磯輪日記

世界の段ボールビトを幸せに!
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世界一社風のいい会社を目指しています。

右手の論語をネギに持ち換えて

2015年12月13日 19時37分47秒 | オフ・タイム

巨大な銅像と、その前に整列した銅像の人物と同年代らしき面々。

銅像の人物は、母校一橋大学の恩人でもある渋沢栄一翁。
そして大学のクラスメイト10名。

深谷で、私と同じように中小企業を経営しているTくんの

 「ぜひ母校に深い縁のある渋沢栄一翁のゆかりの地を
  訪ねつつ、旧交を温めようよ」

という企画に、同級生9名が集いました。北は北海道、西は京都から。

渋沢栄一ファンの私としても、とても楽しみに参加しました。




まず渋沢翁生誕の地を訪問しました。

渋沢家は農家でしたが、その後、養蚕や藍玉つくりなどを始め、とても
裕福でした。




500の会社を興し、それ以上にすばらしいのが600の慈善社会活動にも
参画した渋沢栄一ですが、幼少の頃から論語などを学び、そこから彼の
『論語と算盤』という思想が生まれたようです。

      

これは渋沢栄一記念館に残る、彼の手になる『論語』の写本。
几帳面さが字にも現れているし、達筆ですよね~


冒頭の写真のように実に大きな栄一翁・・・と思いきや、実は、

    

ご覧のとおり、とても小さい人だったそうです。
若い頃と、晩年の二人の渋沢栄一に囲まれて、思わず、肩組んじゃいました 笑
渋沢栄一の思想を受け継ぐことができたのか、私の瞳がキラキラ光ってます。
きっと何かのご宣託を受けたんでしょう。
残念ながら、今日現在では、それが何だかを自覚するには至っていません・・・


記念館の方がいろいろ案内して下さったのですが、銅像のところで、いつくか
興味深い話を聞かせてくれました。

ひとつは、

 「この銅像見ると、妙なことに気付きませんか?
  そうです。四頭身なんです。
  確かに小柄ではありましたが、これほど頭が
  大きかった訳ではありませんよ。

  なぜこんな四頭身の像になったかというと、
  実はこの銅像は最初高さ10mの台座の上に
  設置されたんです。
  となると頭の位置は地上10数mともなるので、
  小さくなってしまいます。
  そのため像をつくった先生が、頭だけ大きめに
  して、10数m下から見て、バランスが取れる
  ように制作されました。

  でも今は台座はなくして、地上に直に設置する
  ようになったので、四頭身になってしまいました」

そしてもうひとつ。

 「渋沢翁の右手を見てください。

      

  何を持っていると思います?
  そうです。論語です」

そこですかさず私:

 「どうせなら、左手には算盤を持っていて欲しかったな」

と切り替えしたら、解説の方、

 「うまいこと言うね~」

と論語全20篇をお土産に下さいました。
もちろんお土産話の部分はウソですよ。


こうして渋沢栄一翁と幹事のTくんのおかげで、大学の同級生10名が深谷の
地で再会を果たすことができました。


夜は、Tくんの小学校時代の同級生夫婦が営む深谷駅前の 鮨処ちよだでの
会食でした。

そしてそこでは、



右手に持っていた論語を深谷ねぎに持ち換えて、大いに旧交を温めました。


そして全員、Tくんから、もうひとつの深谷名物で渋沢栄一翁も大好物だった
(かどうか、知りませんが 笑)煮ぼうとう

      

をお土産にもらって、帰路につきました。


Tくん、本当にお世話になりました。
ありがとう!


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
らしいね (磯輪)
2015-12-15 20:29:31
 NOMURAさん

その話、私たちも聞きました。

記念館の建物の裏側の作りとあの銅像を見て、最初、
北朝鮮に来たのかと思いました 汗

それくらい威圧感があるし、ちょっとどうかと思う
銅像でした。
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Unknown (NOMURA)
2015-12-13 20:33:55
この四等身の渋沢像は最初深谷の駅前に設置されたのが評判が良くなくて?、記念館に引き取られたような話を聞きました。台座がなかったから、といっても、うーんなんか、ちょっと~ですよね(笑)


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