よんたまな日々

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ホラーについて考える

2008年08月14日 | 読書
以前の記事で、「ダークウォーター」をゴシックホラーだと書いた。
この認識は合っているのだろうかと不安になり、ネット検索したところ、同じ意見のブログをいくつか見つけて安心した。

普段の僕ならここで済ますのだが、うちの奥さんに飲み屋のネタで振ったところ、厳しい意見をもらって、それからずっと考えている。

その厳しい意見というのは
「Aがゴシックホラーかどうかを考えるのに、ゴシックホラーの定義をきちんとする必要があるわ。」(奥さん)
「そうなんだけど、定義すると、ダークウォーターはゴシックホラーじゃなくなる。」(僕)
「どういう定義?」(奥さん)
「普通はドラキュラ物とフランケンシュタイン物をさす。」(僕)
「それだけ?」(奥さん)
「うーん、ドラキュラとフランケンシュタインはもっとも初期のホラーなんで、そっからホラーがいくつも分節したので、あえて初期ホラーという意味で使うかも。」(僕)
「じゃあ、今はゴシックホラー作られてないんだ。」(奥さん)
「いやいや、ドラキュラは今でもネタの宝庫じゃん。えっと、それ以外の特長として、ゴシックだから、舞台がヨーロッパ中世で、ものすごく華美な装飾的建物、ドレスをまとった女性が出てくる。そして、ドラキュラは貴族なのに、必ず民衆に倒されてしまう、少し物悲しい話。」(僕)
「ああ、スリーピー・ホローね。」(奥さん)
「うん、あれは物凄く正しいゴシックホラーで、あれについては何の問題もない。」(僕)
「ちょっと待って、ゴシックの意味を知っている?」(奥さん)
「だからゴシック建築に代表される装飾華美の中世ヨーロッパの様式の一つで...」(僕)
「それは間違っている。もともとヨーロッパには正しい伝統に則った様式があって、もっとも正統派のものには、名前はついてないの」(奥さん)
「ほえ?」(僕)
「正しい伝統からどう外れるのかによって、ゴシックとバロックに分かれるの。
ゴシックは、『ゴート族の』という意味で確かにごてごてしたという感じもするけど、それ以上に柱が太くて時代遅れの田舎風という意味なのよ。逆に対照的なのが、バロックで、これは洗練しようと思って歪ませすぎたものという意味で使われ、たとえば日本の正統な真珠に対し、傷や歪みのある真珠をあえて使って、面白みのあるアクセサリーに仕立てあげるとか、そういうのがバロック。だから、バロックは、正統に対するずれが、ゴシックと逆方向に行ったものなの。」(奥さん)
「うわ、それは全く知らなかった。中世の正統派デザインという意味でゴシックを使っていたよ。」(僕)
「だから、ゴシックホラーという言葉は、それ自体が矛盾しているのよ。だって、ホラー自体がいわばバロックじゃん。正統派の映画に対する異端でしょ。」(奥さん)
「いやいや、ちょっと待って。するとゴシックホラーという言葉はすごく正しい。だって、ホラーはドラキュラから始まったので、あえて旧形式で作った田舎くさいホラーがゴシックホラーなんだよ。すると、確かにドラキュラやフランケンシュタインが出てくるのは、ゴシックだけど、ダークウォーターも正しくゴシックだ。」(僕)
「え!?なんで?」(奥さん)
「だって、古臭い画面、現代的とされるホラーの要素をあえて全て除いた構成、そしてスタイリッシュな舞台装置と物悲しいストーリー。ドラキュラを用いずに、これだけ正しくゴシックホラーな映画がかつてあっただろうか!」(僕)
「なんで、一人でクラシック探偵ごっこやっているのよ。私はあなたの定義が間違えていると言っているのよ。」(奥さん)
そして、そういう奥さんの突っ込みを無視して、一人で陶酔している僕という光景が二週間くらい前の野田の串焼き居酒屋たこ吉で見られたのでした。

というところで前振り終わり(ながっ!)。つーか、言いたいことはここまでで尽きたような気がするのですが、こういう議論をするためには、ホラーの流れみたいなものについてのある種の見方が必要で、本来であれば、文学部の偉い人がやる仕事なんでしょうけど、まあうちの奥さんに大見得を切った都合上、よんだ流ホラーの歴史みたいなのをちょっと整理しておく必要があると思っていたのである。

ホラーをどう分類して歴史化するかという話で、既に誰かがやっているでしょうけど、よんだとしては、そのホラーを成立させる恐怖感の源泉で分類すべきだと思っています。

わかりやすいのから、順番に行きます。

1. ゾンビもの
いきなり最初にこれが来るのがバブルの子だなって感じですが、80年代後半から90年代序盤を一つのピークとして大量に作られました。B級ホラー、粗製乱造の代名詞ともなった「死霊の盆踊り」なんかが代表ですね。
大体がアメリカで制作されて、日本でかなり忠実に上映、ビデオ化されています。

ゾンビがなんで怖いのかという背景については、キリスト教的世界観が背景にあると理解しています。キリスト教者として正しく生き、きちんと死ぬと、生きている間にやったことが評価され、天国か地獄かに振り分けられます。これはまあ仏教と一緒なのですが、天国や地獄に終わりがあるところが仏教と違います。最後の審判の日が来ると、天国にいる人も地獄にいる人も生きている人も、きちんと終わりを迎えるようです。終わったらどうなるのかはよく知りませんが。
でも、この最後の審判の日に神様にきちんと清算してもらえるのはキリスト教者で、天国か地獄かにきちんといけた人だけで、死んでない人は最後の審判の日に古い世界とともに滅んでしまうようです。仏教徒的死生観の中にいる僕としては、もう死んでいるから十分じゃんと思うのですが。
で、そのきちんと死ねなかった代表格がゾンビです。不幸にして、肉体的死を迎えているのに、魂が召されなかったために、死んだ肉体に意識が残って活動を続けている状態のもの。
これが、なんで怖いかというと、きちんと殺しておいてあげないと、最後の審判に向けた生の清算ができないんですね。
...本当かな、書いていて自信がなくなりました。

まあ、そういう意味でゾンビになってしまうことにクリスチャンは恐怖を覚えるのですね。で、それをネタにしたホラーとしてゾンビ映画が大量に作られたのだと思います。
クリスチャンじゃない日本人が、なんでそんなにゾンビ映画を見て怖がったかというと、多分日本がアメリカ文明の極東にあるからだと思います。
次の節で述べるスプラッタ的な受け止められ方をしたんでしょうけど。
なお、最近のゾンビものは伝染性というのを恐怖のうりにしているみたいで、クリスチャンとしてきちんと生きてきたのに、勝手にゾンビをうつされちゃあたまらんですね。

ちなみに、国内映画でゾンビものはほとんどないと思います。
ただ、日本でも死はタブーなので、小説とかでゾンビ物がいくつか出ています。
代表作は牧野修の「屍の王」だと思いますが、小林泰三もいくつか書いてますね。
小林泰三のゾンビ物はホラーというより、アメリカ映画とゲームへのオマージュという感じがします。
ゲームでのゾンビの扱いについては、別の記事でいつか書きたいと思っています。

2.スプラッタ
生理的嫌悪感をそそることでホラー感を醸造しようというものです。
ゾンビまでが実は我慢できる限界で、スプラッタは見れない、見たくない映画です。
代表作としては、やっぱり、「13日の金曜日」のジェイソン君とか、「エルム街の悪夢」のフレディ君とかですかね。
私はこの方式はホラーとして認めてないんで、あまり書くことができません。
単純にスプラッタ面だけではストーリーを作ることはできないので、その生理的嫌悪感をもたらす邪悪な存在がどういう背景で現れるかで、他との組み合わせにもなります。
実は「キルビル」とか「バトルロワイヤル」とかも、スプラッタに入れていいと思う。

3.死者の恨み
これが日本のホラーの王道ですね。「東海道四谷怪談」から始まって、「呪怨」「リング」「着信あり」。Jホラーはほとんど全てここに分類されると思います。
なんで、死者なのか?もちろん、既に説得できないからです。
生者の恨みなんてのは、現実世界には山のようにあり、僕らはそういうものを日々なんとかして生きているので、ホラーにはなりませんが、もう会話できない死者が恨みを持って、生きている人の世界に干渉してくるというのは、本当にあったとしたら、すごく怖いですね。
ところで、海外でこういうのってあります?
イギリス人とか幽霊好きで有名ですが、死者の恨みをベースにしたイギリスホラー映画って知らないんですが。まあ、本家本元の日本でいっぱい作られているので、わざわざイギリスから輸入する必要がないだけかもしれませんが。

