の掃除はいいが、
庭の植木に水をやるなどと言う行為は、平たく言えばしてはいけないことになっている。
それは利用者の生活に直接関係しないからだ。

極端な話、庭の草木の生長を楽しみにしている高齢者が自分で水撒きが出来ない場合、
黙って枯れるのを待つしかない。

まぁ、そんな介護保険ではあるが、その目的の一つに家族の負担軽減があることは違いない。

今まで数年介護保険のおかげを被り、有りがたいことだと思ってきたわけだが、
本人が入院してみれば、その手厚い看護に驚くこととなった。

相手が病人とはいえ、看護には完全に介護が含まれる。
そしてその質も高い。

それまで、入院すると呆ける。人は自分の家の畳で最後を迎えるべきだ。
そんな偏狭な?考えから入院は最後の最後の選択肢だと思っていた。

「入院当初は家族が付き添って、ここは安全な場所だという気持ちを持たせれば
呆けることはない」という在宅主治医の言葉に背中を押されたわけだが。
こんなことならもっと早く、一ヶ月前に入院させてやれば良かったと心底思う。

但しだ、病院は選ばなければならない!
お仕着せの紹介された病院に甘んじてはいけない。
これは違う、と思ったらすぐ行動に移すべきだ。

これも介護、看護の大事なポイントだ。

 

ps:UPしてから気づきました。カウンターが10万の大台に乗りました。
どなたがキリ番ゲットされたか存じませんが、ご訪問感謝。
10万こそは何か記念品をと思ってましたが、諸般の事情により次回まで
持ち越しと言うことにさせて頂きたく、ご了承下さいませ。m(_ _)m

 

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転院

2012年09月19日 | 介護

今日は朝から爺さんの転院。

9時過ぎに救急車到着。

救急車に乗るのは4度目だろうか。
いずれも自分が搬送されたのではないが。

新しい病院に向かう時はサイレンを鳴らしていたが、
そこのけそこのけ感が辛い。

が、意外と車道を走る車もしたたかという感じは否めない。

救急車の中で、例によって尋問?が始まった。
既往症、入院歴、アレルギーの有無、、。

病院を変わるたびに同じ質問を何度もされる。
カルテの情報は伝達されるけど、こう言う基本情報は
その都度聞かれるのが不思議でならない。

こう言う情報の共有が成されるのはいつの日か、と思う。

さて、新しい病院に移ったわけだが、
処方される薬に殆ど違いはないが、看護の質と密度が全然違う。

さすが公的病院、と言うべきか。

心配なのは環境の変化による呆け促進。
今日はほぼ一日付いていたけど、夜寝たときにどうなるかだ。

居心地が良くなったと喜んでくれれば有りがたいのだが。

 

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朗報

2012年09月18日 | 介護

金曜日にあわや門前払い寸前だった病院から今朝電話あり。

「先週末に急に退院予定の決まった患者がいて空きベッドができた。
ついては、明日午前10半に入院されたし」とのこと。

今週は退院予定がないと聞いていたので、どうしたものかと
案じていたのに、これを聞いて憑きものが落ちたような気分になった。 

次の心配は搬送方法だった。

現在入院中の病院には車無し、搬送先の病院も同じ。

じゃぁ、どうするのかというと、専門の搬送業者があるらしい。
「ただし、これは非常に高額です」とのこと。
家族の車で搬送も有りだが、あまりお勧めではないようだ。
第一寝たきりの病人を運ぶ車は無い。

最後は消防署の救急車。
しかし、転院の場合、家族が電話してもダメ。
現在入院中の病院から要請して貰わないといけないらしい。

今までのいきさつ上、このお願いはしにくい。

困ったなぁ、背に腹は替えられないから高額業者に頼むしかないか、と
思っていたら、入院中の病院の看護師さんが電話をくれた。

「明日はこちらから救急車を頼みますから、時間に間に合うように来て下さい」とのこと。

有りがたい。

これで一応準備は整った。
あとは明日午前中に無事転院が終わることを祈るだけ。

 

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敬老の日

2012年09月17日 | 介護

今日は敬老の日だったんですね。

少し前までは嫁いだ姉達も一堂に集まって父親のお祝いをしたものだったが、
徐々に一堂に集まることも難しくなり、そして今年は本人が入院中。

ベッドで看護師さんに流動食の夕飯を食べさせて貰っていたが、
二口ほど食べてもう要らないと首を振る。

「食べないと元気にならんよ、もう少しだけ貰ったら?」と言うと
コクリと肯いた。

それでもそこまで。
これで夕飯はお終い。

痰が絡んでいるのと入れ歯を外しているので言葉が出にくいが、
顔を近づけて「どないや?(大丈夫か?)」と言うと、
「だいじょうぶ」と何とか聞き取れる言葉を発した。

なんとか話が出来るのがありがたい。

 

さて、久し振りに蔵出しの写真など。 九月の空

 

 

 

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父のこと

2012年09月16日 | 介護

今でこそ、毎日のように見舞いに行っているが、
父のことは永らく好きではなかった。

子育てに関心の有る方ではなかったので、遊んで貰ったという記憶が薄い。

今でもはっきり覚えているのは、小学生の時に野球を一度したこと、
5年生のこどもの日にグローブを買って貰ったこと、
夏休みには 一日だけどこかへ連れて行って貰ったこと。

これだけが記憶に残る。
後は放任。

進学の時も相談したことはないし、就職も事後報告で終わり。
相談相手ではなかったし、むしろ完全放任が有り難かった。

成人してからお互いの価値観も趣味も好みもことごとく違っていたので、
親が好きなんてとても言えなかった。

向こうも可愛い子だとは思っていなかったはず。

好きではなかったけど、戦中戦後の混乱期とても貧しい時代に
なんとか子育てをし、家庭を維持してきたその事実は有りがたいことで
感謝する気持ちは十分にある。

ま、それが普通だとは思うけど。

男の親子はライバル、とよく言われる。
わが家も長年そんな雰囲気があった。

そして、今、圧倒的弱者としてベッドに横たわっている姿を見ると、、、
言葉につまる。


爺さん!もう少しだけ頑張ってくれよ
あの頑固さで、、と言いたい。

 

 

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一週間の猶予

2012年09月15日 | 介護

爺さんが入院している病院で、遅くとも一週間以内に出てくれと言われた。

転院希望を延べ、既に紹介状も画像データも次の病院は受け入れ態勢であるものの、
満床故、入院空席待ちという状態。

だからそれなら早く出ていってくれと言うのも分からぬわけではないが、
先方になかなか空きが出なかったら仕方ないではないか、と普通はなるのだろう。

しかも、治療法が気に入らないといっているわけじゃなく、電動リクライニングから
一転して堅いフラットなベッドに寝かせるのが可哀想という物理的理由が出発点。

でも、もう次の予約を受け付けたので一週間以内に出よと言うわけだ。

こちらだって早く出したいよ、できることなら。

一方、本格的治療が始まって依頼、薬の影響か本人に極端に力がなくなった。
うつろな目をして、こちらの言葉に肯くだけ。
三日前までは聞き取りにくいながらも声を出していたのに。

やはり相当副作用があるようだ。
この治療が9ヶ月続くのが普通とか。

どう考えてもそんな治療に耐えきれる体力は無い。
ならば、何のためにこんなきつい薬を飲ませねばならぬのか。
このままなにもせず放っておいてやった方が本人には幸せじゃないのか?

そんな、気がしてきた。

高齢者には完治を目指さない医療ってものがあってもおかしくない。
そんな風に思うようになってきた。

 

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