玉陽庵 算命学ブログ

★ホームページ★
スマホ版 https://gyokuyouan.com/sp/index.html

未来を知るのはズルじゃないの?

2014年10月25日 | 算命学 あれこれ
この世で苦労することは、誰でも避けたいと思うでしょう。
ただ、何の苦労もしていない人は人間的には成長しません。
だからこそ、昔の人は「若いころの苦労は買ってでもしろ」と言ったのでしょう。

こんな話をしていて、ある質問を受けたことがあります。

「算命学で未来を占い、色々な試練を事前に知って逃れてしまったら
それは成長の機会を無くしてしまうことにはならないですか?」

人生は修行の場。
なのに、降りかかってくる試練を先に知るのはズルになるのではないかと、
とても誠実なその方は思ったようなのです。

「避けられる苦労なら、ことごとく避けて通りたい!」という
お気楽タイプの私には、目から鱗のご質問でした(笑)

算命学では、確かに色々な災厄やトラブルの種を予見することはできます。

ただ、折よくそのような出来事が起きそうなタイミングで
お会いできる方と、お会いできない方がいらっしゃいます。

仲の良いお友達でも、どんなに重要なアドバイスをしたくても
どうしてもタイミング良く会えず、アドバイスが間に合わないことがあります。

また、せっかくお会いすることができても、現実的な問題で
完全には避けるのが難しい場合もあるのです。

最近、しみじみと感じるのは、「この世に偶然はない」ということです。
これはよく祖母から聞かされた言葉で、この世の出来事には必ず理由があり、
色々な巡り合わせで起きていることなのだから、良いことには必ず感謝をし、
悪いことにも起きた理由があるのだから、真摯に受け止めなさいということ。

ものすごく久しぶりにお友達と会ったり、最近知り合った人とたまたま算命学の話になったり。
こんな時に、「ああ、この人は何かに導かれて私の元にやってきたのだな」と
感じることが良くあります。
おそらく、守護をされているその方のご先祖様が、具体的な警告を私の口から言わせるために
導いたのだと、そう思うのです。

アドバイスを言いたくても言えないのとは、逆の例ですね。

私たち占い師は、どんなに未来を占うことができても
目の前に導かれることのない方には、決してアドバイスすることはできません。

その方にとってどうしても必要な試練が降りかかる場合、
その方は占い師の元にはたどり着きませんし、たとえたどり着いても
完全にはその試練を避けることはできません。

おそらく、その試練こそが、その方の成長には欠かせないからでしょう。

逆に、避けて良い難の場合にのみ、私たち占い師はアドバイスが許されるのだと、
私はそう思います。

だから、もし占いで未来の危機を告げられ、対処法を示されたなら
悩むことなく実践してくださいね(^^)
その難は「避けて良い難」ですし、決してズルではないですから(^^)



【玉陽庵ホームページはこちら】
http://www001.upp.so-net.ne.jp/gyokuyou-an/

【ご質問、お問い合わせはこちら】
gyokuyouan☆gmail.com
(☆を@にかえてくださいね)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする