寺崎八十四石米

地産地消に向け、美味いと評判を呼んだ地元の米を「八十四石」の名とともに蘇らせるため、見える米づくりを紹介していきます。

初参り

2022-01-04 16:15:31 | 地元紹介
あけましておめでとうございます


一昨年までは地元神社の新年参りは、ほとんどしたことがありませんでしたが、
昨年からコロナの影響もあり参拝するようにしました。

ここ寺崎地区には、四つの神社、二十数カ所に及ぶの祠(ほこら) があります。
この祠ですが、かつて三十ほどあったそうです。
そのうちの二社をお参りしました。


この神社は主に家内安全・病気平癒・海運・出世祈願する産土(うぶすな)神を祀った南六所神社です。

こちらは氏神様(うじがみさま)が祀られた神明神社です。
五穀豊穣・商売繁盛・家内安全・学業成就などに御利益があるとされています。

家内安全、五穀豊穣、病気平癒そして早期のコロナ収束を祈願しました。

この神明神社を西(左)方向に進むと、前に紹介しました密蔵院薬師堂があります。

現在の薬師堂は昨年11月中旬から改修工事が始まり、いまは屋根部分の作業中で、
全体を完了するのは今年の9月までの予定となっています。
足場と覆いでお堂の外観を感じとることができません。


細部にわたり足場が組まれているため、内部もわずかしか様子をうかがい知ることができません。
ざぞ手間がかかる作業なのでしょう。


(参考)改修工事前の薬師堂

さらに薬師堂を過ぎた場所(画像中央)には、富士山を模したといわれる高台があります。
草がチョット伸びてしまってるのでイメージがつかめないかな?

この高台は、周辺の地域の中で最も高いといわれる地のようです。


そして頂には浅間様が祀られています。ここからの眺望は意外といいですよ。

北の方向には筑波山を望めます。

これは西方向、中央には富士山が・・・残念ながら雲でうっすらとしか見えませんが、
快晴の時にはハッキリときれいに見ることができます。


そして南の方角にはJR総武本線が見えます。
いまではこの鉄道区間「モノサク」といわれる鉄道写真家のメッカとなっていて、
多くの撮り鉄さんが訪れるポイントになっているんです。

この総武本線は寺崎隧道(トンネル)ができる前の昭和43年までは、
ここ寺崎の山すそを迂回して、単線の線路を蒸気機関車やディーゼル車が走っていました。

こんなのどかな我が村です。薬師堂の改修工事が完了しましたら是非いらしてください。

八十四石にまつわる「力石」

2021-11-04 11:06:04 | 地元紹介

こちらは密蔵院境内の高台にある佐倉市指定文化財「密蔵院薬師堂」です。
よく見ると基礎の部分は石、このころの建築物は基礎石の上に建てられています。近年、損傷箇所が増えたこともあり、まもなく修繕が開始される予定です。


そして薬師堂向かって左側の一角には、このような基礎石「力石」が保存されています。
力石といえば、江戸時代に鍛錬や力試しとして広まったそうで、全国各地に存在しています。


実は、過去のブログ投稿の “「八十四石」(はちじゅうしこく)とは” は、この「力石の由来」から一部を引用させてもらいました。

この原文中、

“八十四石とは藩主に献上する年貢米の数量で、この米を生産する水田地帯の呼び名ともなっておりました。
当時、米は一俵当たり正味四斗で、十八貫目(六十七、五kg)の重量でした。
年貢米八十四石(二百十俵)は名主が力のある若者を雇い、肩に担いで土蔵に納められました。
従って米一俵を楽々と担げなければ一人前の百姓として扱われません”

とあります。

当時の村長は、年貢を納めるためには体力作りが必要と、俵担ぎや相撲の大会を催行して体力増強を奨励したのですが、米は大変貴重だったたこともあり、俵に代えてこの「力石」が使われるようになったのです。
かつてこの場所には、土俵があり昭和50年ころまで、毎年子供たちによる相撲大会が行われていました。

