pumi-ka さんのブログで、角田作品の記事を読み、面白そうだと思ったので、文庫化しているものを4冊ほど買ってきました。
「みどりの月」集英社文庫
表題作と「かかとの下の空」の二作品が収められています。
表題作
主人公の女性・南が、恋人のキタザワと同居を始めるが、そのキタザワのマンションには、既に二人の同居人マリコとサトシがいた。動物が巣穴にこもるように自室に閉じこもって暮らすマリコとサトシに驚きつつも、キタザワの部屋に自分のテリトリーを築くべく、懸命に掃除をする南。しかし、キタザワ、マリコ、サトシと暮らしているうちに彼らの意外な関係を南は知ることになる。
「かかとの下の空」
別れの予感を抱えた夫婦があてのないアジア放浪に出るが、あきらかにドラッグ中毒の怪しげな日本人女性につきまとわれる。強いストレスの下で、二人は自分達の関係について問いかける。
「菊葉荘の幽霊たち」ハルキ文庫
主人公の友人、吉元は、現在暮らしているアパートを立ち退くよう求められており、それは部屋の選び方を間違えたせいだという。本来、自分がいるべき場所に住まないといけないと信じる吉元が選んだのは、古い木造アパート「菊葉荘」だった。住人を追い出して、自分の部屋を作ると主張する吉元を手伝おうと、主人公は「菊葉荘」に住む大学生蓼科の部屋に転がりこみ、偽大学生として、蓼科の友人達とも付き合い始める。主人公は、「菊葉荘」の他の住人達の生活も探り始めるが、みな一癖も二癖もありそうな奇矯な暮らしをしている。
「これからはあるくのだ」 文春文庫
表題作は、主人公が自転車から降りて赤信号で待っていたら、自転車の後で突然老人が倒れ、振り返った主人公が、老人の連れの女性から猛スピードで追突したと糾弾される。倒れた老人なら真実を証言してくれると期待して、老人の意識が戻るのを待ったが、その老人からも同じように糾弾され、もう自転車には乗らないと決心する話。
近所の廃墟に想いを馳せる「悪魔の家」や、高級しゃぶしゃぶ店で隣の席の『おじさん』と女子高生の会話についつい耳を済ませてしまう「盗み聞く」など、どこにでもあるはずの日常が微妙にねじれてしまう角田ワールドのエッセイ集。
「だれかのいとしいひと」 文春文庫
主人公が付き合っていた彼氏・川原新造は、転校生の気持ちはそうでない人には「絶対に」わからないと宣言し、主人公を振る。偶然見つけた「転校生の会」に参加し、そこで何を目的にしているのかわからないまま、元転校生や現転校生達の話を聞く主人公と、参加者達の曖昧な関係を描いた「転校生の会」や、恋人同士のデートになぜか一緒に付いていく小さな女の子、そういう思い出について語る「だれかのいとしいひと」などの作品が入った短編集。
4冊まとめて紹介しましたが、4冊とも角田光代ワールドとも言うべき世界が展開しています。
角田光代を読んでいると、結婚する前のひとり暮らしの頃を思い出します。
あの頃は、世界が理不尽でした。自分を受け入れているような、それでいて最後のところで身をかわされてしまいそうな、不安な感覚を常に抱いてました。角田光代を読んでいると、主人公達の隣人は常に奇矯で、普通の人の仮面を被って生きている癖に、主人公とある種の親密な関係になった途端に、その理不尽な行動で主人公を裏切ってしまいます。それでは主人公が常に被害者なのかというとそうでもなく、主人公は主人公で身を切られるような強い衝動に煽られて、親しい人の信頼を裏切る行動をとることを余儀なくされるのです。
その信じたいという気持ちと、信じられない気持ちと、相手の無言の期待に対する裏切りと、自分も裏切られる寂しさと、そういうのがごったになって押し寄せてくるときの、離人的な感覚を、結婚してからはすっかり忘れていたのですが、それを思い出させるのが、角田光代の作品です。
角田光代のもう一つの特徴として、自分の住んでいるところの軽視というのがあると思います。結婚して安定した生活を送っていると、居心地のいい家庭があり、それが自分の中でそれなりの重さを持って、存在しているのですが、角田光代の小説の登場人物達は、実に軽々と、自分の生活の場を捨ててしまいます。そして、新しい場所へと移動することで、様々なドラマが生まれるわけですが、こんなに簡単に捨てるんだ、その場をと思う場面が、よく出てきます。
結局、人に対する安定した愛情は、その愛情を示す場と密接に結び付いており、そういう場と人に対する無邪気な信頼の中で、普通の人は過ごしているのですが、思春期のある時期からそういう信頼性を一度捨て、再び世界の中で自分のそういう対象を見つけ出さないということを普通の人はやっていくわけです。その場は生まれたときにはアプリオリに与えられるものですが、自分の力で見つけ出したと思っているそれに対しての不信感とか、あるいはまだ見出せてないそれへの喪失感とかが、角田光代のモチーフなのかなと、勝手に思ったり。
一つ一つの作品は軽くて読み易いと思いますが、ある種の毒を持っている作品です。でも、毒のない小説なんて、読んでもしょうがないでしょ。
「みどりの月」集英社文庫
表題作と「かかとの下の空」の二作品が収められています。
表題作
主人公の女性・南が、恋人のキタザワと同居を始めるが、そのキタザワのマンションには、既に二人の同居人マリコとサトシがいた。動物が巣穴にこもるように自室に閉じこもって暮らすマリコとサトシに驚きつつも、キタザワの部屋に自分のテリトリーを築くべく、懸命に掃除をする南。しかし、キタザワ、マリコ、サトシと暮らしているうちに彼らの意外な関係を南は知ることになる。
「かかとの下の空」
別れの予感を抱えた夫婦があてのないアジア放浪に出るが、あきらかにドラッグ中毒の怪しげな日本人女性につきまとわれる。強いストレスの下で、二人は自分達の関係について問いかける。
「菊葉荘の幽霊たち」ハルキ文庫
主人公の友人、吉元は、現在暮らしているアパートを立ち退くよう求められており、それは部屋の選び方を間違えたせいだという。本来、自分がいるべき場所に住まないといけないと信じる吉元が選んだのは、古い木造アパート「菊葉荘」だった。住人を追い出して、自分の部屋を作ると主張する吉元を手伝おうと、主人公は「菊葉荘」に住む大学生蓼科の部屋に転がりこみ、偽大学生として、蓼科の友人達とも付き合い始める。主人公は、「菊葉荘」の他の住人達の生活も探り始めるが、みな一癖も二癖もありそうな奇矯な暮らしをしている。
「これからはあるくのだ」 文春文庫
表題作は、主人公が自転車から降りて赤信号で待っていたら、自転車の後で突然老人が倒れ、振り返った主人公が、老人の連れの女性から猛スピードで追突したと糾弾される。倒れた老人なら真実を証言してくれると期待して、老人の意識が戻るのを待ったが、その老人からも同じように糾弾され、もう自転車には乗らないと決心する話。
近所の廃墟に想いを馳せる「悪魔の家」や、高級しゃぶしゃぶ店で隣の席の『おじさん』と女子高生の会話についつい耳を済ませてしまう「盗み聞く」など、どこにでもあるはずの日常が微妙にねじれてしまう角田ワールドのエッセイ集。
「だれかのいとしいひと」 文春文庫
主人公が付き合っていた彼氏・川原新造は、転校生の気持ちはそうでない人には「絶対に」わからないと宣言し、主人公を振る。偶然見つけた「転校生の会」に参加し、そこで何を目的にしているのかわからないまま、元転校生や現転校生達の話を聞く主人公と、参加者達の曖昧な関係を描いた「転校生の会」や、恋人同士のデートになぜか一緒に付いていく小さな女の子、そういう思い出について語る「だれかのいとしいひと」などの作品が入った短編集。
4冊まとめて紹介しましたが、4冊とも角田光代ワールドとも言うべき世界が展開しています。
角田光代を読んでいると、結婚する前のひとり暮らしの頃を思い出します。
あの頃は、世界が理不尽でした。自分を受け入れているような、それでいて最後のところで身をかわされてしまいそうな、不安な感覚を常に抱いてました。角田光代を読んでいると、主人公達の隣人は常に奇矯で、普通の人の仮面を被って生きている癖に、主人公とある種の親密な関係になった途端に、その理不尽な行動で主人公を裏切ってしまいます。それでは主人公が常に被害者なのかというとそうでもなく、主人公は主人公で身を切られるような強い衝動に煽られて、親しい人の信頼を裏切る行動をとることを余儀なくされるのです。
その信じたいという気持ちと、信じられない気持ちと、相手の無言の期待に対する裏切りと、自分も裏切られる寂しさと、そういうのがごったになって押し寄せてくるときの、離人的な感覚を、結婚してからはすっかり忘れていたのですが、それを思い出させるのが、角田光代の作品です。
角田光代のもう一つの特徴として、自分の住んでいるところの軽視というのがあると思います。結婚して安定した生活を送っていると、居心地のいい家庭があり、それが自分の中でそれなりの重さを持って、存在しているのですが、角田光代の小説の登場人物達は、実に軽々と、自分の生活の場を捨ててしまいます。そして、新しい場所へと移動することで、様々なドラマが生まれるわけですが、こんなに簡単に捨てるんだ、その場をと思う場面が、よく出てきます。
結局、人に対する安定した愛情は、その愛情を示す場と密接に結び付いており、そういう場と人に対する無邪気な信頼の中で、普通の人は過ごしているのですが、思春期のある時期からそういう信頼性を一度捨て、再び世界の中で自分のそういう対象を見つけ出さないということを普通の人はやっていくわけです。その場は生まれたときにはアプリオリに与えられるものですが、自分の力で見つけ出したと思っているそれに対しての不信感とか、あるいはまだ見出せてないそれへの喪失感とかが、角田光代のモチーフなのかなと、勝手に思ったり。
一つ一つの作品は軽くて読み易いと思いますが、ある種の毒を持っている作品です。でも、毒のない小説なんて、読んでもしょうがないでしょ。
「情熱大陸」から角田さんの事を知って、
だんだんハマってきているのにやっと気付いたり…(笑)
こちらで取り上げられている作品も機会があったら
いつか読んでみようと思っています。
早速の来訪ありがとうございます。
角田光代のブログ検索をすると、情熱大陸のおかげでいっぱいヒットしますね。
これから、ますます流行りそうな気がします。
このクールな感じが今の時代感覚と合っているのでしょうね。確かに面白いです。
どんどん文庫化されているようなので、僕も継続的に読み続けると思います。