松岩寺伝道掲示板から 今月のことば(blog版)

ホームページ(shoganji.or.jp)では書ききれない「今月のことば」の背景です。一ヶ月にひとつの言葉を紹介します

八月十五日 真幸く(まさきく) 贅肉あり  池田澄子

2015-08-11 | インポート

八月はお盆月です。お盆は七月十五日が正式なのですが、八月のお盆は旧暦かというと、そうではない。一ヶ月遅れのお盆です。
松岩寺のお盆も八月で十五日にお盆の法要(お施餓鬼)をします。そんなわけで、例年今月のことばは八月一日にお盆らしいことばにして、一か月もたせるか。あるいは十日頃にお盆バージョンに書き換えるかしているのですが、今年はずばり、八月十五日で始まる俳句にしましたが、これって解説がないとわかりにくい。そこで、孫引きの元になった櫂未知子著『食の一句』(ふらんす堂刊)の櫂女史の解説を転載して今月のことばの背景といたします。

すいとんにせよ雑穀入りごはんにせよ、本来は他の食べ物が充実していてこそ価値ある物だ。敗戦後六十年近くを経て、日本人はダイエット談義に花を咲かせるようになった。この句は浅く読めば、単純に平和を謳歌しているように見える。しかし、〈贅肉〉すら持てなかったかつての日本を逆から描いてまことに秀抜である。〈真幸く〉という万葉以来の歴史ある言葉を軽々と用いており、掲載の句集が刊行された年に、私はこの句をベストワンに挙げた。(『ゆく船』)季語=敗戦忌(秋)

 

 


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るす 『高橋新吉の詩集』より

2015-08-01 | インポート

留守と言え/ここには誰も/居らぬと言え/五億年経ったら/帰ってくる

「るす」と題した詩の作者は高橋新吉(1901年~1987年)です。新吉の名前に冠せられるのはダダあるいはダダイズム、ダダイストかという言葉です。ダダなんて聞いた事はあるのですが、よくわからない。『日本国語大辞典』で調べてみれば「第1次世界大戦中におこり、1920年代にかけて盛んとなった美術文芸運動。あらゆる社会的・芸術的伝統を否定し、反理性、反道徳、反芸術を標榜した」とあり、高橋新吉の著作からの用例を紹介しています。
「私が日本のダダの元祖だと言ったら、そうではないなどと言っては困る」(高橋新吉著『預言者ヨナ』)
と、あるくらいだから、ダダの旗手であったにちがいないのでしょう。そうはいわれても、「ダダってなーに」、という感じですが、高橋新吉は禅の傾倒者でもあるのです。
たとえば、手もとには『参禅随筆』(宝文館刊)という本があります。いろいろな修行道場で坐禅をした感想などが書かれているのですが、読んでみると小言幸兵衛が気の向くままにかいた文です。この本、昭和33年初版で定価350円です。何というのでしょうか。奥書には「高橋」という認め印が押してあるシールが貼り付けてあります。こういうのっていつ頃の本まであったのでしょうか。
さて、冒頭の詩は1950年刊の『高橋新吉の詩集』に収められているものだそうです。「そうです」と言うからには、孫引きです。私がみたのは岩波講座『日本文学と仏教』第10巻にある寺田透さんの「現代日本の中の仏教と文学」です。
この詩をどこかで読んだような気もするのですが、脳がアルコール漬けで思い出せない。なんてことはどうでもよくて、5億年というのはなんなのでしょうか。彌勒菩薩が世に現れるのは,56億何千年後だから弥勒さんではないし。あまり深く考えると暑くなるから、涼しく味わうだけで良しとしましょう。



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