阪神タイガースと言えば、今クライマックスシリーズ真っ盛りだけど、いきなり昔々の話です。
まだ幼くて実家にいた頃、父は熱烈な阪神ファンだった。母が野球の音を嫌うので、父は、夕方、畑仕事をしたり、家の裏手で五右衛門風呂を沸かしながら、トランジスタラジオで阪神戦の中継を聞いていた。私も居間にいると台所の手伝いをさせられるので、父について行って、野球中継聴きながら、畑仕事や風呂焚きの手伝いをした。
今でも夏の薄暮時に外を歩いていてどこかから煙の匂いがすると、トランジスタラジオの少し篭った実況中継の音がしないか、自然と耳を澄ませてしまう。
もうその頃は、炊事はすっかりプロパンガスになっていたが、まだ、風呂は薪で沸かしている家が多く、夕方になると彼方此方から煙の焦げ臭い匂いがしたものである。
当時は、スポーツと言えば、野球、相撲、マラソン。小学校の友達と遊ぶのも、テニスボールを使った三角ベースだったりする。
スポーツが得意なら、父を喜ばせられたろうに、残念ながら、フライはポトン、キャッチボールをすれば顔面キャッチだったので、全然ダメで、プロの凄さに感動するセンスも持ち合わせていなかった。
父の近くにいながら、違った方を見ていた。ここで一曲。
科楽特奏隊で「ウルトラセブンの歌」。
そんなタイガースが初めて日本一になったのが1985年11月。道頓堀川にカーネルサンダースを投げ入れて、呪いを招いたりするような大狂乱に大阪の街は覆われたが、家族で一人阪神ファンだった父は家族には何も言わず、大学の友人にも熱狂的な阪神ファンはいなかったので、私の周囲は静謐であった。ラジオや在阪局の騒ぎがうるさいなと思ったくらいだった。
その後もスポーツと無縁の生活を送り続けるのかと思っていたら、四回生で配属された研究室が、理論系研究室なのに、なぜかとても体育会系で、いろいろな競技に挑戦させられた。もっとも私の運痴は筋金入りだったので、大抵の競技は初戦落ちで、大丈夫だった。ただ、なぜか水泳だけはウマがあって、速くないけど、毎日一キロずつ泳いだ。
そして、1993年Jリーグ開幕。
それまでも、父の趣味で、元旦の天皇杯だけは見ていたが、初戦横浜マリノスと読売ヴェルディの戦いの熱さと戦略的な展開に痺れてしまい、初めて自分でスポーツを観たいと思った。
とはいえ、当時の職場は、今で言えば超ブラック。終電で帰れない日も週に何日かあるくらいなので、週末のテレビ観戦が精一杯だった。
それでも熱心にテレビ放送を見たし、当時は今ほど有料チャンネルが普及しておらず、普通に地上波民放でサッカーの生中継が見れた。この一生懸命な観戦が、後に我が妻との縁を取り持ってくれるなんて全く思っていなかった。とはいえ、それは全く別の話。
ここで次の曲。
プリピットパロで「ロマンティックあげるよ」。オリジナルはドラゴンボールのエンディングです。
この記事で紹介したように、阪神タイガースのファンだった父は、私が49歳の時に亡くなったのですが、検査で末期癌が見つかった後も、病院が嫌いで何度も無理矢理退院しておりました。
特に孫(私の妹の子)が帰省する期間は無理にでも退院するし、孫といる間は何故か体調が安定し、東京に戻るとまた悪化して入院するのを繰り返していました。
病院に見舞いに行っても、いつも父は不機嫌で、死にゆく自分を全力で拒否しているように見えました。
母が私に電話をしてきて、「入院しても壁ばかり見て、テレビも見ようとしないのよ。父さんの好きな阪神戦のテレビ放送の一覧を送って。病室に貼るから。」と言ってくるほどでした。
ある日のお見舞いで、父の大好きなあんドーナツを買って病院に行きました。
相変わらず不機嫌そうな父親の様子でしたが、ふと壁を見ると母に送った阪神戦の番組表が壁に貼り付けてあるではありませんか。今日の日付を見ると、正にデーゲームの真っ最中。テレビを点けると、4回の表で阪神が一点のリード。
「父さん、阪神勝ってんで。」
「おう」
と二人でテレビ観戦。父と阪神戦、テレビで観たのって、まさか、初めて?
二人で黙ってテレビを見ていました。
阪神はその後追加点を入れることなく、相手チームに一点ずつ失点して行き、最後はいつもの情けない負け方。
二人で、阪神の攻撃が終わるたび、相手に打たれるたび、同じタイミングでため息を吐きながら試合を観ていました。
試合が終わって父の手元を見ると、空になったあんドーナツの袋が。
「父さん、全部食べたの!?」
「ああ、病院にしろ、母さんにしろ、アイツら、人の体調を気遣うとか言って、まともなものを食べさせよらへん。あんな味気ないもの、毎日、食えるか!」
と予想外に元気な父の姿に安心して立ち去りました。
その後、一週間もしないうちに亡くなるとは思っていませんでした。
でも、生涯で一番父の近くに立った一日でした。
次の曲は、ビリーバンバンで「さよならをするために」。
家内と一緒に大阪に帰ってきて馴染みになった居酒屋のマスターが、大の阪神ファンでした。
そこは飯がうまく、酒が安いので、酷い時には週ニくらいの頻度で通い詰めたのですが、そこでテレビが消えている日は、阪神がひどく負けている日で、逆に阪神が勝っている日は、ファンの常連さんが次々やってきて、店が賑やかに混む日でした。
サッカーファンで、東京生まれの奥さんを連れた僕たちはかなり場違いなメンバーでしたが、店の雰囲気が良く、マスターの人柄もいいので、温かい雰囲気で受け入れられていました。
子供が産まれて、西九条に越して、長らくご無沙汰していたら、先日、前を通ったら、お店は工事で取り壊されており、どこに引っ越したのか、張り紙もされていませんでした。
何だか、あの情けない阪神が他人事とは思えず、負けても負けても応援してしまう阪神ファンの気持ちが僅かながらわかった気持ちになりました。今年も前半のぶっちぎりからの失速ぶりがきっといつもの阪神なんだなーと。
今日の試合結果はまだ知りませんが、
サッカーアンチクライマックスが繰り返したように、
「それでも野球は続く」のが阪神なのだなーと。
最後の曲は、宇多田ヒカルのカバーで「プレイバックPART2」。
最後になりましたが、本記事の着想を得たミカウバーさんの「今日って阪神タイガースの日なんだって‼️」ブログ記事に感謝します。
翡翠さんブログ経由でお邪魔しました。楽しい記事、たくさんありそうで、いくつか「いいね」押させていただきました。
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これからもどうぞよろしく。
心温まるコメントや応援を有難う御座いました。
之からも宜しくお願い致します。
💻今日の記事「阪神タイガースの思い出」を楽しく拝見させて頂きました。
🔶今日はお礼のみで失礼いたします。
それではまたお伺いします👋・👋