さらにその前段では、“水田地帯の呼び名ともなっておりました” とあります。この度あるお宅から、それを裏付ける資料(地図)を提供していただきました。
歴史を感じるこの地図、タイトルは、「千葉県根郷村全図」となっています。
明治22年、ここ寺崎村は他の町や村と合併して根郷村となりました。さらに明治27年に開業した総武鉄道(現JR総武本線)が載っています。その後このルートは、昭和43年に完成した寺崎トンネルを通る現在のルートへと変更されたのでした。

赤い丸をアップにしたのがこちらですが、このころの水田の形は整っておらず複雑な形をしていました。
その中に「八拾四石(はちじゅうしこく)」の地名が記載されています。当時の「じゅう」は「拾」が使われていました。

その後昭和29年、佐倉市が誕生したころ八十四石の水田は耕地整理によって、現在の整った形になり八拾四石の地名は消えたのでした。
この地図ですが、昭和初期ころに作られたものと思われます。

ちなみに耕地整理が完了した後の昭和43年には、下図のようになったのです。

貢献されてます!

2021-07-26 19:58:21 | 地元紹介
今朝6時過ぎに稲の様子を見に行くと、既に草刈り作業をしている村人を発見。近づいていくと、先日「サクラオグルマ」を紹介した田んぼを耕作しているミツモト先輩ではありませんか。了解のもと写真を撮らせてもらいました。

花を痛めないように周りの雑草を刈り取るのは、とても気を使う大変な作業です。なぜかこの田んぼを含め、先輩が耕作している水田の周辺には多くの「サクラオグルマ」が生息しているのです。優しい先輩、花も安全な場所を求め人を見て咲いたのかな・・・なんて考えてしまいました。

先輩によれば、10年ほど前には数えられるほどの数で、珍しい花とは知らずに刈り取ってしまっていたそうです。その後、市から保護のための協力要請があって、数がここまで増えたとのことでした。

この時、私のトラックには草刈り機を積んでなかったもので、手伝えませんでした。先輩ごめんなさい。

みちぶしん

2021-07-25 19:45:45 | 地元紹介
「みちぶしん」という言葉をご存じですか?
私は子どもの頃から聞いていたので、なじみのある言葉でしたが、今日はじめて漢字で「道普請」と書くことを知りました。また恥をさらしてしまった(またまた反省)
27日の予定でしたが、天候が悪いようなのでダンプがスリップしそうなエリアを行いました。
この作業、均等に砂利を敷いていくのが難しく、いろいろ工夫してるんです。例えば後方のあおり(砂利が落ちる部分)が全開にならないようにワイヤーで止めています。また轍だけ砂利を敷くときには、中央に砂利が落ちないようにあおりの内側に三角形の箱を置いたりもします。

ただ前進するタイミングが遅れると砂利が山になってしまうため、スコップでの手作業になってしまいます。ブログに載せるので先輩にモデルになってもらいましたが、直ぐに一緒に作業に当たりましたよ。本当です。

知りませんでした

2021-07-21 18:08:38 | 地元紹介

今日、田んぼの見まわりに行くと先輩お二人に会いまして、何かブログネタはないものか相談すると・・・、「今の時期ねぇ、特にないよな。そうだ、あの花紹介したらいいべ」と提案してくれました。説明によると、なにか珍しい花のようで、これまでも近隣の方がわざわざ見に来ていたとのことです。それでこの田んぼを耕作している先輩は畔の草刈りも休止していたのでした。


そしてネットで検索したら、なんとこの花は、「サクラオグルマ」といって佐倉市で発見されたことで命名されたようです。マジ?地元に生まれ育っていながら、本日はじめて知りました。お恥ずかしいことです。事後となったものの、この田んぼを耕作している先輩に撮影させてもらった報告をすると、数年前に佐倉市から保存要請があったそうです。回覧板で知らせてくれたらよかったのに・・・。