母は最近 少しずつご飯を食べるようにはなった来ましたが
看護士さんたちが 点滴にとても苦労しています
一度で刺せる人は二人いますが
後の人たちは 運が悪ければ 三度目に成功・・・
何か良い方法はないものかと検索中です。
穿刺する際の体位を整えてから穿刺する
穿刺時の環境を整えます。ベッド柵を外したり、血管に対して体を真正面に位置させたり、良い位置に座って手がぶれてしまわないようにすると安定して刺しやすいのではないかと思います。穿刺する際は、血管を貫いてしまわないよう浅めに穿刺します。深く入れてしまうと、すぐに突き破ってしてしまいます。
血液が返ってきたら、患者さんも自分の固定している手も動かさないように気をつけ、逆血を確認後、注射します。抜針後も圧迫止血を行うことで、皮下出血を抑えることができます。
ルートキープに関しても、穿刺時は浅めです。血液が返ってきてから健康な血管の人はもう少し針を進め外筒を入れますが、脆弱な血管であれば、さらに針を進めることで血管を突き破ってしまいます。血液が返ってきたら針をさらに寝かせるようにし、内筒をしっかりと固定したまま外筒をゆっくり入れていきます。
コツは、内筒を微動だにさせないよう固定させることです。外筒を進める際に少しずつ針が動いていることがあるので要注意です。外筒が入ってしまえば、あとは固定すれば完了です。
おわりに
看護歴が10年でも20年でも、何年たっても静脈注射を失敗することは多々あります。それでも、入る可能性が高いと思う良い血管を見つけ出し、絶対入るという自信をもって穿刺することが大事だと思います。経験上、入らないかもと不安を抱えながら穿刺して成功する確率は低いような気がします。何回も経験して慣れていくことが、やはり何よりも大事だと思います。難しいとは思いますが頑張ってください。応援しています。
私が針を刺すわけではないから
参考にはならないかもしれないけれど
私に出来る事は
看護士さんに 言葉かけで
自信を付けてあげることくらいですね
針を抜かずにそのままさしておく方法もあるらしいけれど
それは 患者の苦痛以外の何物でもないような気もします。
24時間針を刺したままの状態・・・
(でも 総合病院に入院していた時は そうであったようでもある)
第3回
食べられなくなったら、自然のままに
2016.08.02更新
読了時間:9分
【 この連載は… 】 まもなく多死社会を迎える日本において、親や配偶者をどう看取るか。「平穏死」提唱者・石飛幸三医師の著作『「平穏死」を受け入れるレッスン』期間限定で全文連載いたします。
本を「聞く」という楽しみ方。
この本の著者、石飛幸三医師本人による朗読をお楽しみください。
■胃ろうにしたら、誤嚥性肺炎を起こさないのか
胃ろうで栄養剤が直接胃に入るようになると、口から喉を食べ物が通っていかないので、もう気管に入る怖れがない。だから誤嚥性肺炎を起こさなくなるだろう、と思う方もいるでしょうが、残念ながら胃ろうをつけても肺炎予防にはなりません。
・・・略・・・
医学生のバイブルともいえる『ハリソン内科学』に、こういう内容のことが書かれています。
「死を迎える人は、いのちを終えようとしているのだから食べないのだ。食べないから死ぬのではない。このことを理解することで、家族や介護する人は悩みを和らげられる」
私はこの意味を、ホームの医師となってから初めてリアルに体感しました。食べるという行為は、ただ栄養摂取をしているだけではありません。味覚だけでなく、視覚や嗅覚、そして舌ざわりといった触感など、総合的な感覚でものを味わっているのです。
認知症が進んで自分が何者なのかもうわからなくなってしまった人でも、食べ物の好き嫌いは変わりません。甘いものが好きだった人は、やっぱり最後まで甘いものに関心を示します。苦手だったものは、形がなくなっていても嫌がります。しかし、それが生きているということなのです。
おいしいと感じることは、生きるうえでの大切な条件です。食べること、味わうことを奪われると、生きる喜びを失います。経管栄養になって口からものを食べることがなくなった人は、口の中、顎、食道などの筋肉を使わなくなることで、一気に老化が進み、衰えていきます。五感への刺激がなくなるため、脳の働きも衰えます。喜びを奪われ、魂が抜けたようになります。ものを言わなくなります。笑顔を出さなくなります。
食べるということは、人間の生きる意欲と深く結びついているのです。食べられなくなった高齢者に対して経管栄養という措置をとるときには、そういうこともしっかり考えるべきなのです。
■食べられなくなったら、自然のままに
「自然にまかせたら人は穏やかに死ねる」というヒントをくれたのは、三宅島の人でした。
私がホームに赴任したとき、三宅島の女性が入所していました。九〇歳くらいだったと思います。日本は自然災害の多い国です。三宅島が噴火し、島民が東京都内に避難してきたことがありましたが、そのときに彼女は芦花ホームの住人となったのです。
熱を出して入院になりました。誤嚥性肺炎でした。胃ろうを勧められました。病院からの連絡で息子さんが行くと、お母さんは鼻から経管栄養の管を入れられていました。その姿を見た息子さんが、私のところへ来て言いました。
「先生、なんであんな管をつけたり、胃に穴を開ける手術をしたりしてまで生かしておかなきゃいけないんでしょうね。私にはわかりません。三宅島では昔から、年寄りが食べられなくなると、枕元に水だけ置いて寝かせておき、家族は静かに見守ります。島ではみんなそうやって死んでいきます」