4.妖怪・幽霊・怪獣もの
死者の恨みを幽霊とわけたのは理由があります。というか、これを一個のジャンルに押し込むのはおかしいという反論がありそうなので、ちょっと説明します。

妖怪というのは、近代以前、科学的合理主義の前の日本において、直感的に納得できない現象を説明するための機構であると喝破したのは京極堂です。
あまりにも、この説明が見事すぎて、僕としては京極堂前と後でホラーの見方が変わりました。

この立場を採ると、最初に怪現象を起こし、その説明として、妖怪もしくは幽霊を持ってくるというスタイルは全部同じ構造をしていることになります。
だから、妖怪も幽霊も怪獣も全部こちら。

すっかりテレビ的刺激になれてしまって、怪獣ものに対して「怖い」という感覚を持たなくなってしまいましたが、昔はウルトラマンの怪獣も前半部で謎の現象を引き起こしている時点では十分怖かったです。だから、科学特捜隊が正体を突き止め、ウルトラマンが怪獣退治をしてくれるので、ラストシーンでやっと安心できたという。
懐かし映像でバルタン星人初出の回とか見ていると、前半部明らかに怖がらせようとしてますよね。あの薄暗い街の映像とか。

ということでこういう構成をしているものは、全部こっちに分類します。
超能力とかも怪奇現象の一種として使われていて、種明かしで超能力でしたなら、ここね。

で、これは本当にこわいのかと思うと、実はホラーに入れるのは微妙な感じがします。ゲゲゲの鬼太郎とか、子供視点はともかく、大人の視点であれを見て、怖がれますか?

ちなみに、死者の恨みと幽霊を分けたのは、怪奇現象があってそれは怖いんだけど、その種明かしが幽霊でしたならこっちですが、そうじゃなく、種明かしが終わったあとでも十分怖さが残るようであれば、その恐怖の源泉は死者の恨みだということで、3に。

ただ、このジャンル、ホラーとしてではなく、名作もたくさんあります。これも別のブログ記事に起こしたいと考えてます。

そして、冒頭で話題になったゴシックホラーも、これの一種なのですね。
だから、それは本当にホラーなのか。
代表としてあげた「スリーピーホロー」も、ドラキュラは「だし」で、実際に怖いのは、おっとネタばれ、ごにょごにょ。
そして、ダークウォーターも怪現象の説明に幽霊を使ってしまうんで、こちらに分類されてしまいます。そして、かつての正統派であり、今や古臭いとされる手法で、でも逆にそれで見ている人にある種のエモーションを掻き立てるのに成功すれば、それはすごく正しくゴシックでしょう。


5.不条理もの
こうやってあげていくと、結構上の4項目でネタは尽きたような気がします。
僕が過去読んだホラーは大体この4項目におさまると。

で、一部納まらないのがあって、スティーブンキングと、貴志祐介「黒い家」、それから「くだんのはは」とか、「箪笥」とか。

実は名作とされるのは、上の枠組みにおさまらないからこそ名作なのかもしれません。
説明しきらない不条理ゆえの怖さというのがあって、ただし、単純に不条理だけでは読者に伝わらず、絶妙な距離感で、説得力をもたすのに成功すると、名作ホラーになるみたいな。

ただし、そこで応用の利くネタを使ってしまうと、あとで同工異曲がいっぱいでてきて、新ジャンルとなってしまうかもしれません。

てな感じで、全部のホラーを説明しきっちゃった。
そして、ゴシックホラーの立ち位置をかなり明確にできたと思います。
うむ、いまや、新しいゴシックホラーは過去の名作へのオマージュに過ぎないのね。「ダークウォーター」は、Jホラーの終焉を告げた記念碑的名作ということで。

見事に結論が出たということで、おあとがよろしいようで。ぺぺんぺん。


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