磯輪日記

世界の段ボールビトを幸せに!
自分と自分の愛する家族の幸せのために働ける
世界一社風のいい会社を目指しています。

いにしえのご縁の復活

2010年11月13日 16時55分47秒 | MY FAMILY

父が亡くなった直後、

 「葬儀用の遺影を準備して下さい」

と突然言われました。

途方に暮れていたら、父が親しかったある方が、

 「『万一の場合、使ってもらう写真を用意した』

  という話を聞いたことがあります。
  てっきり息子さん(私)にはお話してると思って
  いましたが・・・」

それを聞いて、すぐ家捜ししました。あちこち探していると、
クローゼットの中に『英一写真』と父の手書きのメモが付いた
大きなビニールの袋が見つかりました。

中を開けてみると、見つかったのが、

          

この写真でした。

でもそれ以外にも、

 「この写真もよくとれていますので入れておきます」

というやはり父の筆跡のメモと一緒に数枚の写真が入っていました。

スナップ写真もありましたが、今どき珍しい白黒の、それもプロが撮った
ような大きな写真も数枚ありました。





  

正装した遺影とは違った、また会社での姿とも違う、自宅での普段の
父の様子が、実に見事に表現されています。


この写真を見て、しばらく前のことを思い出しました。

週末に、自宅で過ごしていたら、何やら父が玄関で誰かと長々と立ち話を
していました。

 「一体何やってるんだろう?」

と不思議に思っていました。かなり経ってからその来客が帰ったようなので、

 「どうしたの?」

と父に尋ねると、

 「昔、ISOWAが取引していた吉田砲金っていう会社があって、
  そこのおばあさんが孫と一緒に来たんだ。

  その孫っていうのが、大学院で写真を勉強していて、年寄りの
  写真を撮るっていうテーマに取り組んでいて、

   『ぜひ磯輪さんの写真も撮らせて下さい』

  で、今まで写真のモデルをやってた」

その時は、「へぇ~」で終わったんだけど、父が亡くなった今となると、
その時の写真がいかにも貴重で、あまりにいい写真だったので、何とか
ネガなり、デジタルデータが手に入らないかと考えました。

するとラッキーなことに、写真と一緒に名刺が入っています。

 「オオ! 天の助けだ」

早速、その名刺の主に電話をしてみると、

 「ああ、磯輪さんですか! お父様がお亡くなりになったと
  祖母から聞きました」

で、撮影時の経緯などを聞かせてもらい、写真のデータを頂けないかと
頼んだら、

 「ちょうど今度の週末に祖母の家に遊びに行くので、
  その時ぜひ伺わせて下さい」


そして、今日、この作品を撮ったカメラマンのYくんと、お祖母様が
二人で父のお参りがてら、写真の焼き増し分、データを届けに来てくれ
ました。

Yくんは名古屋学芸大学の院生で、吉田砲金さんの一族。
おまけに、聞けば、Yくんのお母さんは、私の弟の保之と小・中学校の
同級生だそうです。

そんなYくんに撮ってもらった父の写真が、おそらく亡くなる前の最後の
それもこんなに生き生きとした生活感あふれる普段の父の様子をとらえて
いたとは。

そしてそれを撮影してくれたYくんやそのお祖母様と、こうして会える
ことができるなんて。

おまけにそれが15年位前に廃業するまで、長らくISOWAがお世話に
なっていた吉田砲金さんの一家だったとは。

父が我々を出会わせてくれたんですね。本当にありがたい、うれしいご縁
です。


父の写真を撮ってもらうばかりじゃ申し訳ないので、今日は、逆に私が
お二人の写真を撮らせてもらいました。


 「人物の写真を撮ることで、いろんな人とコミュニケーション
  したい」

というYくん。

 「それなら、Yくんの勉強も兼ねて、ISOWAの社員のポート
  レート撮影をお願いし、わが社のHP、入社案内などに使って
  いきたいな」

と言ったら、大喜びで、

 「ぜひ!!」


またまたご縁が広がっていきそうで、ワクワクしてきました。

Yくん、そしてお祖母様、わざわざ自宅まで訪ねて来て下さり、本当に
ありがとうございました。

そして、そして、お父さん、とってもすてきな縁を残してくれて、
ありがとう。このご縁も大切にします。
 




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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
年輪 (磯輪)
2010-11-24 22:02:07
 Kevinさん

いい年輪が刻まれるような生き方をしたいですね。

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良い! (Kevin)
2010-11-23 23:34:42
いい写真ですね。

特に、僕は二枚目、ソファに座ってらっしゃるお父様の顔が好きです。

年輪が刻まれたほれぼれするくらい良い顔です。

82歳になった時、自分がこんなに恰好いいジジィになれるか自信がないです。

オープンハウスで、優しく声をかけて下さったお父様の面影が今でもまぶたに焼き付いて離れません。
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