今月のことばは俳人中村草田男(1901~1983)の作品です。第一句集「長子」所収らしいのですが、私が見つけたのは、角川書店『俳句歳時記』です。
川や池や沼の水は冬になると、水草や藻も少なくなり、透明度が増します。冬の水は透明だから、水面に映る一枝の影がよくみえる、といった風景でしょうか。冬はすべてが透明になってきます。冬空にあがる花火は夏のそれとは異なります。
さて、「明鏡止水」という言葉があるけれど、静かに澄んだ水(心)だから、月や花をそのままの姿で映し出すことができる。といったふうに、禅は月や花そのものではなくて、水面に映る月や花に注目してきました。
意地悪な見方をすると、水面にうつる月や花は決して手にいれることはできません。月がうつる水面を手ですくってみても、指の間から水がもれるのにつれて月もこぼれてしまう。なんどやっても、決して月を手にいれることはできません。「水を掬すれば月手に在り」といった禅語はそのへんの風景でしょうか。
月はなかなか手にいれることのできないのに、イトカワの小さなちいさな砂をもってきた「はやぶさ」はすごいなぁー、と思う歳晩の夕暮れです。