続いては、1998年8月の終航時点まで甲子園フェリーが使用していた埠頭と旅客ターミナルの2023/5時点の様子を報告します。
2023/5/21付ブログ記事「本四海峡バス大磯港バスターミナル廃止後の様子」で紹介した淡路市役所南バス停から南方を見た様子。向こうに見える建物が甲子園フェリー終航時点の旅客ターミナルの建物です。ちなみに、手前の標識の「津名港ターミナル」のアイコンが航空機をイメージしたものになっているのは、明石海峡大橋開通直後に津名港が関空への高速船のターミナルとして活路を見出そうとしていた名残です。(実際には2001年末までも持ちこたえられませんでしたが)
近所にある道路標識は、文字を消した跡がありありと残ります。いずれも、上側には「大阪湾フェリー」、下側には「甲子園フェリー」と書かれていたようです。2枚目の標識の場合、上側は青いシールを貼っているので「大阪湾フェリー」の文字が透視できますが、それより早い段階で削除した下側は青いプレートを被せたので透視不可能です。
ここには、かつて「甲子園フェリー」かその関連の広告看板が設置されていたものと思われます。そして、その脇に見える古びた青い小型看板には・・・
「甲子園フェリー」の文字が明確に残っていましたとさ。
もと旅客ターミナルの建物には、以前は「ダリオ・カフェ」のほか美容室も入居していたようです。そして、敷地内につながるコンクリート舗装に、うっすらと文字が書かれているようです。
「↑料金所」と書かれていました。もちろんフェリーに乗船する車両用の料金所ですが、コンクリート舗装だからこそ終航四半世紀経過後も残ったのでしょう。
明石海峡大橋開通前の繁忙期には、この広大なエリアが乗船待ちの車両で埋め尽くされていたのかも。現在のこのエリアの所有者や用途は定かではありませんが、少なくとも「関係者以外立入禁止」の掲示は見当たりませんでした。写真撮影中に兵庫県警のパトカーがやってきましたが、警察官から特に声を掛けられることなく、パトカーはエリアを一巡りして去っていきました。
こちらは可動橋や機械室の残るフェリー埠頭跡。淡路島に本社をおく海底ケーブル敷設を主要業務とする会社「関海事工業所」の作業船が停泊していました。
(つづく) 次は大阪湾フェリー跡地です。