息子さんのこの言葉が、私の心に強く焼きつきました。
高齢者が食べられなくなるのは、病気ではないのです。それは生き物としての限界が近づいているということ、寿命なのです。人間は自然の一部です。老いて衰えたら、最期は自然に帰るのです。そのときが来たら、よけいなことをしないで、昔ながらの知恵に即して、自然な寿命が来ることを本人も家族も受け入れる、それこそが本来の正しい姿なのではないだろうか、と思うようになったのです。
思い起こしてみれば、私が子どものころ、年老いた祖母が、仏間に布団を敷いて長く寝ていました。そしてそのまま息を引き取ったことを思い出します。三宅島に限らず、それが日本人のごく当たり前の死に方でした。病院でいろいろな医療の末に最期を迎えるのが一般的になったのは、ここ五〇年ほどのことです。私は職員に「ここで自然の摂理にまかせた看取りをしよう」と提案しました。家族会でも何度も話しました。
われわれの看取り活動が始まりました。
■仏さまのような穏やかで柔らかな表情
それから芦花ホームでわれわれが立ち会わせていただいた自然な最期は、例外なく静かで安らかでした。最期のときが近づいたら、無理して食べさせない。飲ませない。病院に送って何か延命的措置をするのではなく、ご家族と職員で見守って迎えます。
これは見殺しにするということとは違います。その人のために、あえてよけいなことはしないのです。その人の持っている生命力に寄り添うのです。その様子はまるで、身体の中を整理整頓して片付け、身を軽くしていくようです。「眠るような最期」という言葉がありますが、本当に、眠って、眠って、静かに息を引き取られていくのです。皆さん本当に穏やかなお顔をしています。温和な優しい表情をしているのです。まさに仏さまのようなのです。
ですから、最期に立ち会うと、自然と「ありがとうございます」という言葉が口をついて出てきて、そっと合掌をしています。病院で病と闘い、死と闘って、敗れ果てた末の最期とはまったく違います。病院では「治せないこと=死」を意味し、「死=敗北」でした。ですから、「なんとかしてこの人のいのちを救わなければいけない、生き延びさせてあげなければいけない、病気に負けるわけにはいかない」と、最後の最後まで手を尽くそうとしました。それでも亡くなってしまうことは、医療者にとって最も無力感を味わう瞬間でした。患者さんはみな、険しい顔をしていました。苦悶の表情でした。当時は、病や死と闘いつづけたことが苦しかったのだろうと思っていました。
けれどもいま振り返ってみると、それはさまざまな人工的なものをつけられた状態に対する不快感や苦悶だったのかもしれません。それは、ホームで看取りをすることが決まったとき、ずっと寝たきりで意識もなく、痰の吸引や気管チューブの交換のたびに身体を震わせて苦しんでいた人からチューブ類を外すと、その人の表情がふっと和らぐことから気づきました。自然死こそ苦しまずに安らかであるということは、古代ギリシアの時代からわかっていたようです。プラトンはこう言っています。
老いとともに自然に終局に向かうものはおよそ、死の中で最も苦痛の少ないもの
病気や障害によって迎える死は苦しいものだけれど、老いとともに自然に終局に向かうものは、死の中でも最も苦痛の少ないものだろう、と言っているのです。生き物は自然の摂理のもとで生きています。最期も自然にまかせるのがいちばんなのです。
自然は、私たち生き物が、穏やかに最期を迎えられるようにセットしてくれています。それを人工的な延命措置を施して自然の摂理に逆らおうとすると、生き物に与えられた自然の恩寵(おんちよう)(神の恵み)を受けられなくなります。
身体が最後に代謝を終えるのなら、飛行機が着陸するのなら、もう水分も燃料も無理に補給することはない、欲しくなくなるのですから食べなければよいだけ、そのうち眠くなって夢見心地、老衰の最終章はそんな姿です。
これが「平穏死」のあり方です。
私が最初に出した『「平穏死」のすすめ』が文庫になったときに、敬愛する日野原重明先生が解説を書いてくださいました。その最後の部分に、「死は『終わり』ではなく、むしろ永遠の生への『出立』」という言葉がありました。だから、平穏死を英語にするならば、「Peaceful Eternal Life」と呼ぶのがいいのではないか、とあったのです。それを読み、思わず手を打ちたくなりました。まさに、死に方は生き方なのです。
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みよきママ
2018.07.26
今、まさに義母の平穏死にむけて心の準備をしています。まだ74歳といま時では若いのですが、3年前にアルツハイマー型認知症と診断されてから一気に生活が変わりました。ただ、診断が出てからは安心したのか、不安そうな表情は少なくなりました。できなくなることがあっという間に増え、無気力になり、寝ている事が多くなりました。この夏の異常な暑さのせいなのかは分かりませんが、食欲がなくなり、水分も十分とれず、どうする事が母にとって幸せなのか、「入院して点滴を続ける?」という問いに対しては頑なに首を横に振りました。家族みんなで相談し家で最後まで看取る事を決意しております。先生の著書に救われました。未だに心が揺れます。本当にこれで良いのか。振り払うように体を拭いたり、『お茶飲む?)と声を掛けて、一口でも飲んでくれた時私の心が喜びます。その顔を見て母がにっこりします。この時間が少しでも長く続きますように。