秋彼岸の九月。今月の言葉は八月の言葉の続きです。八月の言葉はというと、「炎天や念珠にぎりて身を支ふ」。作者は越前春生さん。日経新聞俳壇(令和五年八月五日)への投稿句です。頼るものがないと、しのげないような酷暑に、この句の作者は念珠を握りしめました。
困ったときに、何を頼るかは、人それぞれでしょう。たとえば道に迷ったとき、スマホの地図を見る人が多いのでは。私も、特に僧衣を身につけている時なんか、カッコウ悪いと思いつつも、見てしまいますねー。
スマホは、すでに手もとから離せない道具になってしまったけれど、離さなければならない、絶たなくてはならない時もある。昨春、修行道場へ掛搭(かとう=入門)したわが子は当然ながらスマホなんて持たずに道場の門をたたいた。これはずいぶんと特殊な例だけど、身近にもいるはずです。スマホの誘惑を拒絶しなければならない人間が。
日経新聞朝刊に、「受験考」という連載があります。今夏七月二十九日付けのタイトルは「ゲーーム絶てるか、挑戦の夏」。執筆者は学習塾の講師です。どういう記事かというと、「塾に通ってくる中学三年のユウヤの成績が下がった。理由を尋ねると、1日2時間近くスマートフォンでオンラインゲームをしているという」。そこで、「1日何時間勉強するのか。スマホとの付き合い方はどうするのか」を話し合います。全部で千字ほどの記事は次のようなことばで結ばれています。
「ユウヤの夏は彼自身の挑戦でもあり、我々の挑戦でもある」、と。
これは珍しくない、どこにでもある当節の現実でしょう。だから、スマホを絶つための書籍もでているし、ネットにも方法がいくつも載っているようです。と書いて笑ってしまいます。ネットを見ないための方法をネットでしらべなくてはならないほど、誰も重障になっているのです。そこで、提案です。
スマホを持つ手(腕)に、ブレスレット式の数珠を持たないですか。スマホを見ようとした時、数珠も見える。そこで、思うのです。「今は我慢」。ちなみに、九月のことばは自作です。自作は珍しいのですが、このことばで「2024お寺の掲示板大賞」に応募しようと思っています。でもー、「お寺の掲示板大賞」(https://www.bdk.or.jp/kagayake2024/)の応募はX(旧Twitter)かインスタグラム経由なんですよね。私は両方ともやってない。だから、下記に証拠写真も載せるから、誰か応募しておいてくれないかなぁー。応募用写真は↓(自分で写真撮ってみてわかったけれど、まったく十字街頭にあって風情なんてないなー。少しきれいにしよう)