ブログを読んだり、ネット記事を読んだり、テレビを見ていると、肌感覚として、アンチリベラルというか、リベラルの建前主義への反発を強く感じる。
岸田首相は、自民党の中ではリベラル路線だそうだが、その首相にして、夫婦別姓選択に対するおよび腰、女性天皇に対する慎重な姿勢に驚く。
寧ろ、大正デモクラシー後の、強烈な右翼台頭の前夜のような危機感を勝手に抱いている次第。
前に読んだ「生贄探し」が、リベラルの良識が世間に広まらない苛立ちしか感じず、なぜ?との疑問に全く答えを待ち合わせてないとの不満の中で、見つけた小説。
まず、小説として面白かったです。
帯の宣伝文句で、多様性礼賛への煽りがありましたが、そうとも読めるし、そうでないとも読める。
この両義性が文学としての深みを出しています。
主人公の一人は検事、寺井啓喜。犯罪者を裁き、社会に平和と安寧をもたらしたと自負する彼は、多くの犯罪者が社会の安全な場所からこぼれ落ち、ルールを破らざるを得ない状況に落ち込んだ上での犯罪であることに心痛めており、周囲の関係者がなぜ社会の安全なルールの中で暮らすように守ってあげられなかったのか、憤りを感じている。
よりにもよって、そんな彼の息子が、エリートコースである私立小学校に入ったのに、高学年で不登校となってしまう。
息子は、義務教育の登校を強制する社会の仕組みに反発を感じており、ネットで不登校を正当化する言説に触れ、惹かれているが父を説得できない。父は豊かで安全な人生のために、「普通の」学生生活を送って欲しく、その背景に自分の職業柄よく目にする社会の溢れ者達の実例があるのだが、それを息子に説明できない。
息子はネット動画で、不登校でも楽しく暮らす自分達の姿をネット配信し、人気が出るが、遊び動画を褒めそやし、リクエストをくれる一部の大人達が、自分達の倒錯した性欲を満たすためのリクエストであることを知らない。
もう一人の主人公佐々木佳道、水の動きにしか性欲を感じない男性。正常な世界から完全に締め出されていることが当たり前な彼は、先程の検事の息子の動画サイトへのリクエストから、他にも仲間がいることを知る。
彼の根深い、「無神経に多数派の性的嗜好を押し付ける社会(異性に性的な興奮を感じる特性とそれを前提として構築される社会)」に対するルサンチマンを、田舎の閉鎖的なコミュニティの一部となっている中学校の思い出を通じて描写する。
一方、さらにもう一人の主人公八重子、性的なメッセージを含んだ男性からの視線に恐怖を感じる女子大生が、反ミスコンとして、企画したダイバーシティフェスが大成功を収めるが、彼女の視線の先には、何故か視線が怖いと感じないある男性への憧れが‥
という感じで、「性的少数派なめんなよ」という「貴方がたには理解できない」と世間に背を向ける人達と、それらを裁く世間の体現者、さらに無神経にマイノリティに近づいて理解したふりをして、ナイフを突き立てる無神経な人達との葛藤が凄まじく描かれます。
面白かったですが、私の求めていた答えになったかどうかは、八重子次第。
彼女は、最大の山場で、素晴らしいプレゼンテーションをしますが、その答えは、警察権力の介入で出されないまま、終わってしまいます。
リベラルの基本は、異文化を「理解する」ことではなく、「理解できないものを排除しない」ことなので、その一点において、八重子以外の世間側は全部アウトです。
それが我が子で、敢えて不幸な選択肢を選ぶ子供を認めてあげることができるかは、親の器量なのか、それとも子育てに対する責任放棄なのかは、難しい。
さらに小児性愛者は、親としては、もちろん犯罪者として排除して欲しいのですが、それを排除するのは、リベラルとしていいの?というところについて、説明する必要は感じています。
読書体験としては満足ですが、万人にお勧めできる本ではないです。
まあ、あまり、真面目に深刻に考えなくとも、大丈夫でしょう。
最後にうる星やつらのED「宇宙は大ヘンだ」
雨の休日ですね。今日はのんびり過ごしましょう。
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