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ひと月ほど前、業界紙の1社である包装ニュースの中村社長が、同社の専務、
常務と一緒に、インタビュー取材のために来社してくれました。
この数年、腰を痛めたり、体調が悪かったりして、わが社に訪問するのは
「おそらく5年とか10年振り」
というのが中村さん、私共に、意見の一致するところでした。
本当に久し振りだったこともあって、中村さんはわが社の変貌に相当驚かれた
様子でした。
その時のインタビュー記事が掲載されたものが今日手元に届きました。
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これが記事のタイトルです。
中村さんとしては、もっとイケイケの話を期待していたようですが、私の
話はむしろその逆で、地味~な話に終始しました。
だからインタビューの記事はあまりワクワクするようなものにはなりま
せんでしたが、その分、中村さんの書かれた記事のリード文は秀逸で、
私のつまらないインタビューを補ってあまりあるものでした。
この中村さんは、私にとっては恩人のひとりでもあります。
それは今から35年ほど前に遡る1977年。
当時、私は大学4年生。経営史の米川ゼミに所属していて、卒論のテーマに
当時の磯輪鉄工所の社史の作成を選びました。
当然、わが社の過去の歩みはもちろん、製紙、段ボール業界、段ボール機械
業界のそれまでの動きなどを調査する必要があり、父に相談したところ、
紹介されたのが、この中村さんでした。
早速、当時神田にあった包装ニュースさんのお世辞にも広い、とかきれい
とは言えない事務所を訪ねて、あるったけの同紙のバックナンバーを見せて
もらい、メモしたり、コピーしたりして、卒論の資料にさせてもらいました。
一度は、神田のおでん屋に連れて行ってもらい、ご馳走してもらったことも
ありました。東京都下の国分寺に下宿していた大学生にとって、接待風の
社会人ばかりのおでん屋での食事っていうのは、
「あ~、これが日本経済の縮図なんだ・・・」
と、今でも強烈な記憶として頭に残っています。
こうして足掛け4年かけて書き上げたのが、この私の卒論、
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『磯輪鉄工所経営史』。
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当時、もちろん万年筆による手書きです。400字詰め原稿用紙270枚にも
及ぶ私の渾身の卒論です。
その中を見ると、包装ニュースさんに掲載されていたわが社の機械の広告が
いくつもあります。
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昭和48(1973)年12月1日付け434号に掲載された世界初の
テープ式のNC管理装置付きの印刷機。
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昭和51(1976)年12月11日付け578号には、ほんの数台売った
だけで成功しなかったボトムロックグルアーの広告も。
今日、手元に届いたインタビュー記事が掲載されているのが2253号です
から、歴史を感じますね。
それ以外にも、
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昭和40(1965)年頃の印刷機の広告。
何ともレトロというか、田舎くさいデザインですが、妙に味があります。
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昭和41(1966)年の別冊の表紙を飾ったものの。
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昭和44(1969)年の別冊新年号には、当時お買い上げ頂いたお客様の
お名前も載っています。
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単体のフォルダグルアも。昭和40(1965)年別冊5月号
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初期の頃のコルゲータもありました。
これらはすべて包装ニュースさんの協力で得られた資料なんです。
もちろんスキャナなんてある訳もなく、新聞をコピーしたものを挟み込んだ
だけです。
この私の思い出の卒論は、会社の私の書棚に大切に保管してあり、5年ほど
前に『ISOWAビトの物語』を作成した時も、貴重な資料となりました。
今回、業界での恩人の中村さんが来社してくれたのがきっかけで、この卒論を
改めて眺めていて、『序文』に目が行きました。
以下、全文を紹介します。
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序
私が大学3年になり、経営史の米川ゼミをえらんだ直後に、私はすでに
卒業論文のテーマを「磯輪鉄工所」に決めていた。もちろん誰もいまだ研究
していないテーマである。それも私が一生をともにする企業。何を書こうが
私が先駆者である。
私の祖父磯輪源一は現在80才である。彼は口数が少なく、余り進んで
自分の過去を話そうとはしない。またそんな機会もない。しかし彼こそ現在、
日本の紙器、段ボールの世界の変遷を最も長期間にわたって自分の目で見て
きた者の一人である。
「創立者としての祖父の半生を正確に記録に残しておきたい。」
論文のための調査が進むにつれてこの考えはますます強くなった。彼は
驚くべき記憶力で自分の過去、業界の移り変わりの様子を頭の中に保存して
いた。幸いにも私は論文の調査という名の下に、数多くの会話を祖父ともつ
ことができた。
この論文のための調査の段階では祖父以外にも多くの方々をわずらわせた。
しかしみなさん大変好意的であり、執拗なまでの私の質問に根気よくお付き
合いして下さった。いろんな方と会い、いろんな方と話した。とても有意義な
時間だった。
私は1978(昭和53)年6月から翌年4月まで、大学を休学し、現在もイソワの
良きパートナーであるコパーズ(Koppers Co., Inc. Baltimore,Md., U.S.A.)
でトレイニーとして研修するチャンスに恵まれた。この時に、見、聞き、
体験したことがこの論文をより血のかよったものにしてくれたと信じている。
しかしこのため私は足かけ3年でこの論文を仕上げることになった。今や私は
大学生活6年目(途中1年の中断はあるが)である。
私の「磯輪鉄工所経営史」は1970年代のイソワで終わっている。今後も
イソワにはいろんな事が起こるだろう。しかし1980年代のイソワをもはや私は
客観的に見ることはできない。これからは私はイソワの内にいる。そこで
いつの日か、誰かが私が主人公として活躍しているという、この論文の続編を
書いてくれたら。そしてその「誰か」が私の息子であったらと今から楽しみに
している私である。
1980年1月
磯輪英之
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30年前、80歳だった祖父。30年後、父も83歳で他界し、私も50代
後半に。
30年前、本当にいい勉強ができました。
それを力強く応援してくれた包装ニュースの中村社長。恩人です。
ありがとうございます。
こういう卒論の選び方があったんですね。
自社の歴史を知る・・・私も2004年に会社に入って 最初に会社の歴史を振り返ってみましたが これが大いなる基礎になったと感じています。
価値観みたいなものを感じたりしてね。
このブログ 息子さんは読んでいるかな?
おはようございます。
包装ニュースは以前購読していて弊社も記事にしてもらったことあります^^;
しかし、大学の卒業論文に社史を選ぶなんてさすがは磯輪さん。
大学在学中に既に会社の歴史を学習していたなんて凄いなぁ!
中村社長さんとお会いして、昔を懐かしく思い出されたのですね(^^)
こんにちは、光です。読んでます。
僕自身恥ずかしながらISOWAの歴史については知らない部分が多くありとても興味深く思うと同時にISOWAの重みも感じました。
今後も親子ともどもよろしくお願いします。
しびれました。
ものすごくいい思い出でもあります。
自分で入社前研修のテーマを決め、自分で研修を受けた
ようなものですね。
ちょうど「経営史」のゼミだったので、ゼミの先生も太鼓判を押してくれたピッタシカンカンのテーマと
なりました。
24歳の思い出です。
こうやって書いたものが残っているって、本当に
いいですね。
源一お祖父さんがISOWAを始めてから91年。
歴史の重みがすごいね。
その内、25年は、お父さんも関わってしまった。
時の流れは速いね。