さっき、書いているうちに熱くなってきてしまってああいう記事を書きましたが、よく考えると、富士山とか羽黒山とか、昔女人禁制だった修験の山というのはいっぱいあった筈で、それらがフェミニズムなのか、近代化なのかわからないけど、全部女人禁制でなくなったわけですよね。
そうすると、最後に一つ(なのかな?)残った大峰山は、フェミニズム勝利のモニュメントとなるのではないかなと思いました。大峰山の女人禁制の碑を見るたび、昔はほとんどの山でそうだったのだよと振り返れるという意味で。
と、似非フェミニストの僕なんかは思うのですが、本当のフェミニストはもっと厳しいのかもしれませんね。世界中の全ての場所から不合理を撤廃しなければならないと。天然痘撲滅運動みたいなものかしら。
そうすると、最後に一つ(なのかな?)残った大峰山は、フェミニズム勝利のモニュメントとなるのではないかなと思いました。大峰山の女人禁制の碑を見るたび、昔はほとんどの山でそうだったのだよと振り返れるという意味で。
と、似非フェミニストの僕なんかは思うのですが、本当のフェミニストはもっと厳しいのかもしれませんね。世界中の全ての場所から不合理を撤廃しなければならないと。天然痘撲滅運動みたいなものかしら。
昔は、ほとんどの山が女人禁制でした。フェミニズムに近い立場から、この禁制を打ち破ろうとした人もいました。富士山に初めて登った女性も「修行に男女の差別はない」と考えた冨士講の一行と一緒に登っています。
しかし、女人禁制が解かれることはありませんでした。
そして、女人禁制が解かれたのは、国家神道の確立のために、民衆に根をおろした修験道の権威を低下させようとした明治政府によってでした。
ですので、フェミニズムの勝利によって、開放された山なんてないわけです。
そして、唯一、その可能性が残されているのは、明治時代の修験道への弾圧が激しく当事者能力さえ失い、女人禁制の撤廃さえできなかった大峰山ということになります。