人生長いといろいろなことに遭遇いたします。
最近は特にまさかが頻繁になっています。
そのうちまさかと言う言葉は使わなくなるのかも知れません。
既にご紹介済みで、我が家だけの家宝?です。
お曼荼羅と言って、慶応二年にいただいたものです。
身延山の五重塔を建立する時に、それなりのご寄進(寄付)をした時の領収書みたいなものです。
大政奉還の有った時代、154年前になります。
若き日(21歳)、ホワイトハウスの前でパチリです。
当時の大統領はニクソン氏だったと思います。
2020年秋は誰になるのでしょうか?
初めて月面着陸したのはアポロ11号でした。
アポロ13号も順調に飛行しており、あす月面着陸すると書かれた記事(日系人向けの新聞)です。
一人旅で3か月かけて、北米一周しました。
その時のグレイハンドバスとチケットです。
ベルリンの壁が崩壊したのは、1989年11月9日です。
ベルリンは東京都くらいの面積で、東ドイツのど真ん中に西ドイツがあったことになります。
絶対に崩れることのない壁が崩壊したのです。
それは30年前になるのですね。
世の中が変わると、単身でベルリンを訪れました。
国境検問の手違いから?両ドイツは一つになったとうわさがが流れたそうです。
壁がどんどん取り除かれていますので、残っている壁がどこにあるのか分かりません。
ベルリンの日本総領事に電話して、どこが残っているのか聞いてみました。
では、総領事館まで来なさいとなって、偶然総領事にお会いし実情を話したところ運転手付きで総領事の車を出していただけるとのことでした。
運転手さんの名は忘れましたが、パチリさせていただきました。
その時、持ち帰ったのが壁の石です。
2011年3月、突然仕事場(東京)の建物が揺れました。
この時は、友人のY崎さんも事務所に来られていた時です。
東京でも路面やビルも大きく揺れていました。
テレビを付けると、東北地方を中心に大きな地震災害が発生し、大津波が押し寄せている光景を目にしました。
その後、仕事の関係で大船渡市や陸前高田市を7度ほど伺いました。
最初に現地に入った時は目を疑う光景です。
まるで映画のセットのように破壊された町になっていました。
線路も駅舎も跡形もありません。
その時、線路から離れた道端に枕木を止める、犬釘が落ちていました。
本来は持ち帰ってはいけないモノだと思いますが・・・。
一本は磨いて、自室に飾っています。
もう一本は、自然に風化する状態を見ていたかったからです。
ちょっと高台で直接津波の被害は少なかった碁石海岸がありました。
そこで、拾った海岸の石です。
碁石のように見えるので、碁石海岸と名付けられたのでしょう。
発災直後は泊まれる場所はありません。
たまたま、大船渡出身の職場の先輩が故郷に戻られ生活をしていましたので、お訪ねし泊めさせていただきました。
高台でしたの津波の被害は少なかったようです。
ご親切に甘えさせていただきました。
津波被害があった水溜りで、カルガモの親子が生存していました。
ホッとする一枚です。
震災のなどの画像を振り返って見ると、空しい気持ちにもなります。
人生にはいろいろなことが付き物ですが、自宅の品を見てはその場面を思い出しています。
そうそう!これも歴史的な品になるのかも知れません。
使わずに大事に保存して置きます。
yuki72
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます