以前、こちらの記事で、ブログのメリットについて自分なりにまとめてみました。
ただ、この記事では、コンテンツの内容については棚上げにして、利用者の利便性という点にのみ着目して話していました。
最近、情報量の少ないブログを批判する記事をいくつか見かけたのと、「自分のプライバシーを匿名性を隠れ蓑にブログで公開したがる寂しい人が増えている。」とのトーンでの報道が合ったとのことで、うーんと考え込んでしまいました。
じゃあ、翻ってネット以外のコミュニケーションはどうかと見てみれば、別にみんな大した話していないでしょ。どこそこのラーメンがうまいとか、あっちのスーパーは安いとか、そんな話ばかりですよね。
で、そういうことをわざわざネットでやる必要ないじゃんと言う説がありますが、逆に言うと、ようやくネットで、そういう当たり前のコミュニケーションができるようになったんだと言う言い方もできます。
対面コミュニケーションの不便なところとして、インフルエンザになったんだと言われれば、義理にでも「大変だねー。」と言わなければいけないところ。しかも、対面だと、義理で言ったというのもばれてしまいますからね。だから、相手を見てそういう発言をしないと、相手が可哀想です。
ブログのよいところは、無視、スルーが可能なところ。
「物言えば唇寒し秋の風」と昔の人が言ったとおり、過去のコミュニケーションにおいては、言わない美徳が重視されてきたと愚考しておりますが、ブログの場合、そこまで相手に気を遣わなくてよいという大きなメリットがあります。
しかし、人の感受性なんて、もともと千差万別のもの。同じものを見て、同じように感じることを強要するなんてそもそもおかしいのであり、僕にとっては、日々自分が何にどう感じたかを切り取って文章化する作業自体が楽しく、さらにそれについて誰かからコメントをもらえると非常にうれしいです。
何でも昔は沈黙交易とかいうのがあって、中立地帯の木の切り株に何か物を置いておくと、別の村落の人がそれを持ち帰って変わりに別の物を置いていくというのをやっていたらしいです。で、ブログというのはまさにそれで、公開された場所にゴミだか宝物だかを置いておき、誰かが持って行ってくれないかなとどきどきしながら見ている(この辺、全部、内田樹の受け売りですが)。
玉石混淆というのがまさしくブログのメリットであり、自分の置いたものが他人の目にどう映るか、また他人の見ているものが自分にとってどうなのか、常に自分の価値観が問われる面白さというのがあります。
しかもTBというのが出来て、他人様のブログに「俺もこんな面白いこと書いたんだぜー。」と足跡を残せるというのは秀逸ですね。
だから、「寂しい」というのはお門違いもよいところ。情報量が少ないことを非難する人も、情報量というのは、受け手の価値観によって変動することをお忘れじゃありませんか?と思いました。
僕の場合、またまたハウルネタになるのですが、ハウルを単純なラブストーリーとして堪能できた人が予想外に多かったというのは、ブログで得た貴重な情報です。また、それ以外にも実に多くの個性的な読み方があって、なかなか面白かったです。
ちなみに、僕が理想とするブログコミュニケーションの有り様は、開かれた井戸端会議です。アクセスカウンターを上げることよりも、他の人の面白いブログと出会い、自分もそれに刺激を受けて面白いネタを書けるようになりたいと思っています。(ちょっと優等生的か)
なお、この記事は以下の二つのブログに強く刺激を受けて書きました。
極私的脳戸の「はてなブックマーク、その2」
なべの鍋「ゴメンナサイが素直に言えない」
ただ、この記事では、コンテンツの内容については棚上げにして、利用者の利便性という点にのみ着目して話していました。
最近、情報量の少ないブログを批判する記事をいくつか見かけたのと、「自分のプライバシーを匿名性を隠れ蓑にブログで公開したがる寂しい人が増えている。」とのトーンでの報道が合ったとのことで、うーんと考え込んでしまいました。
じゃあ、翻ってネット以外のコミュニケーションはどうかと見てみれば、別にみんな大した話していないでしょ。どこそこのラーメンがうまいとか、あっちのスーパーは安いとか、そんな話ばかりですよね。
で、そういうことをわざわざネットでやる必要ないじゃんと言う説がありますが、逆に言うと、ようやくネットで、そういう当たり前のコミュニケーションができるようになったんだと言う言い方もできます。
対面コミュニケーションの不便なところとして、インフルエンザになったんだと言われれば、義理にでも「大変だねー。」と言わなければいけないところ。しかも、対面だと、義理で言ったというのもばれてしまいますからね。だから、相手を見てそういう発言をしないと、相手が可哀想です。
ブログのよいところは、無視、スルーが可能なところ。
「物言えば唇寒し秋の風」と昔の人が言ったとおり、過去のコミュニケーションにおいては、言わない美徳が重視されてきたと愚考しておりますが、ブログの場合、そこまで相手に気を遣わなくてよいという大きなメリットがあります。
しかし、人の感受性なんて、もともと千差万別のもの。同じものを見て、同じように感じることを強要するなんてそもそもおかしいのであり、僕にとっては、日々自分が何にどう感じたかを切り取って文章化する作業自体が楽しく、さらにそれについて誰かからコメントをもらえると非常にうれしいです。
何でも昔は沈黙交易とかいうのがあって、中立地帯の木の切り株に何か物を置いておくと、別の村落の人がそれを持ち帰って変わりに別の物を置いていくというのをやっていたらしいです。で、ブログというのはまさにそれで、公開された場所にゴミだか宝物だかを置いておき、誰かが持って行ってくれないかなとどきどきしながら見ている(この辺、全部、内田樹の受け売りですが)。
玉石混淆というのがまさしくブログのメリットであり、自分の置いたものが他人の目にどう映るか、また他人の見ているものが自分にとってどうなのか、常に自分の価値観が問われる面白さというのがあります。
しかもTBというのが出来て、他人様のブログに「俺もこんな面白いこと書いたんだぜー。」と足跡を残せるというのは秀逸ですね。
だから、「寂しい」というのはお門違いもよいところ。情報量が少ないことを非難する人も、情報量というのは、受け手の価値観によって変動することをお忘れじゃありませんか?と思いました。
僕の場合、またまたハウルネタになるのですが、ハウルを単純なラブストーリーとして堪能できた人が予想外に多かったというのは、ブログで得た貴重な情報です。また、それ以外にも実に多くの個性的な読み方があって、なかなか面白かったです。
ちなみに、僕が理想とするブログコミュニケーションの有り様は、開かれた井戸端会議です。アクセスカウンターを上げることよりも、他の人の面白いブログと出会い、自分もそれに刺激を受けて面白いネタを書けるようになりたいと思っています。(ちょっと優等生的か)
なお、この記事は以下の二つのブログに強く刺激を受けて書きました。
極私的脳戸の「はてなブックマーク、その2」
なべの鍋「ゴメンナサイが素直に言えない」
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