お盆休みに家族で帰省していた田舎からの帰り道、メール送信のために、高速道路のインターチェンジで、電話ボックスに立ち寄った主人公が、そこで何気なく拾った新聞には、これから自分達が出遭う交通事故の記事が書かれていた。
僕が小さい頃に読んだつのだじろうの漫画「恐怖新聞」は、本人が読みたくなくとも届けられる明日の出来事が載った新聞。それを読むごとに百日ずつ命が縮んでいくという新聞をそれでも読まずにいられない主人公という設定が、非常に怖くてよく憶えています。この作品は、それを原作にアレンジしているとのことですが、主人公は学生でなく、既に結婚して一人娘もいる研究職の男性です。
その男性が初めて手に取った恐怖新聞には、自分の一人娘が帰省で混みあう高速道路での交通事故で亡くなってしまう記事が載っており、その直後に、その通りに事故が起こってしまう。その後、自分の娘を救えなかったことで失意に沈む男性は、妻と離婚し、無気力な高校教師として余生を過ごそうとするが、自分の教え子にも恐怖新聞が届いていることを知った直後に、自分にも新たに恐怖新聞が届けられるようになってしまう。
恐怖新聞で予言される忌まわしい未来を、彼は改変することができるのだろうか。
という感じで、ある種のタイムパラドックス物です。小林泰三の「酔歩する男」で、小林泰三の提示したタイムパラドックスに対する新たな考え方に目からウロコとなってしまった後で、この手の作品を読むと、タイムパラドックスの矛盾を他にどううまく回避するのだろうみたいな方向に意識が行ってしまうのですが、この作品も「サマー・タイムマシン・ブルース」「時をかける少女」などと同じように、並行宇宙でも何でもなく、過去の改変が可能という立場に立っています。歴史を維持しようという意志が、歴史改変者を呪いのように蝕んでいくというところが、このホラーの根源だと読めなくもないのですが、それならば、なぜ、恐怖新聞のような形で、歴史改変者に歴史改変のヒントを与えてしまうのか。
それに一切答えがないところが、この作品がSFでなくて、ホラーなところなのでしょう。
ホラーとしての怖さもアイデアも、微妙にイマイチな感じなのですが、昔好きだった「恐怖新聞」へのオマージュと、自分的にホットなタイムパラドックスネタだったので、気になった作品として、ブログに記録しておきます。
僕が小さい頃に読んだつのだじろうの漫画「恐怖新聞」は、本人が読みたくなくとも届けられる明日の出来事が載った新聞。それを読むごとに百日ずつ命が縮んでいくという新聞をそれでも読まずにいられない主人公という設定が、非常に怖くてよく憶えています。この作品は、それを原作にアレンジしているとのことですが、主人公は学生でなく、既に結婚して一人娘もいる研究職の男性です。
その男性が初めて手に取った恐怖新聞には、自分の一人娘が帰省で混みあう高速道路での交通事故で亡くなってしまう記事が載っており、その直後に、その通りに事故が起こってしまう。その後、自分の娘を救えなかったことで失意に沈む男性は、妻と離婚し、無気力な高校教師として余生を過ごそうとするが、自分の教え子にも恐怖新聞が届いていることを知った直後に、自分にも新たに恐怖新聞が届けられるようになってしまう。
恐怖新聞で予言される忌まわしい未来を、彼は改変することができるのだろうか。
という感じで、ある種のタイムパラドックス物です。小林泰三の「酔歩する男」で、小林泰三の提示したタイムパラドックスに対する新たな考え方に目からウロコとなってしまった後で、この手の作品を読むと、タイムパラドックスの矛盾を他にどううまく回避するのだろうみたいな方向に意識が行ってしまうのですが、この作品も「サマー・タイムマシン・ブルース」「時をかける少女」などと同じように、並行宇宙でも何でもなく、過去の改変が可能という立場に立っています。歴史を維持しようという意志が、歴史改変者を呪いのように蝕んでいくというところが、このホラーの根源だと読めなくもないのですが、それならば、なぜ、恐怖新聞のような形で、歴史改変者に歴史改変のヒントを与えてしまうのか。
それに一切答えがないところが、この作品がSFでなくて、ホラーなところなのでしょう。
ホラーとしての怖さもアイデアも、微妙にイマイチな感じなのですが、昔好きだった「恐怖新聞」へのオマージュと、自分的にホットなタイムパラドックスネタだったので、気になった作品として、ブログに記録しておきます。
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