7月23日は抗がん剤治療をして一週間目の検査の日でした。
血液検査をして、今後の薬の量を決めるという日です。
その日の朝、娘から電話がありました。
検査に一緒に行って欲しいと言う電話だと思ったのですが、違いました。
「今日は検査日だけれど、まるの具合が悪くて、とても病院へ連れていけるような状態ではない」
という事でした。
「前日から嘔吐が続いていて何も食べられない。
点滴の材料もなくなってしまったので、病院へ行ってもらってきて欲しい。
自分が行っても良いんだけど、その間に息を引き取ってしまうかもしれないから、そばにいたい。」
と言います。
病院へ行けば、最低でも3時間は留守にすることになってしまうからです。
それで私は病院へ行き、3日分の点滴液を貰ってきました。
薬を飲むこともできないので、点滴に飲み薬分の薬剤も入れてもらいました。
点滴を届けに行った時、まるは気持ちが悪いのか、お膳の下にもぐっていて、顔を見せることはありませんでした。
私がいる短時間の間にも、まるは白い泡のようなものを数回吐いていました。
それから2日後の7月25日の朝、まるは亡くなってしまいました。
私が病院からもらってきた薬剤は2日分しか使うことなく、まるは逝ってしまいました。
発症してから2か月くらい、病気がわかってから一か月持ちませんでした。
娘から連絡があったのは、私が毎朝のウォーキングで、土手を歩いていた時でした。
主人に連絡し、急いで家に帰り、二人で娘の家に行きました。
家に着くと、娘の家のリビングのソファーの上にまるは、横たわっていました。
それを娘たち一家が取り囲むようにして座っていました。
全員、泣きはらした真っ赤な目をしていました。
昨夜から家族全員で眠らずにまるの様子をみていたと言います。
その日の午後、まるの火葬をしました。
私たちも主人と息子と一緒に行きました。
火葬場には、パパのお母さんとお兄さんも来ました。
まめたろうの友達の親子も来てくれました。
待合室に入りきれないほどの大人数が集まりました。
まるにすがって号泣していたミニの姿は、全員が見るにしのびないほどでした。
この数日間、まるは苦しそうで一日に何度も吐き、最後には血液を吐くようになっていたらしく、亡くなる直前までずっと苦しそうだったそうです。
それでも最後に力を振り絞って外に出て、庭の洗い場まで歩いて行ったそうです。
まるは洗い場の水道の蛇口から出る水を飲むのが好きだったらしく、最後に蛇口から出る水を飲んで力尽きたのかもしれません。
穏やかで、おとなしく、人間にも他所の犬にも有効的なまるだったので、近所の人たちからも愛されていたようです。
近所の人たちからもたくさんの花束が届いたと聞きました。
5歳になったばかりの短い生涯でした。