2011年9月7日水曜日の夜明け前。
のどが渇いたので水を飲もうと思い
一階に降りるべく階段へ。
このとき、二つの勘違いをしていました。
後から思えばとても矛盾した勘違いなのですが、
事故の原因なんて突き詰めれば
合理的に説明のつかないことの方が多いのでは、と思います。
水曜日は勤務先の定休日なので
前の夜、一階のリビングでゆっくりTVを観ながら飲酒。
そのまま寝込んでしまった、
と思い込んだというのが第一の勘違い。
にもかかわらず階段へと向かったという矛盾。
結果、真っ暗な中、
一歩踏み出した足の先には奈落が。
気が付いたのは医療センターの救急治療室。
固いカラーで首を固定されて天井を眺めていました。
救急車で運ばれて、
CTスキャンやMRIで検査されたと知ったのは
後から聞いた話。
頸椎の3・4・5番損傷。
かなりひどい状態で手術するにも
二週間の絶対安静が必要とのこと。
当初、ベッドで運ばれたのは6人部屋。
首から下の神経が途切れていて
手足が全く動かないので
ナースコールをするためのマイクロホンをセット。
しばらくはその状態で天井を睨むしかなかったのですが、
エアコンの効きが悪くて暑いし、
人の出入りがあって落ち着かないし、
一番気になったのは
同部屋に見舞いに来た子どもの動向。
我慢できずにせめて手術の日までと
個室に変えてもらいました。
個室での二週間。
これは60年間生きてきた中での一番の苦痛でした。
「絶対安静」。
首から下の神経が途切れているので
動こうにも動けないのですが。
首には固いカラー、鼻には酸素ボンベから管が、
両腕には点滴、尿道には導尿の管。
動けといっても動けないのですが,
ベッドで天井の一点しか見られない日々。
鼻が痒い、頭が痒いなどとナースコールするのも
頻繁にするのは気が引けるし、じっと我慢。
我慢、我慢、我慢、我慢、我慢、我慢。
一週間目にはもう限界と、回診してきた先生に
「気が変になりそうなので何とか手術していただけないでしょうか」。
直訴するも当然のごとく却下。
我慢、我慢、我慢、我慢、我慢、我慢。
手術の朝、看護師さんが洗髪をしてくれました。
もちろんベッドに寝たままですが、
涙が出るほど気持ちが良かったなぁ!
手術前、担当の医師が家族(嫁と母)に説明。
「相当ひどいので、生涯寝たきりは覚悟しておいてください」。
その後、私に向かって
「せめて車椅子の生活ができるようにリハビリを頑張ろうね」。
ベッドごと手術室へ。
全身麻酔のためのマスクで口と鼻を塞がれ
数を数えているうちに意識が遠のいて……。
to be continued