昨日の早朝、なぜかぱっちりと目が覚めて、「航路」の書評を書き込みました。その中で、東京大空襲について、ほんの少し触れましたが、僕がブログを書いている日時の、ちょうど60年前に、僕が住んでいるこの辺り一帯は、アメリカ軍の空爆により火の海となっていました。
60年前というと、私の父母が、まだ幼いながらも生まれている頃の話です。
犠牲者として亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします。
東京大空襲について、いろいろな方がブログで意見を述べられていらっしゃいましたが、その一部で、誰が加害者なのか、誰が被害者なのかという議論をいくつか読みました。
ちょうど、「航路」で、フィクションですが、真珠湾攻撃で死に損なったウォジャコフスキーじいさんの話が出てきます。真珠湾攻撃の頃こそ被害者でしたが、そこから米軍が太平洋の制海権を確保する戦いの中で、日本人兵士を大量に殺戮しているはずです。
結局、戦争というのは、憎悪の連鎖であり、そこには、純粋な被害者も、純粋な加害者もいないと思います。
戦争を停めるには、憎悪の連鎖を止める勇気が最も大切だと思います。
復讐に燃えるブッシュと、憲法第九条に非常にユニークな解釈をして、海外派兵している小泉に対して、自分達の行為が本当に憎悪の連鎖を止める行為なのかどうか、よく考えて欲しいと思います。
60年前というと、私の父母が、まだ幼いながらも生まれている頃の話です。
犠牲者として亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします。
東京大空襲について、いろいろな方がブログで意見を述べられていらっしゃいましたが、その一部で、誰が加害者なのか、誰が被害者なのかという議論をいくつか読みました。
ちょうど、「航路」で、フィクションですが、真珠湾攻撃で死に損なったウォジャコフスキーじいさんの話が出てきます。真珠湾攻撃の頃こそ被害者でしたが、そこから米軍が太平洋の制海権を確保する戦いの中で、日本人兵士を大量に殺戮しているはずです。
結局、戦争というのは、憎悪の連鎖であり、そこには、純粋な被害者も、純粋な加害者もいないと思います。
戦争を停めるには、憎悪の連鎖を止める勇気が最も大切だと思います。
復讐に燃えるブッシュと、憲法第九条に非常にユニークな解釈をして、海外派兵している小泉に対して、自分達の行為が本当に憎悪の連鎖を止める行為なのかどうか、よく考えて欲しいと思います。
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