愚かな者を 道伴れとするな 独りで行くほうがよい 孤独に歩め
悪をなさず 求めるところは少なく 林の象のように 仏陀
2月15日はお釈迦さまが亡くなられた涅槃会(ねはんえ)です。釈尊は紀元前383年に八十歳で亡くなります。
インド北部のクシナガラ近くで旅の途上でした。
涅槃会には、涅槃図を掲げます。冒頭の図は、「見立業平涅槃図」と題され、江戸時代の英一蝶なる絵師が描いたものです。よくある涅槃図の構図を借りて、横になっているのは釈尊ではなくて、在原業平。周囲で泣いているのは、女性ばかりという少々いけない浮世絵です。写真は東京国立博物館・画像検索から拝借しました。
さて、今月の言葉は、ダンマパダ(法句經)から引用しました。中村元著『真理のことば感與のことば』(岩波文庫)56頁です。この文言の前に二節あります。
「もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことができるならば、あらゆる危険困難に打ち克って、こころ喜び、念いをおちつけて、ともに歩め。しかし、もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことができないならば、国を捨てた国王のように、また林の中の象のように、ひとり歩め」
以前紹介した、奈良・東大寺長老・森本公誠師は次のように述べらています。
「(釈尊は)人生をいかに生きるべきかを説かれた人生相談の達人のようなお方だった」、と。
そう思うと、冒頭に掲げた「孤独に歩め」は、現代の新聞紙上にある悩み事相談の回答になりませんか。
たとえば、こんなふうです。夫の暴力に苦しむ主婦のA子さんが、売れっ子心理学者のシッダルタ先生に尋ねたとします。先生は「そんなのとは別れてしまいなさい。独りで胸を張って生きていくのです」と励ましている光景です。「孤独に歩め」にはもっと深奥な意味があるのでしょが、どなたかが「孤立はいけないけれど、孤独はいいもんだ」と書いていた。
あるいは冒頭の言葉を読んで思い出したのは、歌手の吉田拓郎が何かの映像で話していたエピソードです。肺がんの手術後体調が戻らないので、がんばらなくてはと思って、釣りをするとかゴルフに行くとかの予定を立てて、それを医師にみせたら、お医者さんが言ったそうです。「拓郎さん、釣りすきなんですか」「いや、別に」「じゃー、無理にやらなくてよいのですよ」。それで、こんな歌を作ります。『ガンバラないけどいいでしょう』というタイトルです。
「がんばらないけどいいでしょう 私なりって事でいいでしょう がんばらなくてもいいでしょう 私なりのペースでもいいでしょう」
スマートホンでいつも誰かとつながっていないと不安な若者が多い2016年2月。釈尊の言葉が新鮮に感じられないですか?