よんたまな日々

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ルサンチマンは解消しましたか?

2008年06月30日 | ネット生活
先日書いたブログ記事で、うちの奥さんにタイトルのような質問をぶつけられました。

過去の恨みつらみをうだうだ書くやつはでぇえきれぇえっだと言いそうな、江戸っ子の奥さんなもんで、ちょっと怒っている様子。

もちろん、解消しているんで、ブログに書いたわけなんですが、「それにしても脇の甘い文章だこと。」とあきれられました。

脇の甘さは自分でも感じていましたが、なんかこれまであまり形になっていなかったことを文章にできてよかったなぁと思っていたので、厳しいご意見はちょっと意外でした。

うちの奥さんとは、まあブログに書いていないことも含めていろいろと話したのですが、お互いに納得し切れませんでした。ヲタクと世間の力関係が変わってしまって、ヲタクサイドから見た景色が結構変わっているのですが、それについての認識ずれつーか、うちの奥さんも僕もヲタクじゃないんで、議論しているうちに、何についての議論かわからなくなってしまいました。

あの記事の内容から、答えの出ない議論を発展させることはいくらでもできて、ざっと思い付くだけでも
 ・ 死刑にあなたは賛成ですか?
 ・ 宮崎勤は、死刑に値すると思いますか?
 ・ 宮崎勤は、ヲタクですか?
 ・ ヲタクを定義してください
 ・ あなたはヲタクですか?
 ・ ヲタクは、肯定すべきもの?否定すべきもの?
 ・ ヲタクのファッションについてどう思いますか?
 ・ ヲタクのどこを非難すべきだと思いますか?
 ・ ヲタクを非難する人についてどう思いますか?
 ・ ヲタクは犯罪者予備軍ですか?
という質問が出てきます。

一つ一つの質問について、長い文章が書けそうですが、自分の立場をはっきりさせる意味で、なるべく短く回答したいと思います。

 ・ 死刑にあなたは賛成ですか?
  原則、反対です。ただし、自分の思想や信条、趣味、悦楽のために、他者の生存権を脅かしてもよいと考え、そして実行する人達については、この限りではありません。

 ・ 宮崎勤は、死刑に値すると思いますか?
 彼が、一連の事件の犯人かどうかはわかりませんが、彼が犯人であると信ずるに足る根拠があり、しかも報道されていることが正しいのであれば、一連の事件の残虐性から死刑に値すると思います。

 ・ 宮崎勤は、ヲタクですか?
 私の考えるヲタク像からは外れています。

 ・ ヲタクを定義してください
 高度な専門性を持っていること、その専門性に見合わない(もしくは見合った)社会性の欠落があること、社会性の欠落の故にメジャーにはなれないがそのことに対して不満を持っていないこと

 ・ あなたはヲタクですか?
 上記の定義からすると、かなりヲタクであると言えます。
 ただし、世間一般に流布しているヲタク像からは外れているので、そういう文脈での議論の場合、しばし、私はヲタクではないと主張します。

 ・ ヲタクは、肯定すべきもの?否定すべきもの?
 私の定義するヲタク像であれば、肯定的にとらえます。知的な多様性を支えているのは、ヲタク精神であると思います。

 ・ ヲタクのファッションについてどう思いますか?
 社会性の欠落は、しばしばファッションに対する無頓着という形でも現れます。
 無頓着が、無個性という形で出ている分にはむしろ好意的に受け止められますが、逆に強烈な個性となってしまった場合、敬して遠ざけたくなるケースもあります。

 ・ ヲタクのどこを非難すべきだと思いますか?
 彼らが非難されるべきは、まさしく「KY」でしょう。もちろん、それができないからヲタクになった訳ですが。
 私がコンディションがよくて、他者を受け入れられる余地のある場合、彼らの長い話を聞くにやぶさかではないです。ただ、彼らの話がしばしば不必要に長く、私の興味の対象ではないため、コンディションが悪ければ拒否したくなります。
 できれば、興味の一致する方向でお話したいですね。

 ・ ヲタクを非難する人についてどう思いますか?
 前の質問で「KY」と言いましたが、「KY」は知的多様性を殺してしまう言葉です。
 「KY」というとき、文脈を共有していることと、その共有している文脈に従って行動することを強制しています。
 しかもそれはしばしば不文律です。そういう不文律の強制が知的多様性を殺すのです。
 さらに、「KY」と言う人には理解できないかもしれないですが、空気を読んだ上であえて、場の空気と異なる行動をする必要性を感じて、そう動く人もいるのです。
 自分と異なる行動原理を持っているというだけで非難する人に対しては、世の中にはいろいろな人がいることを理解して欲しいと思います。

 ・ ヲタクは犯罪者予備軍ですか?
 たとえ、私の定義するヲタク像を満たす人たちでも、犯罪を犯す可能性はあると思います。社会性の欠落の故に、無邪気に犯罪を起こす人がいるかもしれません。
 ただし、ヲタクとそうでない人の間で、犯罪の発生率はあまり変わらないと思います。
 彼らの欲望はしばしば偏っていますが、偏っているが故に、社会的に穏便に自分の欲望を満たす術を身につけている人が大半であると思います。

ということで、私の立場を理解してもらえたと思いますがいかがでしょう。

そして、前の記事でルサンチマンをぶつける対象は
「ヲタクは、PCに詳しくて、ネットで変なことをやっていたり、コミケで同人誌を売っていたり、コスプレをやっていたりするアニメ好きな変な人で、しばしば正常な会話が不可能である。」という一つのヲタク像しか持てない人たちでしょう。
私のルサンチマンが解消したのは、そういうヲタクを偏見の眼差しで見る人たちが、私の周囲に見当たらなくなってしまったからです。
逆にヲタクは、細分化し、多様化し、社会のすみずみまで浸透したと思います。
少なくとも、ある程度の文化的素地のある都市部においては。

前の記事に続いて書きたかったのは、(自分の意識化されていない欲望において)ヲタクを非難する人たち像だったようですが、それを書くと(1(2(3(4 ヲタクを非難する人 4)を非難する人たち 3)という一つのカテゴリを作り、その一つのカテゴリに含まれる多様な人たち 2)を一つのステレオタイプとしてばっさり断罪する 1)というリスプの入れ子構造のような複雑な過ちを犯してしまうところでした。
そういう危険性があったことに気付いたのはうちの奥さんのおかげなので、感謝しています。

ヲタクの立場から、そういうステレオタイプを作成し、ばっさりとその罪を切るというのは、なかなか心地よさそうなのですけどね。
返す刀で自分も切られる覚悟を決めてかかないと。


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