よんたまな日々

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キッチンで寝る

2018年11月20日 | 日々徒然

吉本ばななの「キッチン」は、「キッチンで寝る」話だと思っている。
文学作品はそもそも多様な解釈を許すものだから、ちょっとそれくらい
偏見の入った読み方をしてもいいものだと僕は思っている。

とはいえ、僕の生家の台所は、とても寝れるものではなく、キッチンで
寝るなんて考えたことがなかった。
昔の家だったので、台所には、かつてのご飯を炊くための竈が残っており、
土間の上に渡した床板は、食べかすと油で薄汚れており、その上を普通に
ネズミやゴキブリが走り回っているような場所だった。

だから、中学生の頃、父に連れられた焼き肉屋で、一階の店が満員だった
ため、通された二階の畳の部屋の奥に、木の床が敷いてあり、その上に簡
単な流しが置かれているのを見て、ひどく興奮したものだ。
「父さん、ここで暮らせるよ。」
しかし、父には全く伝わらなかった。

いや、ここまで、この文章を書いてきて、いるかどうかわからない読者諸兄
にも伝わっている自信がないので、もう少しだけ、説明をする。
私の生家は、一つの部屋が単一目的にしか使えず、台所、食堂、寝室は全然
別物だ。ところが、その焼き肉屋さんは、一つの部屋で、押し入れから布団
を出してくれば寝室になるし、今、その畳の部屋で焼き肉を食っているし、
この折り畳みテーブルを片づければ、リビングにもなる。テレビも付いてい
るし、木の床の上が台所になっていて、その台所は洗面にも使える。

一言でいえば、ワンルームマンションの部屋みたいになっていたことに興奮
したのだが、当時の僕は、それを語る言葉を持っていなかった。

だから、大学に入って、ワンルームマンションの存在を知り、一つの部屋
を多目的に使うことで、コンパクトに暮らせることを知ったときは、どう
やれば一つの部屋で、衣食住全てをこなせるかをいろいろと妄想したもの
だった。

言ってみれば、キッチンで寝るということは、寝室の機能とキッチンの機
能をどう一つの部屋で両立させるかという課題なのだ。

ただ、料理をしたり、流しで洗い物をしたりすると、どうしても床に水や
油が飛び散るので、基本的に、キッチンで寝るためには、寝る前にどうし
ても掃除が必要になり、
寝室として使う上で、どうしても不便である。吉本ばななの主人公は、
だから料理だけでなく、掃除も大好きな稀有な人に設定してある。

そういうわけで、「キッチンで寝る」ことになぜか萌えてしまう僕は、実は、
人生において、キッチンで寝たことは、これまで3度しかない。3度とも
ある種の緊急事態で、印象深い出来事であったため、ここに書き留めておく。
これ以降は、単なるメモ、もしくは思い出話に過ぎないので、ここまでの
話で退屈している読者諸兄(もちろん、そんな人はいない可能性が高いが)
は、ここまでで読むのをやめて差支えはない。

初めて、台所で寝たのは、東京転勤になって、年齢制限で会社の寮を追い
出され、一人暮らしを始めた頃のことである。
母が、頼りなくて生活力のない息子が、一人暮らしをしていることを信用
できず、自分で借りたという1DKのマンションを見せろと言ったのが事の
発端である。
一人暮らし用のマンションで寝る部屋もないというところに母が押し掛け
てきたので、普段寝室として使っている部屋に母に寝てもらい、僕はしょ
うことなしに台所で寝ることにした。ところが、これは内緒なのであるが
(とブログに公開してしまう)、いきなり、今の奥さんと半同棲を始めて
おり、寝室にある唯一の押し入れに、彼女の荷物を隠した上で、彼女には
自分のマンションに戻ってもらい、きれいに掃除した部屋に母を向かい入
れたのだが、キッチンの床で布団にくるまりながら、母が突然の気まぐれ
で押し入れを開けたりしないか、ヒヤヒヤしながら一晩を過ごした。
当時の台所は、流しの前に横に細長い窓があり、普段は寝室としては
使ってないので、カーテンもなく、そこから差し込む町の明りがまぶし
いのと、隣の押し入れが心配で、あまり眠れなかったのを今でもよく覚
えている。
簡単な手料理を手際よく作って出す息子の姿に感心して、うまく騙され
て、母は無事帰ってくれました。

二回目は、父が亡くなったとき。
深夜11時過ぎに亡くなった父の遺体を引き取って、実家に帰ってきた
ら、親戚一同と葬儀社が集まっており、明日のお通夜とあさっての葬式
の手順を夜3時くらいまで打ち合わせて、明け方までの短い時間を母と
台所で寝た。居間には父の遺体が横たえられており、そばについておく
必要があったが、父の遺体から目を離さずに寝れる場所が台所しかな
かった。母は連日の看病で疲れ切っており、僕は会社からまっすぐ
駆け付けたため、スーツ姿で着替えも持っていなかった。
激動の一日で、わずか二時間であったが、台所に敷布団だけを敷き、毛布
にくるまって、二人とも意識をなくすように、深く眠った。

そして三回目は、娘がまだ一歳になっていない時に、うちの奥さんが
インフルエンザになったとき。うちの奥さんは家族にうつさないように、
寝室を閉め切って寝ており、僕が娘とLDKに布団を敷いて寝た。台所という
よりはリビングであったが、流しと冷蔵庫が同じ部屋にあり、娘の状態に気を
使わないといけないと思いながら寝ていたら、冷蔵庫の機械音で真夜中に何度
も目が覚めた。
そして、何度目かに目が覚めたときに、娘に触った手が異様に熱く、体温計で
娘の体温を計ったら、40℃を超える熱を出していた。結局、娘にインフルが
うつっていたのだった。
パニックになって真夜中に騒ぐ僕に、うちの奥さんは冷静に夜間緊急病院に予約
の電話を入れ、必要な荷物を詰め、冷静に行動するように注意を申し渡して、
この頼りない父親を病院に送り出したものだった。

いずれも正直碌な思い出ではなく、もう二度とキッチンで寝るような羽目には
なりたくないものだと思う。新しい家のキッチンは快適で、吉本ばななのキッチ
ンで寝ることでなぜか癒される主人公に思いを馳せながら、料理をする。



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