
大学生4年の秋、仲間と一緒に富士スピードウェイへF1日本グランプリの
決勝を見に行きました。
この頃の私は大のF1ファンで、当時のF1界の人気を二分していた
フェラーリのニキ・ラウダとマクラーレンのジェームス・ハント、これに
挑む日本の星野一義などの対決を楽しみに、ワクワクしながら、みんなで
大いに盛り上がって出掛けました。
ところがすでにその年のチャンピオンシップを獲得していたラウダが何と
来日しないことに。盛り上がっていたものが急にしぼんだような気がした
ものです。
そしてレースが始まって早々、イエロー・フラッグが振られ、レースが
スローダウン。最終コーナーに陣取って観戦していた我々には場内
アナウンスも聞こえず(そもそもアナウンスがあったのかどうかも分かり
ませんが)、何が起こったのかよく分からないまま、かなりの時間後
レースは再開。
結局、ハントが優勝して、その余韻にひたりつつ、かなり車をぶっ飛ば
して中央高速を東京へと帰りました。
その夜、下宿へ帰ると、下宿のおばさんたちから、
「大変だったね~」
と、第一コーナーでタイレルの6輪車

(本当にタイヤが6つ付いたF1カーがあったのですよ。
奥に見えるのがマリオ・アンドレッティが乗っていた
JPSロータスです)
がフェラーリの後方から接触し、後輪に乗り上げたフェラーリが宙を舞い、
立ち入り禁止区域だったクラッシュゾーンに入り込んでいた観客とそれを
制止しようとしていた警備員の二人が亡くなるという事故が発生していた
ことを知ったのです。
そんな思い出のある1977年のF1。

(手前がラウダのフェラーリ、奥がハントのマクラーレン)
そしてその前年の1976年シーズン、シーズンチャンピオンシップのトップ
だったラウダがドイツグランプリでコースアウトし、瀕死の重傷を負う
ことがありました。
それをテーマにした映画『ラッシュ プライドと友情』。
ぜひ観ようと思っていたら、中東へ向かう機中のプログラムの中に
発見し、早速観賞しました。
ハントとラウダの出会いと成長、事故に至るまでの経緯、ラウダの奇跡と
脅威の復活。まったく対照的な二人の生き方、性格、レース観、そして
奇妙な友情。
自分がF1に夢中になっていた頃のヒーローであり、ライバルの二人。
人の価値観って実に様々なんですね。
でも、よくぞあんなに本人によく似た役者を探してくるものですね。
恐れ入りました。
後輪に乗り上げたフェラーリが宙を舞い
このドライバーがジル・ビルヌーブでしたっけ。
それにしてもこのラウダ役の俳優さん、
昔の本人にそっくりですね。
ラウダがチャンピオンに決まってしまったので、
日本グランプリをさぼり、ラウダの代役として
参戦したのがSZKくんの言う通り、ビルヌーブ
でした。
SZKくんが生まれる前の話なのに、詳しいね。
ラウダ、そっくりでしょ。