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永年、名古屋のサービスの最前線で頑張ってくれたYさんが、70歳の誕生日を節目に
退職です。 勤続51年3か月でした。
Yさんって、私よりず~っと年上だと思っていますが、実際には5つしか違わないん
ですね。おまけに誕生日も1日違うだけ。毎年、Yさんの誕生日が来ると、私も
一緒に歳を取ってきました (笑)
昨日は休みを取って出掛けていたんですが、定時後のYさんのミニ卒業式に参加する
ためロードスターを飛ばして駆け付けました。式が始まるまで、Yさんと少し話を
することができました。
私が35年前に入社した時には、Yさんはすでに当時の名古屋修理班で大親分だった
Oさん、番頭格のNさんの下、一番弟子として大活躍していました。
で、前から一度Yさんに聞いてみたかった、
「Yさんって、入社した時からずっとサービス部門だったんですか?」
このことを尋ねてみました。
すると
「最初の10年間は組立でした」
サービス部門は勤務も不規則で、精神的にもタフな仕事なので、昔は、誰も行きたがら
なかったんです。「サービスに異動」ということは、イコール以前の部署で「何かやら
かした」、「左遷させられた」というイメージでした。これがやっと数年前から変わって
きましたが、そういう過去があったので、つい、
「なぜサービスに異動したんですか?」
と聞いたら、思いもよらぬ答えが!
「ある時、サービスの仕事を手伝ったら、修理の後、お客様から
とっても喜ばれて、
『サービスの仕事ってやりがいがあるな』
と思い、自ら異動を志願したの。
みんなからは、
『どうしてサービスなんかへ行くの?』
(サービスのみなさん、ごめんなさい。
でも私が言ったのでも、Yさんでもなく、当時の
ISOWAビトが言ったんですからね)
って言われた」
「そうだと思いますよ。それにしても英断でしたね」
それがきっかけで、そこから40年以上サービス一直線。
YさんのISOWAビト人生の大きな転機でしたね。
「でも実際いろいろあって、正直二度会社を辞めようと
思ったこともあった」
私もそんなことがあったこと覚えています。当時、私はサービスの隣の営業にいて、
もめてる様子を見聞きしてましたから。
「でも、辞めなくて良かったですね」
「ホント。その通り。辞めなくて良かった。
学校を卒業して、ISOWA一筋51年。こんな幸せな
ことはないよ」
「そうですよね。同じ会社にこれだけ永く勤められるってことは、
会社が存続するってことだけじゃなく、本人も健康で働けた
ってことですよね。 私も、この歳になって、つくづくそう思う
ようになりました」
「本当だよね~、ありがたいことだよ。
ISOWAで生涯働けたことを誇りに思ってる」
昨日、YさんからすべてのISOWAビト、TASUKEビト宛に発信された
退職のメッセージにも同じことが書かれていました。
後輩で、今は上司となっているNくんが ポツリ、
「Yさんは、本当に人柄がすばらしいですからね」
そうなんです。 Yさんと顔を合わすと、いつもニッコリ笑って挨拶してくれる。
その笑顔にいつも癒されていました。 そういうYさんの人柄も51年勤続できた
大きな理由だと思います。
こんな話をしてたら、横にいた同じサービスのMさんが、
「退職しても、Yさんは趣味があるからいいよね」
何かとおもったら、長年にわたって蘭を育てているんだそうです。
「時々、会社へも持ってきたんだよ」
いや~、ちっとも知らなかった。
「毎年、東京ドームで国際的な蘭の見本市があるので、
(夫婦で)東京まで出掛けて、珍しい品種を見つけては、
買い付けて、試行錯誤で育ててる」
ありゃ~、本格的ですね。
「うまく育てるには蘭の原産地の気候に似せないといけないの」
蘭も、会社も、やっぱり『風土』なんですね。
別れ際に、
「こんな時期だけど、握手してもいいですか?」
了解をもらって、ガッチリ握手。
とってもステキな笑顔のYさんと記念の写真が撮れました。
Yさん、半世紀以上にわたって本当にありがとうございました。
お元気で!!
そしてありがとうございました。
51年間やり遂げた優越感あふれる挨拶に
感動致しました。
Yさんに恥じない様に今以上に魅力のある
サービスGにしていきます。