「死後の世界」は存在するのでしょうか?
デイリースポーツ配信
いろいろなコメントが出ていて みんな 迷っています・・・
だぁれにも判らない事なのかもしれませんが
天才物理学者ホーキング博士は、 「死後の世界」を否定してたな。
私も全く同感だったが、身の回りの不可解な事象を何度か見聞きするうちに考えざるを得なくなった。
亡くなった父親が存命だったある日、 亡くなった母が今朝(父親の)ベッドの周りを歩いていたと言っていた。
父は認知症ではなく死ぬまで英語で日記を書いていた。
その父親の葬儀の後、私の甥っ子が玄関で 父親を見たと言っていた。
甥っ子は工作機械メーカーのエンジニアだ。 甥っ子は、 母親が亡くなる数日間前に、
傍らに黒い服 (死装束)の人(死神?)を見たとも言っていた。
私自身昨夏趣味の城廻で、 関東の廃城跡でセルフタイマーで撮った写真に人魂が写っていた。
他にもあり、 私自身不可解な出来事を見聞きしているうちに、
どうにも否定出来ないこともあり、 「死後の世界」を考えざるを得なくなっている。
このコメントが一番解りやすくて私も同感です。
私の妹が亡くなって もうじき 60年が来ようとしていますが
急性骨髄性白血病で その時代 救う手立ても無く ただただ痩せていくばかりでした。
私はその頃家を出ていて 男の実家で 結婚のまねごとをして暮らしていましたので
自分が働いていたうどん屋さんでの仕事ぶりを絵手紙にして 妹に書いて出したものですが
私の夢枕に その絵が面白いと言って ふわふわと尋ねてきたのです。
真っ白いワンピースだか 着物だかを着ていました
ほんとに ふわふわしていたのです・・・
「わたしも おうどん つくってみたいわぁ」といって
私と一緒に働こうとするのです。
その夢を見た朝は 妹に逢えてよかったぁ と 思っただけでしたが
それから何日もしない蒸し暑い夏の お昼過ぎ・・・
妹が亡くなったと 電話が入りました。
今思い出しても 涙が出てきますが
本当のお話ですよ。
父の時は
病院の廊下で 毛布一枚かけられて 最後の息をしていました・・・
お婆ちゃんの時は
亡くなる二日前
私が見舞いに行って帰るとき
裾のはだけた寝間着姿で病院の玄関まで送ってくれました。
「また来てねぇ」と 笑顔で手を振ってくれたのが最後です。
その二日後
突然亡くなったのです。
母の時は
このブログにも毎日書き綴っていましたが
「寝たきりになったら お互い 鼻つまもうねぇ」と
硬い約束をしていたのですが・・・
認知症では 話になりませんし
なかなか実行できるものでもありません
でも最後にお世話になった病院の先生には
「母を治して欲しいとは言いませんが 苦しむことだけはしないで下さいね」と
お願いは しておきました・・・
92歳と6か月 病院からのお知らせも無く
偶然私が行った その日 様子が あまりにも いつもと違うので
「母のそばに ひと晩ついていても良いですか」とお願いし
・・・それから・・・数時間後・・・一言もしゃべることも無く
ずっと握っていた手の 弱い脈が切れました。
だから 死後の世界がどうのこうととか
人間の体が原子だとか分子だとか
難しいことはどうでもいいのですが
わたしは 向こうの世界は あると信じています
先に逝った人たちは みんな仲良く幸せに暮らしているのよ
私だって そのうち 仲間に入れてもらうんだから
死後の世界があるのか? それは分かりませんが、こんな事がありました。
時々,不思議なものを見たり,聞いたりさています。
最近ではこんな事もありました。
昨年の夏の暑さの中,家で留守番をしていた飼い犬が亡くなりました。
仕事で一人残業中でしたが、側に居るはずのないあの子の「クーン…」という声をはっきりと聞きました。
帰宅してみると庭で亡くなっていて。えっ!?って。 魂とか、霊とかはあると思います。
2019年7月 百日紅と クマちゃん
言葉を少し変えて
「死んだら人はどーなるのか?」
の質問ならハッキリ言えます
肉体は無くなりますが、魂はまだまだ旅をします
ただ、魂の定義が少し一般に言われてるような感じではないと思います
いずれにせよ
その時まで精一杯生きるだけですよね
^_^
四十九日だの お盆(毎年)だのといって
お寺さんが家まで来られるのは真言宗だけみたいで
近所の家だけでも宗教も色々なので
「あんたんとこは たいへんねぇ」とよく言われます。
死んだら行く所はみな同じでしょうに・・・
変な事だとは思っていましたが
魂の旅は続いて 「きっとみんなに逢える!!」と
勝手に信じています。
会えなかったら 寂しすぎますもの。
『その時まで精一杯生きるだけですよね』
全くその通りだと思います。
コメント 有り難うございました🌷💮💐😄😁