【ニュースのスクラップ】グリの街のリフォーム屋

管理人の【レキ】です。時事・政治経済ニュース、一般ニュースの感想。アニメやカラオケの話題など…友人との共用ブログです

バンザイクリフ(サイパン)で思ふこと・・

2006-07-17 | 【前管理者からの引継ぎ】過去のログ
サイパン・・かつては日本の委任統治領だった島。

到着一日目は、(久しぶりに125CCのスクーターですが、
オートバイにて単独行動)

島のあちらこちらのかつての日本の面影を回りました。

中でも最初に訪れたバンザイクリフ・・・1944年6月、島の南西側から
上陸した米軍は約一ヶ月にわたり日本軍と戦火を交え、日本軍は全滅。
当時残っていた民間人は島の北へ北へと追いつめられ、、多くの罪の
無い民間人がこの岸壁や、この岸壁を望む絶壁から身を投げた・・

ほんとうに、吸い込まれそうな海の色。
表現できないくらい澄み切った悲しいブルーでした。
(悲しい歴史と、素晴らしい風景にしばし絶句。
   知らず知らずのうちに涙が・・・でた。)

それにしても、、(こんな素晴らしい景色なので解る気はしますが・・
あくまでも歴史を知らなければ・・・)
この地に次々に来る(多分韓国の方々かと)人達の態度に少々腹が立ち
ました。(特にこの期間は多かったみたい。ホテルでもハングルが
飛び交っていたし。)

ただ、きゃあきゃあ騒いで、記念碑に寄りかかり、写真撮影。
少しも死者を悼む感情など無いようで・・ちょっと理解に苦しみました。

“死者を丁重に扱い、偲ぶ・・それがこんな悲しい亡くなり方をしたなら
なおさら・・・”そんな感情は日本人特有なのでしょうか?

・・実際にここに来てほんの少し理解できたような気がします。

“投降・降伏”ではなく、“自殺”を選んだ当時の人達の気持ち・・

確かに“死して虜囚の辱めを受けず”という当時の教育もひとつ
だったと思いますが、
こんな狭い島で、何千という兵隊に追い立てられ
、ナパームで焼かれ、山の形の変わるくらいの艦砲射撃を受け、
導いてくれる指導者もいない・・・

そんな状況で果たして“投降”などという選択が出来たとは
とても思えません。

私たちはあなた方を忘れません。安らかに・・・
~ 合掌 ~


グリの街のリフォーム屋 轢





サイパンに行ってきました!!

2006-07-17 | 【前管理者からの引継ぎ】過去のログ
7月10日~13日まで、、社員旅行でサイパンに行ってきました。
・・当初、天気があまりよくない・・との情報で、、ちょっと不安でしたが、
何と何と期間中ほとんど
私としては初めての南の島、、満喫させていただきました。
(こちらはだったみたいですので・・
お客様には、少し後ろめたく・・一応ごめんなさい、、です。)

まあ、今回は色々とありました。

まず、行きの飛行機が半日以上遅れ・・・で、ホテルに着いたのが
現地時間で明け方の3時過ぎ、、

旅行会社の計らいで一日予定を延ばしていただいたものの、

帰りの飛行機が全員分取れなくて・・半分がグアム回り(私もグアム組でした)

しかししかし、事故も無く、丸々2日以上、全員が南の島を
心置きなく楽しんだようでした。
ので、めでたし、めでたし

事故・・・といえば、、一日遅れたせいで、仕事のほうが
現在あっぷあっぷ・・・というところでしょうか・・・

がんばりましょう

グリの街のリフォーム屋 轢

(写真は島の北端“バンザイクリフ”からの眺めです)