師走のことばは、松尾芭蕉の俳句です。貞亭元年(1684年)、四十一歳の作。この年、「野ざらし紀行」の旅にでて、ふるさと伊賀へ帰ろうとしている年の暮れによんだ句です。
師走のいつころ、伊賀まではどのくらいの距離をのこして読んだ句なのかは不明だけど、芭蕉が伊賀上野の兄の家へ到着したのは、十二月二十五日だというから、帰り着く目安がついてよんだ句にちがいない。とすると、「年が暮れて、旅の空のもとで正月になってしまう」。そういう寂しい句ではなくて、ふるさとに帰るぞ!という明るい句ではないだろうか。だが、しかし。芭蕉には明るくなれない事情もありました。
その前年に亡くなった、母親の墓参をすることが、「野ざらし紀行」の目的のひとつでもあったのですから。
現代、東京から伊賀上野までは新幹線を乗り継いで、四時間あまりで着いてしまうけれど、江戸深川の芭蕉庵を旅立ったのは、八月。伊賀上野へ直行したわけではなく、各地で句会をひらいての大旅行であったという。
そして、この旅を境にして、芭蕉の行くところ多くの門人があつまり、蕉風が確立したというから、ちょっとルンルンな旅だったのではないか。でも句では、「年が暮れようとしているのに、旅姿」という寂しさを演出している。なんて言ったら俳聖に叱られるだろうか。
さて、十月に出版した花岡博芳著『またまたおうちで禅』(春陽堂書店)で、一句だけ芭蕉の句を引用しています。
歯にあたる身のおとろひや海苔の砂
「野ざらし紀行」から七年後、四十八歳のときの句です。
この句をよんだ三年後に、五十一歳で夢は枯れ野をかけめぐり、大坂で客死した俳聖です。海苔に砂がまじっているので、老境の歯にあたるというのですが、芭蕉の頃は天然のノリを集めて押しひろげて乾燥させたらしい。だから、砂がはいってしまうわけです。そんなワイルドな食品から、臨済宗中興の祖と仰がれる白隠禅師(一六八五~一七六八)に思いをいたすのは、『またまたおうちで禅』215ページの「芭蕉、白隠、無著。そして海苔」です。後輩住職が「突拍子もない発想」と誉めて? くれたけれど、面白いよ。読んでみて!