
『言葉』の大切さについて考える機会がありました。
最初のケース。
現在社内で『熱く』(『暑苦しく』(笑))議論しているテーマに関してです。
これまで我々が当たり前に使ってきた「〇〇『費』」という形で使っている『費』という言葉。
もう何年も前から、社内では、『人件費』に替わって『人財投資』という言葉を使っています。
会計的には『費』であっても、私にしてみれば「設備投資」同様、いやそれ以上に大事な『投資』
だと思っているので、『費』とすること納得がいかないからです。
今回は、お客様に請求していたある項目についての話です。
これまでは当たり前のように『XX費』という言葉を使ってきましたが、戦略を考え始めると、
これに違和感を覚えるようになってきました。
そんな中、今週になって、サポート本部から、
「現在の『XX費』という呼び方は、私たちが提供しようとするものとは違った
イメージをお客様に与えてしまっている気がします」
として、別の名称に変更したいという提案がありました。
これはうれしかった!
ただ名前を変えるということではありません。 ずっと自分たちが議論している戦略で
お客様に提供したい価値が正しく伝わるように変更したいというのですから、これは本当にスゴイ!
表面的に言葉を変えるのでなく、本質を変えるのだから、それに合わせて言葉も変えるという
意思です。
前者は、氷山の下は何も変わらないのに、上の看板だけ付け替えること。
それに引き換え、後者は、氷山の下を変えるんだから、看板も当然それに見合ったものに
取り替えようという話ですから、まったく質が違います。
戦略がみんなにとって徐々に腹落ちしつつあるという手ごたえを感じました。
ところがその直後、真逆のケースもありました。
昨日のブログで紹介したISOWA親睦会の懇談会でのひと幕です。
くしくも「『XX費』という名前を変えよう」と私に提案してきた当のNくんが、
「我々電気屋は・・・」
というように話を切り出しました。 すると、感動的な話をしてくれたO副会長も
「私たち加工屋では・・・」
ふたりとも『△△屋』と、『屋』を使いました。
実は、私、この『△△屋』という『屋』の使い方も好きじゃないんです。
例えば、相手のことを『段ボール屋』さんとか『箱屋』さんと『屋』を付けて呼ぶのって、
相手を蔑んでいるような気がしてならないんです。 自分のことを『△△屋』と自称する
のはまだ謙譲語的でもありますが、相手を『△△屋』という『屋』付きで呼ぶのは・・・
それに、例えば我々が『機械屋』と自称するのを、後輩たちが聞けば、
「自分たちの仕事、業界って、何だか前近代的だな~」
と思わせたり、
「この業界って、将来の明るい展望って無いのかも・・・」
これが人材の採用、定着、育成にマイナスの影響を与える。
自称する我々も、知らず知らずのうちに『機械屋』で満足してしまう。
というのが私の見立てです。
だから懇談会の場で、
「『屋』は止めましょう」
と提案しました。
言葉だけで変わるものじゃないことは重々分かっています。
しかし言葉には言霊(ことだま)がある。言い続けている内に、知らず知らず言葉通りになっていく。
だから正しく言葉を選んで、使いたいものです。
魂は細部に宿る。
一言一句、ひとサービスひとサービスに
魂を込めていこう!
考えてみれば「屋」は、ある意味自分の出来ることに範囲を作っていたのかも•••。
「言葉」の持つ力は大きく、そして深いですね。
「暑苦しく」、もとい「熱く」議論しているテーマも「言葉」の意味が伝わるといいなぁと思います。
引き続き、よろしくお願いします。