先日会社帰りに、疲れた身体を引き擦って、すっかり暗くなった帰路を歩いていたときのこと。建物の隙間の街灯に照らされた小さな草むらの中で、子猫がばたばたと暴れていました。
よく見ると、カナブンだか羽虫だかの死にかけて必死で逃げようとしているのを手でちょっと押さえたり、軽く噛んだりして、殺さないようにしながら、夢中になって遊んでいるのでした。
野良らしく、毛並みも汚れ、がりがりに痩せていて、まだ小さい子猫ながら本当に生き抜けるのだろうかと心配になるような様子であるのに、こちらが近付くのも気が付かず、全身全霊で遊びに熱中しているのを見て、表題の言葉が胸に浮かぶとともに、何とも言えないもの哀しい気持ちになりました。
以前、ちょっと仕事とブログの関係について書いたことがありますが、実際には仕事密着型ブログってやはり多いですよね。そういう人のブログを読んでいると、ああ、この人は自分と仕事との間に幸福な関係を築いているのだなとうらやましく感じます。何も前向きな意見だけではなく、批判的な記事も見かけますが、そういう批判的な記事にしても、その背景に自分の仕事を少しでもよく回したいという気持ちがあって書いているものであれば、読者を不愉快にさせることもなく、職業倫理に触れることもなく、書けるものなのでしょうね。
ネットを眺めていて、人事評価や目標管理についてのコラムを連載しているページで、「ゲームに金を払うくらいなら、仕事を楽しめ」という主旨の記事を読みました。
自分と仕事の関係が幸福である人、あるいはそうありたいと願っている人にとってはうなずける記事なのかもしれません。
しかし、人と人との関係と同じく、仕事と人の関係も常に幸福であるとは限りません。誰と付き合うかを選べるように仕事についても選択肢はありますが、人に対する片思いがあるように、仕事についても片思いがあり、それぞれの人が、みなそれなりに妥協点を見つけているのだと思います。
ゲームも仕事も困難を克服するという意味において、共通点が多いのはわかりますが、ゲームの困難は本当にバーチャルです。仕事で、顧客から責められている時に放っておいて飯食う人はいないと思いますが、ゲームなら、プレイヤーキャラクターが生死の危機に直面している時に、ちょっと置いておいて、トイレに行ったり、飯食ったりできます。
そういう意味で、実際の仕事ではリスキーでとてもできない勝負をゲームでは敢えて仕掛けることができます。だから、ゲームは面白いと思います。
谷山浩子が昔、何かのゲーム雑誌で、「ゲームの中でも現実と同じ時間が流れるなんてつまらない。」と言っていました。20年前の記憶だけで書いているので、言葉遣いやニュアンスが結構違うかもしれませんが。
ただ、ほとんどのゲームでは、現実と違う時間が流れています。
良質なゲームは、システムやシナリオでもいろいろと工夫はあると思いますが、プレイヤーに特別な時間感覚を与えるものかもしれません。具体的なゲーム名を上げながらいろいろと書けそうな気もしますが、それはまた次回。ちょうど時間となりましたということで。
よく見ると、カナブンだか羽虫だかの死にかけて必死で逃げようとしているのを手でちょっと押さえたり、軽く噛んだりして、殺さないようにしながら、夢中になって遊んでいるのでした。
野良らしく、毛並みも汚れ、がりがりに痩せていて、まだ小さい子猫ながら本当に生き抜けるのだろうかと心配になるような様子であるのに、こちらが近付くのも気が付かず、全身全霊で遊びに熱中しているのを見て、表題の言葉が胸に浮かぶとともに、何とも言えないもの哀しい気持ちになりました。
以前、ちょっと仕事とブログの関係について書いたことがありますが、実際には仕事密着型ブログってやはり多いですよね。そういう人のブログを読んでいると、ああ、この人は自分と仕事との間に幸福な関係を築いているのだなとうらやましく感じます。何も前向きな意見だけではなく、批判的な記事も見かけますが、そういう批判的な記事にしても、その背景に自分の仕事を少しでもよく回したいという気持ちがあって書いているものであれば、読者を不愉快にさせることもなく、職業倫理に触れることもなく、書けるものなのでしょうね。
ネットを眺めていて、人事評価や目標管理についてのコラムを連載しているページで、「ゲームに金を払うくらいなら、仕事を楽しめ」という主旨の記事を読みました。
自分と仕事の関係が幸福である人、あるいはそうありたいと願っている人にとってはうなずける記事なのかもしれません。
しかし、人と人との関係と同じく、仕事と人の関係も常に幸福であるとは限りません。誰と付き合うかを選べるように仕事についても選択肢はありますが、人に対する片思いがあるように、仕事についても片思いがあり、それぞれの人が、みなそれなりに妥協点を見つけているのだと思います。
ゲームも仕事も困難を克服するという意味において、共通点が多いのはわかりますが、ゲームの困難は本当にバーチャルです。仕事で、顧客から責められている時に放っておいて飯食う人はいないと思いますが、ゲームなら、プレイヤーキャラクターが生死の危機に直面している時に、ちょっと置いておいて、トイレに行ったり、飯食ったりできます。
そういう意味で、実際の仕事ではリスキーでとてもできない勝負をゲームでは敢えて仕掛けることができます。だから、ゲームは面白いと思います。
谷山浩子が昔、何かのゲーム雑誌で、「ゲームの中でも現実と同じ時間が流れるなんてつまらない。」と言っていました。20年前の記憶だけで書いているので、言葉遣いやニュアンスが結構違うかもしれませんが。
ただ、ほとんどのゲームでは、現実と違う時間が流れています。
良質なゲームは、システムやシナリオでもいろいろと工夫はあると思いますが、プレイヤーに特別な時間感覚を与えるものかもしれません。具体的なゲーム名を上げながらいろいろと書けそうな気もしますが、それはまた次回。ちょうど時間となりましたということで。
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